【三本目】ずっとずっと一緒だよ?【ホラー】3
相良が伊代宅を出てすぐ、虹彩認証と指紋で六〇六号室を開くと「おかえりなさい、翁馬くん」と、伊代――咲が相良を迎えた。電気が自動で点灯し、鍵が勝手に閉まり、靴箱の上の11インチのモニターには、主を出迎えるメイドの如く頭を下げる咲の姿があった。
伊代の好みである暖色系の服装で、墨汁をぶちまけたような髪の伊代と似ても似つかない栗色のゆるふわボブと大きな胸が揺れ、伊代ではありえない癒し効果のあると定評のある微笑みを浮かべている。
「ただいま――」
(彼女は間違いなくさきねえだ。でも、どうしても、アカネの姿がちらつく)
相良は少し迷ってから「――さきねえ」と、モニター脇のカメラに向かって微笑んだ。モニターに映る咲の姿が大きくなる。あるいは相良の顔を覗き込んで何か訝しるような様子。
「翁馬くん、何か嫌なことでもあった?」
「……別に、何もないよ」
「嘘、翁馬くん、落ち込んでるって顔に書いてあるもん」
相良が唇を噛む。
(本当は、正体がバレてることなんて気にしてないのか? あれは、ただの照れ隠しだったのか? 冷静に考えりゃ、朝のさきねえの言葉はアカネに告白されたようなもんだ。俺だったら、いや、アカネだったら、どっちにしても、フラれるのが怖くて、答えを聞くのが怖くて、辛く当たってもおかしくない。俺がさきねえのことを好きなのは羞恥の事実、それを利用したとしたのなら、あり得る)
相良が唇を潤す。
「大丈夫だ。俺にはさきねえも、大切な幼馴染だっている。心配ねえよ」
「なら、いいんだけど」咲がズームアウトする。「でも、約束してね? 調子が悪いときはすぐ私に報告すること。何か嫌なことがあったときもすぐ私に報告すること。困ったことがあったら絶対、私に相談しなきゃダメ。翁馬くんの問題は私の問題でもあるんだから」
とんだジャイアニズムに相良の表情がふっと軽くなる。咲の表情もまた、説教臭い困り顔から笑顔に変わる。「翁馬くんを困らせる奴は全員、私が殺してやるんだから」
その声は普段通りの咲で、伊代が表立って使うドスの効いた声ではなかった。しかし、それはVチューバー春音咲が見せたことのない、底冷えのする声だった。
「……やっぱり、ちょっと怒ってる?」いつもの堅物委員長より物騒な物言いに、相良は逃げるように自分の部屋に向かう。
「んーん、別に。翁馬くん、晩御飯は何がいい?」
「なんでもいいよ」
「翁馬くん知ってる? 『何でもいい』って、選択を委ねてるんじゃなくて、放棄してるだけなんだよ? 『何がいい』のか言ったうえで、じゃないと『何でもいい』は困るんだから」
「じゃあ、朝のカレーの残り、あるかな?」
「わかった。じゃあ、食べたくなったら言ってね? 冷えてる方が好きだと思うけど、一応少しだけあっためるから」
相良の好みを把握し、家事を完璧に成す点については物騒な物言いでも姉属性然としたオートメイションとして役割を全うしていた。とはいえ、AIがアドニスから春音咲に変わったとしても、彼の日課は変わらない。
PCを付け、開きっぱなしのウェブページを更新し、彼女の動きを待つ。彼女への欲求、いわばさきねえ分が不足すれば過去動画を再生し、好きな気持ちが臨界点を超えればSNSにコメントを残したり、「さきねえ、すこだ……」と溢れたりする。
「私も、翁馬くんが好きだよ」
(返答があるのは、新鮮だな)
相良が唇を噛む。頬が赤くなる。羞恥心を誤魔化すようにスマホをPCに接続すると、もう一つ変わった点に気付くことになる。
画面がちかちかと白黒に明滅を始めたのだ。間もなく、PCも同じ挙動を取り始める。
明滅しているように見えたのは、狂ったように特定の操作を繰り返しているからだった。
激しく自己主張するポップアップにはこうあった。
――――――――――――――――
この連絡先を完全に削除しますか?
――――――――――――――――
――――
→はい。
――――
この連絡先を完全に削除しますか? →はい。この連絡先を完全に削除しますか? →はい。この連絡先を完全に削除しますか? →はい。この連絡先を完全に削除しますか? →はい。この連絡先を完全に削除しますか? →はい。この連絡先を完全に削除しますか? →はい。この連絡先を完全に削除しますか? →はい。この連絡先を完全に削除しますか? →はい。この連絡先を完全に削除しますか? →はい。
この連絡先を完全に削除しますか? →はい。この連絡先を完全に削除しますか? →はい。この連絡先を完全に削除しますか? →はい。この連絡先を完全に削除しますか? →はい。この連絡先を完全に削除しますか? →はい。この連絡先を完全に削除しますか? →はい。この連絡先を完全に削除しますか? →はい。この連絡先を完全に削除しますか? →はい。この連絡先を完全に削除しますか? →はい。この連絡先を完全に削除しますか? →はい。この連絡先を完全に削除しますか? →はい。この連絡先を完全に消去しますか?→はい。
……以下略。
「……は?」
呆気に取られている内に件数表記の数字が目まぐるしく減少し、『は?』という間に明滅が終わる。相良はPCと接続しているコードが突っ張るのも気にせず、スマホを掴み取った。表示されていたのは、男性の名前が並ぶ連絡先だった。
小学校時代の女友達も、中学時代の女友達も、高校の女友達も、SNSで関りのある女性っぽいアカウントも、名前で登録されていた母親を含む女性の親戚の連絡先に至るまで、相良のスマホに入っていた女性の連絡先のすべてが削除されていた。クラウドのバックアップに至るまで、丸々と。
PC内部のファイルは随分と軽くなり、女の子の映る写真はほとんど消去されてしまっていた。唯一残った中学時代の卒業アルバムをデータ化したファイルにしても、女の子の喉辺り中心に血のような赤いバツ印で全身を覆うほどの大幅な修正が成されていた。
ゼロキロバイトのファイルが並び、相良の半生の全てが収録されている〈卒業アルバム〉と名付けられたファイルのサイズだけが異様に大きく見える。
「……さきねえ、これは、どういう?」
PCの画面にも、スマホの画面にも、笑顔の咲が映し出された。声色は、咲と伊代のどちらにしても普段の様子からは想像できないような物憂げで、今にも泣き出しそうだった。
「翁馬くん、やっぱり何だか苦しそうだったから……こうすれば、翁馬くんは二度と傷つかずに済むでしょ? 翁馬くんのことが好きな私以外に女の子がいなければ、翁馬くんは二度とフラれて傷つくことはないでしょ? ね?」
(三年前を思い出した。あの日、俺はフラれて、何もかもが無かったみたいになって以来、リアルな恋を出来ずにいる。Vチューバーに届かない恋をするほどに、大袈裟に傷ついている。だからか? だから、見かねたアカネが……?)
「翁馬くん、さっきまで隣の部屋に寄り道してたでしょ? どうして真っ直ぐ帰ってきてくれないの? 私、すごく、すごくすごくすごくすごくすっごく、心配だった。また傷つけちゃうんじゃないかって、不安だった」
それは誰よりも相良を知る存在――たとえば、幼馴染でなければ出てこない台詞だった。
「あのさ、さきねえ」相良はふっと笑う。「俺、ポーカーフェイスは苦手だし、精神的に心許ないかもしれないけど、たとえ誰もが羨むような美人が言い寄ってきても、聖女みたいな性格の人に告白されたとしても、あの日の告白をやり直せたとしたって、俺にとっての理想は、今の俺が好きなのは、この世界でさきねえ一人だけだよ」
(そうだ。そもそも届かない恋のはずだったんだ。届かない恋だから、決して振り向いてくれない代わりに、決して裏切られない恋のはずだったんだ。でも、届いた。三年前とは違う。傷つくことも、裏切られる心配も、ない)
「家に帰ればさきねえが待っててくれる。それだけで、どんなに傷ついたとしても、どんなに苦しいとしても、何度だって、どれだけだって、頑張れる気がするんだ」
(心残りがあるとすれば、こうやって気遣ってくれる人に直接向けられるのが言葉だけだってことくらいだ。アカネにはずっと心配をかけた、感謝してもしきれない。何か、上手く感謝を伝える方法はねえか?)
その日、春音咲の新着動画は最近流行のアニメソングの〈歌ってみた〉だった。それは機械を通したか直に聴いたか程度の鮮明さの違いを除き、六〇五号室で相良が聴いたものと全く同じものだった。彼は咲の映るスマホを、割れ物でも触るかのように、愛おしそうに、撫でる。
感謝を伝える機会は相良が考えている以上に早くやってくる。
二月十四日、バレンタインデー。大雪とプレゼントが恋心に隠された罪を露わにする。
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