【三本目】ずっとずっと一緒だよ?【ホラー】2

 十年後、伊代紅は普段はアニメ声を表立ってはドスを効かせて隠しつつ、裏ではアニメ声と彼女自身の理想のお姉さん象のギャップが人気のVチューバー、春音咲として確固たる地位を築いていた。

 愛しの春音咲の正体を知った相良が「お前ほら、スマホ、タカヒトに貸したままだったろ?」だから返しに来た。という旨を告げるより先に、伊代は相良の手にした自らのスマホをひったくるように受け取った。

 虹彩認証でロックを開いて通話履歴を確認する表情に感情は見受けられない。

 暖房の効いた部屋で、相良は身震いした。

「……出てって」

 六畳の室内、あえて声色を低く抑えているとはいえ相良にも聞こえていないはずもない。

 相良は室内を見渡すようなふりをして唇を噛んだ。

 六畳ほどの部屋、ブラウンやスカーレッドなどの暖色系でゴシック系な家具が敷き詰められている。

 ノート型だったはずのPCは最新式の据え置き型になっていた。

 ドアには防音用の緩衝材が張り付けられていた。

 PCの周りに複数のカメラとマイクが取り付けられていた。

 フロアデスクの上には風邪の常備薬と数種類ののど飴が散乱していた。

 それと、炎のように赤い毛糸玉と、毛糸の手袋と、編み棒が使い古されたテディベアと一緒に散乱している。

 そうして相良は唇を舌で潤した。

「い、いや、びっくりしたわー。まさかお前がさきねえだっ」たなんて。

 そう言い切る前に「出てって!」と伊代の叫びは、彼女が表立って出すドスの効いた声ではなく、裏で春音咲として出す、相良自身が伊代の口からは10年近く聞いていなかったアニメ声だった。

 耳まで茜色に染めて俯く後ろ姿に向けて、相良はそれ以上誤魔化すための言葉を探す代わりに、静かに頭を下げた。「……悪かった、本当に。今日はあったかくして寝てくれ、お大事に」

 何も答えず、頭を上げても目を合わせようとしない伊代を尻目に、相良は六〇五号室を出た。ドアが閉まると同時に鍵がかかる。伊代家のオートメイション機能は家主に指示を仰がず指示を待つだけの、いわゆるマニュアル操作に設定されている。

 不健康な熱を孕む吐息を静かに荒げながら、伊代は電話を折り返す。


 電子音が呼び出し中であることを告げ始めて間もなく途切れた。

「はい、こちら株式会社ミルキーウェイ、広報担当の冬月です」

「あ……私、明日のイベントに出演させていただく春音咲の、その」

「ああ、伊代紅様ですね。折り返しのお電話ありがとうございます。明日使用する機材の件でお伝えしたいことがありまして……」

「……はい」

 伊代は息を飲む。自ずと溜まっていた涙が玉の汗と一緒に零れ落ちる。

(中止、だろうか――だったら、嫌だな)

「明日に備えて点検をしていたところ投影機に不備が見つかりました」

(アイツ、悔しがるだろうな)

「計画の段階では、伊代様にはネットを介してご自宅からリアルタイムでご協力頂くはずだったのですが、無線接続のトラブルが発生しまして……なにぶん町全体に張り巡らされていますので、交換も明日には間に合わないのです」

「じゃあ、延期ってことですか?」

伊代は咳き込む。鼻水をかむ。

(こんな有様だし、その方がいいかもしれない)

「いえ、伊代様に撮影場所から有線接続して頂ければ実行は可能ですが」

どうでしょう? そのように続くはずの言葉は伊代の声に遮られる。

「やります」伊代は鼻を啜る。「撮影場所はどこですか?」

「……伊代様のご自宅に、ということになりますが」

「やります。やらせてください」

「ですが、身バレのリスクが上がって」

「それでもやります。身バレしてでも、待ってくれている人がいるので」

そういって、伊代は小さく咳をした。電話口からはブレスのノイズが聞こえた。

「ファン思いなんですね」

「いえ、そんな」伊代の頬が緩み、すぐに引き締められる。「ミルキーウェイさんを信頼しているだけですよ」

 春音咲という存在自体が一人のファンしか想定していなかったことなど、相良翁馬の幼馴染でもなければ知る由もない。

「ありがとうございます……あ、そういえばそうでしたね。たしか伊代様はうちの」

(そこから先を言わせるわけにはいかなかった)

「それより! 当日の進行についてなんですけど!」

(だって、助けるつもりがいつの間にか楽しんでいたなんて、アイツのためだったはずなのに、アタシ自身のためになっていたなんて、そんな最低な罪を人に言われて自覚したくなかった。『好き』だなんて、ファンには言えても、アイツみたいに一番好きな人には伝えられない。だいたいアタシに、今さらアイツと恋人になる権利なんてない。望んでいいはずがない――だから、これは私の罰――なんて言ったらアイツ、怒るかな。『バカだな』なんて笑って、叱ってくれるかな)

 電話を終えて尚、伊代は『アイツのために』と、春音咲で在り続けた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る