【二本目】憧れのあの人の正体がヤバすぎた【驚愕】

【二本目】憧れのあの人の正体がヤバすぎた【驚愕】1

 春音咲が活動を始めたのは三年前、相良の前から幼馴染が消えて一月が経った頃だった。失恋によって人が変わったように暗くなった彼を元気づける為、友人の一人が彼女の存在を教えたのだ。

 彼女――春音咲は相良の好みを凝縮したような存在で、彼は自己紹介動画で一目惚れして以来、弟君の一人として日々癒されている。あるいは、心のどこかで叶うはずだと考えていた恋よりも、初めから届かないことがわかっている恋に逃げたのだ。

 だから彼の告白は夢の中でさえ一度も成功していない。


 朝起きたら届かない恋をしていたはずの相手が自分のことを『貴方だけを愛する』と宣って近くにいる。夢と現、その境界線が不明瞭になるのも自然といえる。


「今日からは私が翁馬くんのお世話をするから、何でも言ってね? あ、朝食は夜の内に作っておいたカレーだよ? 翁馬くん、好きだったよね? あと寝ぐせ、私は嫌いじゃないんだけど治した方がカッコいいと思う人は多いと思うから直しておくね? 短髪でも整えるのと整えないのじゃ全然印象違うんだから。あれ、でも直さない方が変な虫が寄り付かなくていいかな? 翁馬くんはどう思う?」

 相良の自室備え付けの壁掛けの42インチの薄型テレビモニター、PC,スマホ、あらゆる画面に映る咲が同じように喋っていた。

「あー、まあ、いいんじゃないかな? どっちでも」

「良くないよ? だって、翁馬くんは私だけの翁馬くんなんだから」

あっけらかんと向けられる好意に夢現の相良の身体は硬直し、頬が赤く染まる。

「……じゃあ、自然な感じで」

「わかった!」

 瞬く間に、天井から伸びたアームによって相良の身支度が整う。洗顔、着替え、頭のセットが終わり、三ツ星レストランのスタッフも真っ青な椅子のお出迎えを受けてダイニングまで運送され、食卓に着いていた。理解の追い付かないままカレーライスを口に運ぶ。

 ダイニングに備え付けられている大型モニター、キッチンのカウンター側にタブレットにもなる小型モニターが一つ、キッチン内の壁側にも同様のモニターが一つ。その全てに映る咲が、本来何万人もの人間に向ける笑顔を、今は相良一人に向けている。

「美味しい?」

「ああ、美味いよ」

「良かったあ。やっぱり甘口にして正解だったよ」

 甘口なのも、他の野菜に比べてジャガイモがごろごろ入っているのも、使われている肉が牛すじなのも、全て相良の好みに合致していた。カレーライスを頬張っている内に運ばれてきた水の入ったグラスの嵩が相良の内に消える。大型モニターを真っ直ぐに見つめ、それに気づいたかのように咲が頬を染めて目を逸らした。

 相良が唇を噛み、労るように舌で舐めて潤した。

「ねえ、さきねえ」

「なあに、翁馬くん」

「どうして、ここにいるんだ?」

「翁馬くんを愛しているからだけど?」

 何を当たり前のことを言っているの。とでも言わんばかりに首を傾げる。相良は唇を噛む。

「……どうして、俺なんかのこと?」

「翁馬くんは、私なんかに好かれたら迷惑かな?」

「そんなことあるわけない」

「でしょ? そういうことだよ。私は翁馬くんを愛しているからここにいる。翁馬くんのことを愛しているから、お世話をしてあげたいって思うし、好みだって覚えてるし、貴方の理想の女の子になろうとする。貴方のことが好きだから私はここにいる。それでいいじゃない」

「……」

「まだ、何か裏があるんじゃないかって思ってるでしょ?」

「なんで」

「翁馬くん、考え事するとき、唇を噛む癖があるって知ってた?」唇を噛みそうになって、代わりに唇を舌で湿らせた。「でね、その後は決まって唇を舐めるの」

「大丈夫だよ、翁馬くん。私は、私だけは絶対に、翁馬くんを裏切ったりしないから」

 違和感。異音。バグが飛ぶ音とヘリが飛ぶ音のハーフのような音だった。

ありふれた音に相良はびくりと背を震わせ、咲は首を傾げる。

「電話だよ。タカヒトくんっていう、男のお友達みたい」

 相良が立ち上がるより早く、PCに繋がれていたスマホが相良の元まで運ばれた。画面には咲ではなく、怪しさ満載の非表示でもなく、相良の端末に登録されている見知った名前が表示されている。

 山崎貴仁やまざきたかひと

 咲のいう通り、相良の学友、男友達である。

 普段であればオートメイションに対して気など使わない相良であるが、それが自分がお身を寄せる女子であれば話は別。ちらりと視線を向けた先で、咲が消え入りそうな微笑みで静かに頷いた。相良はスマホを恐る恐る耳に当てる。

「……もしもし」

「やあ、オーマ。起きてるかい?」

 朝、寝起きとは思えない、深夜であると言われれば納得のできる声だった。帰ってきた日常に相良は顔を緩めた。そして、自らの鼻を摘まむ。

「えー、おかけになった電話番号は現在使われておりません」

「ふうん、いいのかな。そういう態度で」

くすくすと笑う様が電話口の息遣いからわかる。相良は相変わらず「おかけになった電話番号は現在使われておりません」。

「今日持ってく予定のタイトル、何にするか忘れたから確認したいんだけど」フッと外連味たっぷりに笑う様が目に見えるようだ。「電話番号が違うなら仕方ないね」

「お電話替わりました担当の相良です」

「知ってるよ。で、どうする?」

「大将のオススメを一本」

「わかった。駐輪場で待ってるよ」

「サンキュー。すぐ行く」

 声が切れる。画面にアプリケーションが並び、かと思えば咲に上書きされた。

「そうだよね。学校、行っちゃうんだよね?」

「ああ、タカヒトが待ってるからな」

「そう……だよね。翁馬くんにも、待ってる人はいるよね」

 画面の向こうで、咲が寂しげに微笑んでいた。

「あの、あのね、翁馬くん。私、本当は、翁馬くんに学校にも行ってほしくないの」翁馬は唇を噛んだ。四人分の咲がいう。「私も家で待ってるから、ちゃんと、出来るだけ早く、帰ってきてね?」

 相良が唇を舐めた。

「ああ、わかってる。俺だって、その……さきねえのこと、好きだから」現実感のない表情筋を歪めた。「いってきます」画面の消灯したスマホには相良の不格好な笑顔が映っていた。

「いってらっしゃい、翁馬くん」


 主の出掛けた屋内に鍵の閉まる音が虚ろに響く。見送る笑顔を最後に、全てのモニターが消灯した。洗濯機が動き出し、食器が食洗器に運ばれ、テーブルの雫が拭き取られる。

「……ごめんね、翁馬くん」

 消え入りそうなアニメ声が生活音に似たオートメイションの無機質に混ざる。


「騙すようなことして、ごめんね」

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