【一本目】(次元が)一つ下の片思いの人に起こされたら【ドッキリ】2
――寝落ち。俗に何かをしている途中で眠りに落ちてしまうことである。寝食を惜しんでゲームに勤しんでいる最中、眠気に抗えずに意識を失ったり、寝付けないからと恋人と電話をしている内に幸せな眠りに就いてしまうあれだ。
それは相良翁馬にとっても日常茶飯事であった。ただし、これといってハマっているゲームがあるわけでも、恋人がいるわけでもない彼の場合は春音咲の動画を見ている最中の寝落ちなのだが。
しかし、この日――二月十二日の夜に見た夢は日常茶飯事の限りではなかった。
環水公園は相良の住む町――
また、川というのは多くの逸話が関わるところでもある。死者があの世に渡る際に通るとされる〈三途の川〉、エジプト神話由来の儀式には〈ナイル川〉に向けて射精をするものがあり、織姫と彦星の〈天の川〉の逸話は夏の空を見上げるたびに思い出す。ところで、天の川の英訳である〈ミルキーウェイ〉とはギリシャ神話におけるヘラの母乳が撒き散らされたことを語源としている。
それで、というわけではない。強いて言うなら動画を流しっぱなしにしたのが所以であろう。あるいは、バレンタイン、恋愛、告白、高い眺望、と連想した故かもしれない。
牡丹雪が吹き荒れる中、相良は展望台の最上階に一人、立っていた。向かい側、60メートル先の展望台には春音咲が一人、赤い糸で繋がれた糸電話の受話器部分を耳に当てて微笑んでいる。展望台の下には公園由来のライトアップの他に無数のカメラが瞬き、上空からはテレビ局のヘリコプターがカメラと一緒に二人を照らしていた。
(胸が高鳴る。向こうで微笑む彼女もそうであればいいと願う。この感情はこれで二度目だ。こんな夢はこれで何度目だ? あれは初めての恋だった。なら、これは二度目の恋だろう。夢のようなシチュエーションだからこそ、これが夢だと理解した。でも、夢だったら、したいことをしなけりゃ損だろう? それがたとえ、届かない恋だとしても)
受話器を吐息で湿らせた相良は周囲の「こっくはく!」の教唆に従い、叫ぶ。
「さきねえ、好きだ。この世の誰より愛してる。俺と、付き合ってくれ!」
吹雪が勢いを増す。春音咲の表情は変わらない。まるで現実に生きているかのように白い息を吐き出して、湿った受話器から相良に向けた声が届く。
「ごめんね。翁馬くん」
相良は静かに頷いた。
(一周回って「そんなもんだ」と達観して、笑顔と共に低い自己評価を下す。フラれて、悲しかった。夢の中でさえ届かなくて、悔しかった。名前を呼ばれて、嬉しかった。初恋の幼馴染を思い出さずにはいられなくて、藍色の空に溜め息を吐いた。俺は今、ヴァーチャルユーチューバー春音咲に――さきねえに、ガチ恋しちまってんだ)
その恋は、ある恋の終わりによって始まった恋だった。
大好きだった幼馴染に恋敗れた相良は、つまるところ相良ではなくなってしまった。物心ついた時からの支えを失った彼は、今までの快活さとは打って変わってふさぎ込むようになり、目指していた皆勤賞も逃すことになった。
そんな彼を救ったのが春音咲というVチューバーだったのだ。
始めは、幼馴染に似た見た目に胸を打たれた。しかし、その典型的なアニメ声と母性溢れるキャラクターのギャップに惚れて、気が付けば恋に敗れて出来た心の穴を春音咲が埋めていた。
〈初めまして、みんなのお姉さん系Vチューバー、春音咲です。〉
何か特別な仕掛けがあるわけでもなく、既存のものにない何かがあったわけでもない。それでも相良は咲に惹かれる内に立ち直り、咲のファンは増え続けた末に今では世間に最も認知されているVチューバーの一人である。
(そうだ。はじめから届かない恋なら、恋に敗れて傷つくこともない)
相良の息が切れる頃には吐息と牡丹雪の白色が世界を覆い隠していた。
全てが冷たい色に覆われて、運河をまたぐ糸の赤色だけが残った。
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