【一本目】(次元が)一つ下の片思いの人に起こされたら【ドッキリ】
【一本目】(次元が)一つ下の片思いの人に起こされたら【ドッキリ】1
それから三度目の冬、鉄扉の閉まる音が虚しく響く。少女ではなく少年――
「おかえりなさい、翁馬さん。お疲れ様でした。今日は寒かったですね。お風呂はいかがですか?」
天井がスライドし、三十センチ四方の深淵が開く。
駆動音を伴って覗いていたのは、複数の鉄パイプとコードを束ねた腕と、シリコン製の五指――金属製のアームが相良に伸びる。
「いい」
出迎えて鞄と上着を預かるパートナーの代わりにマフラーを回収し、アームが天井に消えていく。天井は継ぎ目なく、元の姿を取り戻した。
「かしこまりました。ご夕食はいかがいたしましょう?」
「カップ麺食うから、お湯」
「かしこまりました。一分後にお湯が湧けます。お召し物を変えるようでしたら」
「いい」
「かしこまりました」
電気が点き、玄関の鍵が閉まり、暖房が勢いを増し、キッチンがお湯を沸かし始める。会話のログが靴箱の上の11インチのモニターに表示されていた。相良は自動で行われるそれらを気に留めず、自室に向かう。玄関を超え、水場の前を超え、ダイニングとキッチンを超え、その先。直進した先の最も生活感のある部屋が相良翁馬の自室である。
二〇二六年、日本。家具家電の多くにオートメイション機能が搭載され、都心のマンションを始めとした一部の住宅では、住宅そのものにオートメイション機能及び機械学習する人工知能が設けられていた。
炊事洗濯清掃まで住宅内のどこにいても音声一つで行えるなど、住居そのものがハウスキーパー的な側面を持つことから始めは富裕層に好かれ、今ではシェアの8割がオートメイション機能搭載の住宅になるほど世間に広く浸透している。
相良が自室に入ると同時、室内灯が点灯する。ワークチェアに座り机に向かうと自然とデスクライトが点灯し、据え置き型PCの電源を点ける。〈MILKYWAY〉と社名と天の川を表したロゴが流れ、パスワードと虹彩認証をクリアして、開いた画面には前日に開いたままだったウェブページが映し出されていた。
マウスの上に手を這わせ、更新したSNSに軽く目を通し、目当てのアカウントのホームへ飛ぶ。彼は帰宅前にスマホで確認した内容と変化がないのを確認すると同じ画面内のURLからさらにYouTubeのホームへ飛び、F5を連打――している内に家が命令の完遂を報せた。
「お湯が湧けました。カップラーメンにお湯を入れますか?」
「カレー味」
「かしこまりました」
F5から指を離し、画面端のデジタル時計を見る。18時2分、いつも通りであれば彼女の動画が公開されている時間だったが、スマホを見ても通知が来ていないことを確認すると、鞄と上着を床に放り、再び机の上のスマホを手に取った。
『さきねえの動画マダー?』SNSの投稿画面にそう打ち込み終わると同時、送信ボタンに触れるより先に、通知のポップアップが画面上部から出現した。「っと」
新着動画〈【巨大化】街を破壊してみた【ゴジラ春音咲】〉
スマホを放り、PCで開いたままのページを更新、近年世間を賑わせているヴァーチャルユーチューバー〈さきねえ〉こと
二〇一七年から話題に上がり、元来の動画投稿者に代わって動画に登場させるキャラクターがヴァーチャルユーチューバー――通称
「おはよっ。あなたに恋するヴァーチャルAI、春音咲です」
今、相良の見ている動画の中では日光をふんだんに取り入れた一般家庭の玄関のような背景に少女――というよりは、女性というべきキャラクターが立っていた。暖色系でオフショルダーのニットワンピースを押し上げる包容力の高そうな胸に目を引かれ、次に、胸より細くくびれた腹部を飛び越えて、ほどよい太さの絶対領域の白さとガーターストッキングのコントラストに視線が下がる。最近の寒さについて世間話を続ける口元、右目の下の泣き黒子、ゆるふわ茶髪のボブヘア、と大抵の男は――もとい、見る者が見れば、このように視線が誘導される。
相良翁馬も例外ではなく、『いちこめ』と我先に打ち込んだ後は一通り目を奪われてから少し迷って『さきねえにバブみを感じておぎゃる。最高に尊い』と無表情にコメントを追加した。
「というわけで、今日はおっきくなって街を破壊してみようと思いまーす!」
たしか世間話は「最近本当に寒くて」という話だったはずなのだが、この計算しているのか計算していないのかわからない天然がVチューバー春音咲の見どころでもある。
街を破壊している内に別の春音咲(どうやら別人格らしい)が現れ、特撮並みの派手なエフェクトと春音咲が戦闘のプロではないことを伺わせるアクションで正義感に怒った表情の春音咲が悪巧みした表情の春音咲を倒した。
「三分間経ちました。カップラーメンを取りに来てください。三分間経ち「すぐ行く!」」
家の声に従って動画を止めると、映像下部にバーが出現し動画の七割が終了していることがわかる。重い腰を上げ、相良は滑るようにキッチンに駆ける。廊下の電気が勝手に点き、ダイニングの電気が勝手に点き、キッチンの電気が勝手に点き、テーブルの上にカップラーメンを見つける。蓋の端が微かに開き、蒸気を上げていた。ご丁寧に割り箸まで用意されていた。
PCの前に戻るや否や七割で止まった動画の再生ボタンをクリックすると「ありがとう」も「いただきます」も言わずにカップ麺を啜り始めた。何年経っても味の変わらない安心感に――進歩しているのだとしたら申し訳ないが――表情を変えることもなく、「三度の飯より春音咲」とでも言わんばかりに画面を食い入るように見つめ、大人びた見た目とのギャップを感じさせる幼い――舌足らずで甲高く、鼻にかかるような甘ったるいアニメ声に耳を傾ける。
「ところでみんな、明後日は何の日か知ってる? そう、バレンタインデー! そこで私、春音咲がチョコのお渡し会をしたいと思います。いよいよ、この日が来ちゃったね……というわけでスクショターイム! 詳細はこちら!」
場所、土屋町環水公園。日時、二月十四日の午後六時から午後九時まで。
SNSで検索すると、既に幾つかの企業も巻き込んだ管理委員会も設置されているらしい。曰く、町全体を巻き込んでプロジェクションマッピングを使用したバレンタインデーの催しのようだ。バレンタインデーの日に、デートスポットでなんて、炎上しても不思議ではない。それを知ってか知らずか「大雪になるらしいので気を付けてくださいね! あ、機材は少し古いですけどバッテリー式なのでイベントが中止になることはないと思います」と、彼女らしい心配と今時憂慮以外の何物でもない心配をして「それじゃあ、弟君っ妹ちゃんっ、おやすみなさーい!」と、動画を締めた。
相良はカレーヌードルを平らげるより早く、春音咲がSNSで更新したイベントの告知に『今日の動画、風邪っぽかったし気を付けろよ』と打ち込み、自作のダウンロードソフトで今日の動画を保存した。この2~3年は回線事業の発展も目覚ましく、2時間超の動画であれ最高画質であれ、ワンクリックの間に保存が完了する。
これは、天ノ川マンションを始めとするミルキーウェイ社系列の会社を中心に近年実装された同社製の超高速回線〈ANEMONE〉によるものである、
スマホにもバックアップする為の有線接続を充電開始の表示を確認すると共に完了させ、春音咲の過去動画の自動再生を始めた。そうして、相良翁馬は画面の向こうにいる彼女へ思いを馳せる。感慨深く、まるで恋する乙女の如く、溜め息に似た声が漏れる。
「さきねえ、すこだ……」
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