同居人

蛙鳴未明

同居人

 家に一歩足を踏み入れて、彼女は眉をひそめた。サンダルが玄関のあっちとこっちに転がっている。ため息を吐いて、廊下の奥に首を伸ばす。


「ちょっと~?!靴散らばってんだけど~」


「あ、やっべ!」


 バタバタ音して、髭もじゃの男が出てきた。


「悪い悪い」


 彼は頭をかきかき、サンダルを靴箱に突っ込んだ。彼女は腰に手を当てて目を細める。


「ちゃんとご飯作ってんでしょうね……」


「もちろんだよ。俺が忘れる訳……」


 彼はぶつぶつ言いながら廊下の奥へ。彼女は後を追う。


「今日何?」


「鶏鍋」


 彼がドアを引くと、ちゃぶ台の上にコンロが乗って、その上で土鍋がグツグツいっていた。良い匂いが漂う。彼女はちょっと驚いたように彼を見る。


「あんた、鶏肉嫌いじゃ無かったっけ?」


「いや……ほら、お前鶏好きだろ?」


 彼はぶっきらぼうに言って炊飯器を開ける。彼女の目がまん丸になる。


「あんた……なんかあった?いっつも自分の好きな物しか作んないのに……」


「……たまにはお前が好きなもん作ったって良いだろ。そんなことより、ほら、食おうぜ。」


 彼女は彼に促されるまま座布団に座り、ご飯をよそう彼を眺めた。彼は照れたような顔で二つ茶碗を並べ、彼女の前に座る。


「じゃ、いただきます。」


 鍋蓋を取ると、蒸気が部屋に満ちた。二人はしばらく無言で鍋をつつき、酒缶を開ける。彼だけが終始ニコニコしていた。やがて腹を満たした彼女は、床に手を着いて不思議そうに彼を眺める。


「ねえ」


 彼女が口を開くより先に彼が言った。


「名前、なんだっけ」


「はぁ?」


 彼女は思い切り怪訝な顔をして、それから思い切り吹き出して大笑いした。不思議そうな彼が見るなか、涙をぬぐう。


「あんたいきなりどうしたのよ、今までお互いの名前なんか気にしたこと無かったじゃない!」


 彼は困ったように笑った。


「そういや……そうだな」


 彼女はクックと笑いながら、彼を見つめる。


「何よ明日死にでもするの?バカ言ってないで早く寝たら?」


 彼は一瞬真顔になり、それからまた困ったように笑った。彼女はそれに気付かず、体を捻って背後の大きいクローゼットに手を伸ばす。


「ほらほら早くここに……」


 クローゼットの扉を引いた途端、何かが彼女に倒れ込んできた。彼女は悲鳴をあげてその冷たい何かを押し退ける。重い固い何かが彼女の太ももに直撃した。そっちに目をやって、彼女は更に大きな悲鳴をあげた。


 目の前で、血みどろになった髭もじゃの顔が虚ろな目でどこかを見つめている。彼女は訳も分からず、混濁した頭を後ろに振り向ける。髭もじゃの誰かと目があった。


彼は満面の笑みだった。

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同居人 蛙鳴未明 @ttyy

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