3話 狩人

 米軍兵士が逃走した街を、男は黒い刃を片手に歩く。


 刃渡り一メートルを越す巨大な刃は、背にはギザギザになった部分がある。外観だけ見ればサバイバルナイフにも似た風貌だ。名前は無いが、狩りにも適した愛用の武器だ。

 長く垂れた白い髪は、暗い街の中でもよく目立つ。その髪をかきわけて生えた二本の角は、鬼そのものだった。

 彼の姿を見た者たちは、こそこそと暗い闇の中へと姿を隠す。餓鬼がこれだけ溢れ、魑魅魍魎どもが跋扈しても、人間がいなくなったわけではない。


 ねじくれて崩壊した街には、あちこちに手作りのバリケードが築かれたり、炎上した跡がある。各地のコロニーに入れないあぶれた人間たちは、そこかしこに隠れるように住んでいるのだ。とはいえ、そのコロニーでさえ新しくできては消えを繰り返しているようだから、安定にはほど遠い。


「た、たすけてくれっ」


 どこかであがる悲鳴は、不運にも餓鬼に見つかって食い尽くされている最中か、同じ人間から略奪にあっているかのどちらかだ。

 そうかと思えば、一匹の餓鬼を数人がかりで取り囲み、リンチにしているグループもいた。蹴りつけて弱ったところを一人が抑え込み、膨れた腹を表にする。もう一人がその腹を躊躇なくナイフで切り裂く。中にたまった腹水を飲み水にするためだ。かと思えば、ムカデのような魍魎を捕まえて切り刻んで食糧としている者たちもいる。

 ときおり行われる配給にありつけない者たちは、そうして日々の糧を確保するしかない。そこまでして生き残りたいのだろうか。反吐が出る。

 かつては軍隊が頻繁に掃討作戦を開始したり、穴の中へと突入したが、長続きしたところはなかった。自分たちのところで手一杯になったのだ。なにしろ噴き出した魔物は日本だけに留まらなかったのだから。


 男は足を止めた。

 さっきからずっと、誰かから後をつけられている。


「いいご身分だな、白髪鬼!」


 緩慢に声のほうへ振り向くと、武装した男が一人、立っていた。

 男の名は狩人。禿げた頭に世界各国の兵士の武装をした男だ。いったいどこの兵士なのかちぐはぐだが、間違いないのは日本語を喋っていることだけ。元自衛官だとうそぶき、このあたりで散った兵士たちの武装を奪って自分のものにしている「狩人」だ。

 もちろん本名ではない。ただの自称だ。この地区の自治担当という触れ込みで、助けた住民を脅して物資を奪い取る。評判はすこぶる悪い。


「お前もそろそろ俺に殺されたらどうだ。ああ?」

「……そういいながら、お前は突っかかってはこないんだな」


 白髪鬼のやり方はわかっているはずだ。

 手を出したら死ぬ。

 それだけだ。


「お前はそうやって気取っているつもりなんだろう」

「……それは自己紹介か? 自称ハンター」

「よっぽど死にたいらしい」


 剣呑な空気が流れる。

 だがそれも、人間の足音が聞こえてきたことで打ち破られた。


 白い服を着た兵士たちが数人、足をとめる。


「……『白髪鬼』だな?」


 赤い瞳が胡乱に兵士を見た。


「なんだ、お前ら」


 答えたのは狩人だった。


「我々は『太陽の子』の者だ。きみに大切な用事がある。共に来てもらいたい」


 返事をする前に、物陰から小汚い服装の中年男性が飛び出してきた。


「あ、ああっ! 頼むよ、あんたら!」


 縋るように躍り出ると、両手を合わせた。配給だと思ったのだろう。


「すみません、今日は配給ではないのです」

「そ、そんな」

「ですが、一人で危険を冒してまで助けを求めた者を見捨てたりはしません。貴方だけ、これは特別です。どうぞ」


 一人が自らの荷物から食糧とペットボトルを取り出した。


「貴方に太陽の加護を」

「あ、ありがとう、ありがとう!」


 小汚い中年男は喜び勇んで帰っていった。その背を付け狙う人間たちがいることには気付いていなかった。貴方だけ、と言ったのは、周囲に聞かせるためだったのだろう。あとは運次第というわけだ。気分が悪い。

 だがそれ以上は兵士たちにも知ったことではないのだろう。


 狩人はその茶番に、周囲に聞こえるほどの舌打ちをした。


「……知っているぞ、『太陽の子』」


 白髪鬼のあげる声に、兵士は少しだけ驚いたように息を吸った。

 喋るとは思っていなかったようだ。


「ご存じでしたか」

「知らないわけが無い。あの訳のわからないものを信仰している胡散臭い奴ら」


 兵士たちが一瞬身構えた。


 新興宗教組織『太陽の子』。

 冥宮出現以降に表に出始めた、幹部たちは神主や巫女のような衣服に身を包んだ組織だ。冥宮から一度だけあらわれた赤黒い腕を、神と崇める連中だ。

 忌々しいことに、危険なコロニー外に出向いて配給を行っているため、住人たちの印象はすこぶる良い。あっという間に人心を掌握し、もはや新興宗教という名称すら忘れかけられている。


「ちょうどいい。お前達も潰したいと思っていたところだ」

「ですが、我々はまだ手を出していませんよ」


 男の眉がピクリとだけ動いた。

 だが男が何か言うまえに、狩人が動いた。


「おいおい、信徒さんたちよ。黙って聞いてりゃ好き放題言いやがって。こいつは俺の獲物だ。それを横取りしようってか?」

「横取りではありません。我々は力を持つ者に手を借りたい。それだけです」

「へっ、それじゃあ俺でもいいじゃねぇか」


 狩人は自分を売り込むように言った。


「俺だってこのクソ溜めみたいな街でうまくやってる。化け物どもだって殺してやった。こんな化け物を連れていくよりは、自治会長の俺様のほうがアンタらの評判も落ちない」


 それから付け加える。


「それに、いま聞いただろう。こいつはお前たちを潰すつもりだぞ」


 それで終わるのならば、男としても都合が良かった。

 ただでさえあの赤子を崇めているような頭のおかしな連中に、関わり合いたくなかった。


「それでも、ですよ」


 たったそれだけの言葉で、兵士は断った。お前はお呼びではないと言いたげだ。

 さすがの狩人も憎々しげに兵士を睨む。


「なら、俺がこいつをぶっ殺せば、その仕事は俺に回ってくるんだな?」


 兵士たちはお互いの顔を見た。


「……ええ、まあ。その時は仕方が無いでしょう」

「ようし」


 気が乗らなかった。

 だが、目に見えるほどの殺気を放ちながら、狩人は素早く銃を撃ち抜いた。


「いい機会だ、白髪鬼。ぶっ殺してやる!」

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