1章 白き鬼、贄の少女と出会うこと
1話 白髪鬼
二人のアメリカ人兵士は、息を荒げながら走っていた。
部隊は自分たち二人を除いて全滅。他の部隊からの連絡も、既につかない。
ねじくれた植物の絡みついた建物の影に身を隠し、振り返ると銃を構えた。何発か発射する。闇の向こう側からキィキィいう声と、ドサドサと倒れる音が聞こえた。再び身を隠す。
座り込んで、息を整えようとした。指先が僅かに震えている。どんな厳しい特殊訓練だって、いまのこの状況に比べればずっとマシだった。
「まだやれるか、ジョー」
「な、なんとか……」
顔から流れる汗と土と混じり合った血を拭う。久々の小さな痛みに、生きているという感覚を覚えた。取り出した小さなタブレットを飲み込み、舌の上で溶かした。ただの化膿止めだが、無いよりはマシだろう。
「フランク……、奴ら、本当にゴブリンだと思うか?」
「上の奴らはみんなそう呼んでるから、そうなんだろ」
「ははっ、言えてる」
ジョーは嘲笑うように吐き捨てた。
襲ってきた”奴ら”は子供ほどの身長しかなかった。人種もわからぬほど薄汚れた肌に、骨がわかるほど痩せた身体。骨と皮しかない枝のような手足。落ちくぼんだ瞳。ぶっくりと膨らんだ腹だけが異様さを放っている。
腹水がたまったようだ、と誰かは言ったが、そんな存在が群れをなして襲ってくるなど考えもつかなかった。じっさい飢えたように人にしがみつき、ギィギィ鳴きながら次々に仲間を食らっていったのだ。
この任務が何故過酷と言われたのか、日本で本当は何が起きていたのか――いやというほど思い知らされることになった。
ときおり闇の中を確認しながら、奴らの気配を探る。
「外人部隊にいた日本人が言ってたよ。ありゃゴブリンじゃなくて『餓鬼』だってな」
「ガキ?」
「妖怪の一種だと。罪を犯した人間がなるらしい。常に腹を減らしていて、何を食っても決して満たされることはない」
「……ははははっ。ゴブリンよりは的確だな」
ジョーはどこか遠い目で笑う。
「なら、……なら、俺達は……、どんな罪を犯したっていうんだ」
フランクは呟くように言う彼を横目で見た。何も言葉を返すことができなかった。その代わり、気を取り直すように上半身を起こす。
そのときだ。
パパパパッ、と乾いた銃声が響いた。ハッとしたようにお互いの顔を見る。
「生き残りの部隊だ。運が向いてきたぞ、ジョー!」
ゴーグルを下ろし、ジョーの背を叩く。立ち上がり、急いで合流するために飛び出した。軍の特殊部隊兵士が三人、銃を撃ちながら後退している。一瞬走ってくる二人へ視線が飛んだが、すぐさま銃口の先へと戻った。
フランクはマシンガンの準備をしながら、声をかける。
「どうだ、状況は!」
「見りゃわかるっ。最悪だっ!」
「”ヒーラー”は? どうした!?」
「錯乱しちまった!」
フランクは舌打ちしてから引き金を引いた。
戦況は悪くはなくなったが、いいとも言い切れない。仲間のうちの二人はマシンガンをどこかで落っことしてきたらしく、弾切れを起こしては急いでリロードするのを繰り返す。だが、それでもジョーがなけなしの手榴弾を投げつけて爆発が起こると、キィキィいう音が次第に無くなった。
やがて銃声がやみ、土煙の舞う中、ふぅ、と誰ともなく息を吐く。
その場にいた全員がお互いの顔を見つめたそのときだった。
仲間の一人が突然、悲鳴とともに視界から消えた。
地面に倒れたその顔には、餓鬼が飛びついている。
「むごおおっ! おごおっ!」
ゴーグルの下の皮膚にむりやり噛みつかれ、口を塞がれている。声をあげながら足をバタつかせ、餓鬼を引き剥がそうとする。
「こいつっ!」
フランクが餓鬼を蹴りつける。ギィギィと鳴く餓鬼をむりやり剥がすと、僅かに肉の剥がれる音と悲鳴が響いた。構わず餓鬼を地面に叩きつけ、ぶくりと膨らんだ腹を上から踏みつけた。ギャアッと奇声を発する口元は真っ赤で、ところどころ歯抜けになった牙に肉が引っかかっていた。何度か腹を強く踏みつけると、ぶじゃっ、と中で小さな破裂音がした。ハンドガンを取り出し、頭に数発ぶち込んでやる。
頭の肉が飛び散り、周囲に散った。弾切れを起こしてカチカチと音が鳴る。餓鬼は死んでいた。ハンドガンを下ろし、息を吐く。
「お……、お、おれのっ、おれの、くひがっ……くひがああっ……」
その声に振り返る。餓鬼に襲われていた男が、ガクガクと震えていた。
左側の唇から顎にかけての肉がべろりと剥がされていて、歯茎が露出している。今までそれ以上のものを見てきたっていうのに、逆に痛々しい。
彼の精神は限界寸前らしかった。ひっ、ひっ、と小さな声をあげて、剥がされた顎をかきむしろうとする。他の仲間が必死に腕を止めていた。
「触るなっ。しっかりしろっ、基地に戻れば”ヒーラー”がいるっ!」
ハァハァと息を整え、フランクは周囲を見た。だがその途端、眉を顰めて声を失った。そこには先程よりも多い数の餓鬼たちがいたのだ。取り囲まれている。その中には餓鬼ではない多くのもの――単に魔物やモンスターとも呼ばれる――魑魅魍魎も混じっている。
「こいつら……」
銃を再び構える。もはや無駄撃ちなどしていられない。
口をやられた仲間もなんとか立ち上がり、震える手で銃を構えた。一人はその背を叩きながら銃を取り出し、もう一人はマシンガンを構えた。ジョーも手榴弾を取り出し、フランクも銃を構える。
一斉に引き金を引いた。
音を合図に、ギィギィと魔物たちが飛びついてくる。
――クソッ、キリがねぇ……!
弾丸数だって限りがある。こんな時ヒーラーのような能力持ちであれば、どんなに良かったか。攻撃に特化した能力が発現する奴だっているのに、何故自分は違うのか。何が要因なのか。ギリ、と歯ぎしりをする。
「う……ああっ、やめろっ、やめろ……く、くるな、……あ」
口から流れる血を押さえて後退していた背後から、餓鬼が飛びついた。
「あぎゃああああっ!」
引き倒されたが最後。血に誘われた餓鬼が次々と飛びつき、あっという間に動きを止められた。
「いだいっ、いだいいぃっ! だずっ、だずげでっ! だれっ、がっ」
仲間が銃を向けて何発か撃ち込んだが、キリがなかった。魔物たちの下で暴れていた足がやがてびくびくと痙攣し、声が消え、やがて動かなくなった。集団から弾き飛ばされた二匹の餓鬼が、べったりと汚れた髪の生える頭皮を奪い合っている。誰かの銃が二匹の餓鬼を撃ったが、それで終わりだった。
マシンガンを持っていた一人が、カチカチという音に引きつる。なんとかマガジンを取り替えようとして、震える手で何度も失敗した。その頭に魔物が食らいつき、続いて餓鬼の集団がばたばたと手足に食らいついた。装甲の無い場所から次々と食らいつき、やがて見えなくなった。
フランクはなるべく見ないようにして、前だけを見続けた。だが、足は次第に後ろへと下がっていく。
跳び上がった餓鬼に銃口を向けて撃ち抜く。だがその眼前に、魔物の群れが迫っていた。
目を見開く。駄目だ――。
だが、フランクの目の前にいた餓鬼の集団は、唐突にズパッと上半身と下半身とに分かれた。すぐさまその隣にいた数匹も、鋭利な刃が横から通り抜けたように二つに分かれて地面に倒れる。
餓鬼の声が響く前に、奥の闇の中から白い影が躍り出た。黒い靴が大地を踏みしめると、人ほどもある巨大な黒い刃が振るわれた。反対側の数匹を文字通り狩り尽くす。その鋭い瞳と一瞬目が合う。
「あ……、お、おまえ、は……」
あまりにもあっけない音を立てながら、黒刃が魔物を切り裂いていく。アジア人にしてはやや高い身長と、筋肉のついた身体。黒いコートが翻り、白い髪が踊る。その髪の間から、赤い瞳が覗いた。
「うあああああっ!」
悲鳴とともに、銃がそいつにも向けられた。
「やめろっ! やめるんだ! 奴に手を出すなっ!」
フランクの声はすぐには届かなかった。
弾切れを起こしたことで銃声がやみ、仲間が引きつった顔で後ずさる。
白い影は、自分を攻撃した者を許さなかった。一歩も引くことなく、ただ黒い刃が空を切る。
何かが潰れる音がした。銃を撃った仲間が胸から上下に分かれた。装甲ごとだ。それが倒れもしないうちに、返す刃で尻と足が分離する。それっきりだった。
「……ホワイト・オーガ……!」
フランクは唇を噛んだ。
軍の上部がつけたホワイト・オーガなんて名とは裏腹に、黒い衣服と黒いコートに身を包んだその姿。白い髪の隙間から覗く赤い瞳は、本来白目の部分が真っ黒だった。そして何より異様なのが――髪をかきわけて生えた二本の角だ。
その姿はまさに鬼の名が相応しい。
オーガよりも的確なその名は、日本で付けられた。
『白髪鬼』――それが男の呼び名だ。
「……逃げるぞ、ジョー。ここは分が悪い」
「あ……あ……」
「早くしろ。運が良かったと――」
だが、ジョーの震えはおさまらなかった。
「くそっ! くそっ! この化け物があぁぁっ!」
「やめろジョー! ジョー!!」
制止の声も届かず、ジョーは銃を撃ち続けた。
弾丸はオーガと呼ばれた男を撃ち抜く。
「やめろと言ってるっ!」
フランクはジョーに飛びつき、マシンガンを奪い取ろうとした。ジョーはうめき声をあげ、目を血走らせながらなおも手を離さない。やがて弾が先につき、ジョーの叫びのような呻きのような声だけが響く。
フランクはハッとして、男を見た。
土煙の中で、男は微動だにしなかった。だが緩慢に手ぶらなほうの腕を動かすと、服の上から身体に指先を突っ込んだ。ぶしゃりと小さく血を噴き出させながら、めりこんだ弾を取り出す。黒く長い爪がゆっくりと開くと、からりと弾が落ちる。
ジョーの顔が引きつった。眼前に、黒い刃が見えた。ジョーの視界は左右に広がり、フランクは支える身体が軽くなったことに気付いた。どさり、とその場にジョーの左半身が転がる。ジョーの頭は脳天から股ぐらまで一気に引き裂かれていたのだ。半分になった腸が中から飛び出してくる。
「あ……」
フランクは小さく声をあげ、半分になったジョーの身体を離した。刃を振り抜いた状態の男が、ゆっくりと顔をあげる。白い髪の間から、赤い瞳が見上げていた。フランクを見る。
「……俺は止めたぞ」
フランクはつとめて冷静になるように言った。
日本語のほうが通じたかもしれないな、などと、自分を落ち着かせるために考える。
男はしばらくフランクを見ていた。侮蔑するような目に思える。自分だけ助かろうとした――そんな風に言われているようだ。だが、そう言うしかなかったのだ。男はふいっと視線を外すと、巨大な黒い刃を引きずりながらきびすを返した。
あきらかに体格に合っていない黒刃を肩にかけ、闇の中へと歩いていく。見せることさえ厭わないその背中を、フランクは無言で見送る。
フランクはその姿が闇の中に消えてから、息を呑んで走り出した。
走って、走って、走って、ようやく『基地』に無線が届くところまで走ると、震える手で子機を取りだした。
「こちらG1。全滅だ! ほとんどはゴブリンどもと……ああクソッ、『白髪鬼』だ! 奴が出た。奴がゴブリンどもを駆逐して……、おい、聞いてるか? 応答せよ、こちらG1だ!」
何度呼びかけても、返事は無かった。
ギリ、と子機を壊れそうなほどに握りしめる。
それがすべてだった。
フランクは今にも泣き出しそうな顔で、なにもかも振り切って走り出した。もはやどこへ帰ればいいのかもわからなかった。
「ああ……くそっ、くそっ……、俺は日本が好きだった。好きだったんだよ……」
かつて名古屋と呼ばれた地で、フランクは走る。
ひたひたとついてくる魑魅魍魎を振り切るように。
姿を変えていく建物群、荒れた大地、そして跋扈する異形。巨大な穴――『冥宮』より這い出た何かは、確実に何かを変えてしまった。
だがこれが今の日本の、日常風景のひとつだった。
*
誰もいなくなった戦場を、白い衣服を着た兵士達が数人、建物の上から見下ろしていた。
「……見つけました。『白髪鬼』です」
無線などは持っていなかった。手を耳に当てただけである。
だがたったそれだけで、彼は何者かと会話を成した。
「了解。まずは交渉を視野に。決裂した場合は捕縛行動に切り替えだ。では、行くぞ」
その言葉を合図に、彼らは頷き、動き出した。
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