魔王の台頭 4

 このサヴラールでの戦いにおいて、ルジン・カーゼムの予測もすべてが的中したわけではない。

 大きく二つほど、誤算もあった。


 一つは、ロースタルの部隊から脱走した者たちが、隠された通路を使って地上を目指したことだ。

 それは地上に展開していた《転生者》たちに、新たな突入口を教える結果になった。


《転生者》に発見され、脱走者たちは一人も残らなかった。

 そしてなだれ込んだ《転生者》たちは、第四層へと速やかに到達した――目指すのは、さらに下層である。

 これに対して、四層の下降口を抑えたメリュジーヌたちは否応なしに防戦せざるを得なくなった。


 すでに広間に設置された《水晶》は破壊していたが、単純な物量が押し寄せてくると、メリュジーヌたちでは厳しい。

 あるだけの罠を使って足止めをしても、こうした戦闘はワイバーンやグリフォンたちの本領ではない。本隊から割かれた騎馬隊も同様だ。


 出鼻をくじくような攻撃を繰り返しながら、徐々に追い詰められることになる。

 最終的には、結界柵を築いてその内側にこもるしかない。


「こんな戦い、やってられねえな」

 と、フェルガーなどはしきりとぼやいていた。

 ぼやきながら、銛のような矢を振るい、結界柵を乗り越えようとしたソードマンを突き上げる。

「おれたちはワイバーンだぞ、空を飛ばんでどうする。貧乏くじを引かされたな――ルジンのせいだ」


「陛下に失礼なことを言わないで」

 メリュジーヌは言葉が厳しくなるのを止められない。

「黙って戦いなさい」

 曲刀を振るい、ソードマンの首を引き裂く。

 そうしながら、グリフォンたちにも指示を出す。指笛を吹くと、牽制のためにグリフォンたちが飛び掛かる。


「陛下はこの事態を予想して、私たちにお任せくださったに違いないわ」

「だといいんだがな。いつまで耐えればいいんだか」

「もう少し。必ず、陛下が終わらせてくれる」

 それがメリュジーヌの、唯一にして最大の希望でもある。

 翼をはばたかせ、高速飛行に備える。


「飛行して攪乱する。ついてきて」

 これには、フェルガーも片眉を吊り上げた。

「そろそろ危ないんじゃねえか? だいぶ押し込まれてるぜ」

「だから、押し返すわ。突破はさせない」

「しかしな」


「怖いなら別にいいわ」

 すでに、メリュジーヌは飛行準備に移っている。

「私と、グリフォンたちだけでやってくるから」

 こういう言い方がフェルガーには――彼らワイバーン部隊には効くことを、徐々にわかってきていた。


「――誰が怖がってるって?」

 案の定、乗ってきた。

 フェルガーたちは皮肉な笑みを浮かべ、結界柵に足をかける。メリュジーヌより速く舞い上がる。幸いにもこの広間の天井は高い。

「遅れるなよ」


 まだ戦える、とメリュジーヌは思う。

 ルジン・カーゼムが終わらせてくれる。



――――



 ルジンのもう一つの誤算は、バンディット部隊の動きだった。

 クリシュナは自らが先頭に立つ必要上、バンディット部隊をほとんど必要としていなかった。

 たいていのトラップは、クリシュナ自身の《祝福》で破壊することができたからだ。


 よって、クリシュナは後方においてバンディット部隊を編成し、分散して第五層の攻略に当たらせていた。

 戦術としては迂回攻撃に近い。

 その数は多く、動きは素早い。


 放置していれば、クリシュナとの第二戦を経て撤退にかかった兵たちが追い打たれることになっただろう。

 それどころか、ルジンの後退経路を遮断されていた可能性もあった。


 これに気づいて対処したのは、アングルボダの率いる歩兵部隊だった。

 特に、アルノフたちコボルト部隊は散々に走らされた。

(ひどすぎる)

 部隊長なんてやるものではない。誰よりも平気そうな顔をしていなければならないとは。

(いつまで続ければいいんだ)


 とはいえ、索敵能力においては、コボルトたちは卓越していた。

 数匹ごとに分かれたコボルトたちが分散して《転生者》を探し、人間の部隊が追いかける。

 この形で対処するしかなかった。


「遅れるな、遅れるな」

 と、アングルボダは繰り返し怒鳴りながら走った。

 彼女は驚くほどに俊敏で、疲れることを知らないようだった。疲れていたとしても、それを素振りにも見せない。


「また、いたぞ! 潰せ!」

 通路の先に見えた、四体のバンディットに突撃する。

 雄叫びをあげて森の民も続く。ラベルトが弓を射かけ、オズリューがコボルトたちと突撃をかけ、一体のバンディットをばらばらに引き裂いた。


「わたしたちの手柄だ」

 アングルボダは嬉しそうに笑い、戦斧を突き上げる。

「ルジン王、きっと喜ぶぞ。都市の兵隊や、メリュジーヌたちよりずっと多く《転生者》を倒している」


 それを聞いて、森の民たちは笑って顔を見合わせた。興奮して叫んでいる者もいる。

 動いては戦い、戦っては動く。

 そのぎりぎりの運動の中で、ある種の熱狂が伝染しつつあるかのようだった。


(すごいな)

 アルノフは次の敵を探すべく、コボルトたちに指示を与えながら思った。

(森の民はどうなんだろう)

 アングルボダはもともと特別だったが、彼ら森の民も疲れを知らないように見える。

 あまりにも不思議で、さらには疲れていたので、ついにはその疑問を口に出して聞いてしまった。


「生き残るためだ」

 何をつまらないことを、とでもいうように返された。

 そう答えたのは族長の娘を名乗る、トゥエという娘だった。筋肉質でよく日焼けした肌と、両腕と額の入れ墨がよく目立つ。


「ルジン王は思慮深く、恐れを知らず、常に諦めない。アングルボダ様たちを従えている。いずれ世界の覇者となるだろう」

 トゥエは真剣な顔で言った。

「そうなったとき、我々はルジン王にもっとも早くから付き従った一族となる」


 アルノフは口を半開きにして聞いていた。

 ルジン・カーゼムという人物に対して、とてつもない評価が与えられているのを目の当たりにしている。

(もしかしたら、本当にそうなるかもしれない)

 という予感もある。


 最初はそうは思えなかった。

 アルノフが挨拶をしたそのときは、ただの傭兵で、ワーウルフの《魔獣化》歩兵で、コボルト部隊の雑用係のようなものだった。

 だが、いまは現実として、二千を超える兵士を指揮している。


「――次だ! コボルトが見つけた!」

 アルノフが考え込んでいる間に、アングルボダが吠えていた。

「叩き潰せ! 誰もルジン王のもとに近づけない!」


 森の民が雄たけびをあげる。

 アルノフもその雄叫びに唱和したくなってきた。

(そうだ。もう戦いは始まってる。どうせ命を懸けるなら、本気でそう信じた方が思い切れる)


 走り出す。まだ耐えられる。

 ルジン・カーゼムがどうにかするだろう。



――――



 そうして、ルジン・カーゼムは第五層の最奥にたどり着く。

 連れているのは、ゴルゴーンとルベラだけだった。

 本来なら、この区画は封鎖されており、そもそもダンジョン設計の一部ですらない。


 薄暗く淀んだ空気。

 ひどく寒い。

 細長く、それほど広くもない部屋だ。

 最奥には一段と高い段差があり、いまはそこに、大きな椅子が備えられていた。まるで玉座のようだった。


「ゴルゴーン」

 ルジンは苦笑いをして、その椅子を指差した。

「本当にこれを持ってきたのかよ」

「はい。どうぞ、陛下」

 彼女は真剣にうなずき、ルジンに着席を薦めた。

「おくつろぎください。クリシュナは私が撃滅致します」


「いまくつろいだら眠っちまうよ」

 ルジンは笑って振り返る。傍らでルベラが唸り声をあげたからだ。

 クリシュナと、数体のソードマンが、慎重に部屋へと入ってくるのが見えた。


「来た。せっかくだから何か話でもしたいところだが」

 ルジンはクリシュナと相対する。正面からその姿を見る。

 まるで人間だ。黒い甲冑を来た、自分の倍ほどもある背丈の人間。


「俺はそんなに暇じゃない。ゴルゴーン、いいな?」

「お任せを」

「撃て」

 ルジンが指さすと、ゴルゴーンも同様の仕草をした。待ちかねたように右腕の『瞳』が開く。


 かっ、と、視界を閃光が焼いた。

 光の槍が放たれ、それはクリシュナの眼前で捻じ曲げられた。

 左手の剣を、前に差し伸べている。

 その刃の切っ先に阻まれたように、ゴルゴーンの放った光は床を抉る。


(やっぱり、いんちきだったな)

 とルジンは思う。

(こいつの《祝福》は、重さを操るなんて話じゃない)

 ゴルゴーンの光の『瞳』が届かなかったというのは、そういうことだ。もっと強力に、力の向きを操作する《祝福》とでも呼ぶべきかもしれない。


(ゴルゴーンの『瞳』で決まれば楽だったんだが)

 どうもそうはいかない。


 クリシュナが左手の剣を振るうのが見えた。

 ごおっ、と床が砕ける。

 万物を砕く力が、まっすぐにルジンへと走っていた。

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