魔王の台頭 3
戦況は、ほぼ予想通りに推移していた。
予想通りにクリシュナは先頭に立って前進してきたし、予想通りに最初の防壁はなすすべもなく圧壊させられた。
それが予測出来ていたから、秩序を保って後退することは難しくなかった。
混戦になる前に防壁を捨ててダンジョンの奥へと下がる。
ルジンはその最後尾で、ルベラとともに駆けた。
ときおりルベラは、
「大丈夫か、こいつ」
とでも言いたげにルジンを見上げる。
そのたびに、問題ない、とルジンは強がってうなずく。確かに恐れているし緊張もしているが、それはルベラぐらいにしかわかるまい。
他の戦線もうまくやっている。
メリュジーヌの部隊は《水晶》周辺を制圧しており、アングルボダも相手の迂回攻撃を防いでいる。
それどころか、逆に攻勢を仕掛けて動きを牽制しているところだ。
(でも、そのくらいは当然だ)
もともと、ブレイヴ個体の指揮下にない《転生者》というのは、その程度の動きしかできない。
通常は、物量と単純な戦闘力、クレリック種がもたらす不死性で圧倒してくる。
こうしてダンジョンに引きずり込んだ局地戦でなければ、その差がもっと響いてくることになる。そのことを考えるとたまらなく面倒だ。
しかし、そうでなければならない。
かつてルジンは、自分とベクトを拾った傭兵隊長に教わったことがある。
(軍隊を思った通りに動かすのは、楽しい)
特に、頭のよすぎる者が部隊を指揮すれば、その面白さに引きずられて戦いの目的が逆転してしまうことがある。
幸いにも、自分はそんなに優秀ではない――とルジンは感じている。あるいは怠惰であり、逃避する癖が強すぎる。
少なくともいますぐ全て投げ出して他人に任せたいと思うくらいには面倒だ。
(いま、ここ――サヴラール市の戦いを凌いでも、その先をどうすればいいか見当もつかない。だから、いまだけだ)
ルジンの意識は常にそこに向いている。
せいぜい局地戦での戦いが限界で、《転生者》との戦いなどさっぱり先が見通せない。その程度が自分の器だろう。
未来の戦い方を考えて、決めるのは、ベクトの役目だ。
子供の頃にそう決めたはずだ。
とにかく、どうにかここを凌ぎ切る。
ここを凌ぎ切ったら、サヴラールとの契約は終わりだ――思った以上に面倒なことになってきた。
そこまで悪い職場ではなかったが、ホルスカーと一緒に仕事をしていくのは考えたくない。
終わったらすぐに姿を消すべきだ。
――あのクリシュナを倒せたら。
背後から迫ってくるのを感じる――確実に追ってきている。
呼吸を落ち着かせる。
恐怖するのはいいが、それを体の動きに反映させてはならない。物事を真面目に考えるな、と言い聞かせる。
ただ機械的に走る。足を交互に前に出す。
「陛下。第二の柵です」
ゴルゴーンの声が傍らで聞こえた。
目の前には、撤退の第二線として準備した柵がある。
すでに配備されていた兵が、大きな弩を構えていた。壁や床に固定して使う弩で、一般に《雹》と呼ぶ。長射程で、強力な呪術を施した矢を打ち込むトラップである。
いまは、本来の設置場所からはぎ取ってここに据えさせた。
「よし」
ルジンは背後を意識しながら、足を速めた。
結界柵の内側へ飛び込む。それと同時に合図を出す。
「撃っていい」
弩が一斉に矢を放った。
先駆けていた数騎のナイトを射抜き、体の一部を吹き飛ばす。
追撃してくる一団の勢いが止まった。
「もう一度、今度は弓」
装填に時間のかかる《雹》ではなく、弓矢が放たれた。
森の民の長、ハドが指揮をとる弓兵たちである。その狙いはそれなりに正確だった。
が、矢はすべて届く前に地面に叩き落とされている。ばぎん、と、石畳の地面が砕けるのが見えた。
クリシュナが一騎、前に進み出ていた。
その剣をこちらに向けている。続けざまに射込まれる矢も、ことごとく見えない壁に阻まれるように落下していた。
剣をこちらに向けたまま、クリシュナは歩みを進めてくる。
あるいは、悠然と、という言葉がよく似合う気がする。
(なるほど)
ルジンはクリシュナと対峙しながら、背筋が強張るのを感じた。
(こいつは圧倒的だ)
その仕草の一つ一つが、あるいは漂わせている空気が、物理的な圧力をもっている気さえする。
いますぐにでも背中を向けて逃げたくなる。
(特に、この状況がよくない)
周囲の兵士は、ルジンの挙動に注目している。耳を傾けている。
自分の考えたことが間違っていれば、あるいは一つでも判断をしくじれば、どれほどの惨劇が起こるかわからない。
この場所に立たされたこと自体が間違いだとしか思えない。
少し迷う――この先の手を打つべきか。
メリュジーヌとアングルボダがうまくやっている。このまま持久戦に持ち込んだ方が、より有利なのではないだろうか?
兵を細かく運動させ、敵を疲弊させる戦い方もあるのではないか?
自分がやろうとしていることは、ひどい博打のようなもので、みんなの命をそれに巻き込むだけの結果にならないだろうか?
「陛下」
不意に、ゴルゴーンが口を開いた。
「クリシュナが近づいてきます。撃ちますか」
ゴルゴーンが右手を前に伸ばした。
彼女の表情には、少しも緊張した様子がない。もしかしると、子供のようにルジンの勝利を信じているのかもしれない。
「この距離なら、絶対に外しません」
「いや。やめとけ」
たいした度胸だ、と思いながらルジンは首を振った。
その平常心を少しは分けてほしい。自分はこれほど怖がっているのに。なんだか笑えてきた。そうだ――もっと不真面目にならなければ。
自分はすぐに忘れてしまう。
「出番が欲しいのか、ゴルゴーン」
笑いながら言う。ゴルゴーンは真面目な顔で直立した。
「はい。メリュジーヌたちが成果を上げている以上、私にも武勲の機会をいただきたく」
「張り切りすぎるな、その辺で寝ててもいいぜ。勝つ算段はもう整ってる」
もしかしたら、自信ありげに聞こえただろうか。
周囲が次の指示を求めてこちらを注視している。《雹》の装填も済んだ。
だったら、それに応えてやろう――ルジンは片手をあげ、また下ろした。
「トラップ動かせ。弩、もう一度斉射」
ごぉん、と、くぐもった音が天井に響いた。
それは連鎖し、乾いた音とともに砕けて、落ちてくる。単純なトラップ――とすらいえないかもしれない。
天井に仕込んだ呪巫筒を起爆させて、部分的に崩落させただけのものだ。
それでも、瓦礫を降らせることはできる。
(ロースタルの部隊の言っていたことが本当だとすれば)
ルジンは落下してくる瓦礫に目を凝らす。クリシュナが片手の剣を頭上に向ける。
(たぶん、これはぜんぜん効果がない)
ルジンの予想は、これも当たった。
瓦礫はクリシュナの頭上で、宙に浮くように止まった。いくらか小さな石と砂が零れ落ちたくらいだ。後方に続く《転生者》にも損害はない。
射かけられた《雹》の矢も、すべて届く前に跳ね上がり、天井に向かって突き刺さっている。
クリシュナの足を止めることさえできなかった。
ゆっくりとした歩みを進めてくる。ルジンを正面に見据えている。
(わかった。こいつ)
ルジンはすぐにまた片手をあげた。
(さては俺のことが嫌いだな?)
我ながら滑稽なことを考えていると思う――そして大声で告げる。
「逃げろ。あのクリシュナには、どれだけ数がいても勝てない」
これは本当のことだ。
普通のやり方では勝てない。
「予定通り、分散して撤退! 死ぬなよ、俺はクリシュナを引き付ける」
そのための手はいくつか考えているが、おそらく必要はないだろうと思う。
明らかに、クリシュナはルジンを見ている。
その存在を敵視していると、ルジンは確信にも似た感覚を抱いた。
(そっちがそのつもりなら)
決着をつける場所は考えてある。
どのように転んでも、そこが終着点になるだろう――どのような結果で終わるとしても。
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