魔王の台頭 2

「見えた」

 と、アングルボダは短く呟いた。

 その目は暗闇の奥にうごめく影を捕えているのだろう――少し遅れて、アルノフにもわかった。

《転生者》たちだ。クリシュナに率いられる群れの、最後尾にあたる。


《転生者》たちは、ダンジョン内においてそれほどまとまって進軍することはない。

 強力なトラップによる広範囲の攻撃の被害を防ぐためだ。

 十体前後の個体でパーティーを形成し、複雑なダンジョン構造を分散して行動する。そして第四層のような大きな広間では、複数のパーティーを統合した一群となる。


 いま、ダンジョンの闇の奥にいるのは、そうした分散行動をとっているパーティーのもっとも後方についている一団である。

(出番だよ)

 アルノフは剣を握りしめ、背後に続くコボルトたちに指示を出す。

 襲撃準備の意味を持つ、単純な指示だ。


(やれるかな)

 アルノフは緊張している自分に気づく。

 喉がやけに渇いている。頭の奥が痺れたような感覚。緊張しているのだ、とはっきりとわかる。

 いままでの戦いよりも、ずっとその度合いが大きい。

 その理由は、背後に続くコボルトたちにある。


 その数は二十。

 ルジンに頼まれ、このコボルトたちを率いることになった。小規模ではあるが、部隊長にあたる立場である。

 本来なら先輩であるオズリューやラベルトが先だろうと思ったが、ルジンはアルノフが適任だと考えているようだった。

 ルジンいわく、

「軽口が多くて、いちばん生意気だから」

 だそうだ。


 なぜそれが理由になるかは少しもわからなかったが、オズリューとラベルトも、少し安堵したようにアルノフを部隊長に推薦した。

(そうだ。少しも理解できないけど)

 と、アルノフは思う。

(ルジンさんが言うなら、もしかするとそういう人間は部隊長に向いているのかもしれない)


 アルノフが見るルジン・カーゼムには、ある種そういう神がかった部分がある。

 ろくに理由などない、おそらく本人にしか見えないであろう何かを感じていて、行動を起こすとそれが唐突に見える。

 神秘的でさえあるかもしれない。森の民の中には、そういう目でルジンを見ている者もいる。


 時折何を考えているかわからず、不安に感じる時もあるが、

(とにかく、ルジンさんの指揮でぼくらは生き残った)

 そのことだけは確かだ。

 そういうルジンが言うのだから、アルノフは自分が本当に部隊長に向いているかもしれない、と思える。


(……でも)

 と、アルノフは抗議したい。

 決して部隊長になど向いていたくはなかった。憂鬱な気分になる。

 おかげでコボルトたちに加えて、オズリューとラベルト、それに世話係補佐として預けられた数人の兵士の命まで預かることになってしまった。


 ただし、コボルトの中でもルベラだけは別だ。

 彼女は群れの長だが、ルジンの近くを離れようとしなかった。

(おかげで、こいつら、いまはぼくのことを群れの長だと思っている。それとも、代理みたいなものなのかな?)

 コボルトたちにはそれがわかるほどの知性がある。長に従えば生存率が高くなる――そういう信頼ほど、憂鬱なものはない。


「――いくぞ」

 アングルボダが大きな体を起こしたので、アルノフは思考を中断させた。

「仕掛ける。お前たち、遅れるな」

 片手には斧。もう一方で盾を構える。

 アルノフたちだけではなく、森の民にも告げていることだ。最も軽快に運動できる軍として、アングルボダがコボルトたちと森の民を率いることになった。

 これが、後衛に対する攻撃部隊である。


「メリュジーヌがすでに作戦を開始したそうだ」

 アングルボダは深刻そうな顔で言う。

「ルジン王の役に立つところを、アングルボダもしっかり示さないといけない。お前たちもそうだ。グリフォンや、ワイバーンどもには負けられない」

 戦場における彼女の言葉は、これ以上ないほど端的でわかりやすい。おそらくルジン・カーゼムの役に立つという、それ以外のことは頭にないのだろう。


「速く片付けて、早くルジン王のところに戻る。お守りするのは、アングルボダの役目だ」

 とも言っていた。


 実際、アングルボダたちに期待されている役目は、敵部隊後方の攪乱と遮断だった。

 コボルトたちと森の民なら、そういう細かい運動ができる。

 クリシュナ以外の《転生者》たちに迂回でもされて、ルジンの下に敵を送らせないように、遊撃的に動く。そうしながら、クリシュナとは徹底的に戦わない。

 それが役目だ。


(クリシュナが後退してきたら)

 ルジンは作戦を説明しながら、その場合についても言及していた。

(すぐ逃げろ。絶対に戦うな、死ぬから。とはいえ)

 クリシュナが後退するようなことは、恐らくないとも言っていた。

 先頭に立つであろうクリシュナの正面に、最大の脅威となる存在を配置するつもりだから――と。


 それはきっとゴルゴーンのことだ、と、アルノフはすぐに思い至った。

 メリュジーヌとアングルボダは不愉快そうな顔をしたが、結局はルジンの指示におとなしく従った。

 やはり彼女たちは、こと軍事面で最終的な判断を下す場合において、ルジンの意見を絶対視しているようなところがあった。


「始めろ」

 アングルボダが動き出した。

 その動きは身軽だ。いまは甲冑を着ていないせいだ――いかにも鈍重そうに見える彼女だが、その筋肉が躍動すると、獣のような俊敏さを発揮する。


 ルジンを防衛するための戦いではなく、敵を攻撃するための戦いである。

 このとき甲冑のないアングルボダは、機動的な部隊の指揮官として効果的に作用した。

 森の民は、ハド――ではなく、その娘と思しき女に率いられ、アングルボダに続く。声もなく、沈黙のまま走り出した。


「アルノフ――部隊長」

 背後から、オズリューの咎めるような声。それでアルノフは我に返る。

(そうだ。ぼくだ)

 アルノフは首を振り、己の役目を思い出す。

「いけ」

 指笛を吹く。コボルトたちが動き出す。あとは、敵中に躍りこむだけだ。


「アングルボダ様!」

 走りながら、誰かが――セイレーン兵の誰かが、声をあげているのが聞こえる。

「報告です。ルジン様の部隊が敵と接触。劣勢です。クリシュナの前進により、第一陣の防壁が崩壊。いまは後退を開始しています」


「うん」

 アングルボダはむしろ嬉しそうにうなずいた。

「さすがルジン王」

 そして血に飢えたコボルトのように笑う。

「遮る《転生者》どもを、みんな叩き潰せ」


 戦いが始まる。

 アルノフの隣を、オズリューが勢いよく駆け抜け、追い抜いていく。いつも神経質な彼だが、戦になると何かが吹っ切れたようにやたらと勇敢になる。

 そして、ラベルトの矢。

 正確な狙撃が、真っ先に敵中に飛び込み、ナイト種の後ろ脚を射抜いた。


(やるぞ)

 もう、声をあげてもいい頃合いだった。

 アルノフは雄たけびをあげ、コボルトたちとともに闘争の中に突っ込んでいく。


 あとは、ルジンたちがうまくやることを祈るだけだ。

 アルノフはあの、どこか神秘的でさえある、得体のしれない指揮官に希望を託すことにした。

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