魔王の台頭 1

 メリュジーヌは飛翔する。

 サヴラール市第四層、天井の高い大回廊を飛ぶ。


 ただし、全力でというわけにはいかない。

 背後にはグリフォンたちと、ワイバーンが続いている。

 彼らが追随できる程度に速度を落とし、頭の中に叩き込んだ地図をたどる。もどかしいぐらいに、走るような速さで。


 慎重に飛ぶ。

 万が一にでも察知されるわけにはいかない。

 とはいえ、偶然の遭遇だけは避けられない。《転生者》を発見した場合は、速やかに――増援を呼ばれる前に、始末をつける。

 それはさほど難しくはなかった。

 群れからはぐれたソードマンにバンディット――こちらに気づく間もなく葬った。


(ただし、あまり急ぎすぎてもよくない)

 と、他でもないルジンは言っていた。

(絶対にクリシュナとは戦うな。あいつが動き出してから、敵部隊の後衛を叩く)

 クリシュナは第五層での戦いでは、前線に立ってくるだろう。敗走してきたロースタルの部隊から聞き出したことだ。


 クリシュナは、その《祝福》で自軍を巻き込まないために、先頭に立たざるを得ない。

 そうでなければ恐ろしさは半減する。

 だから、とルジンは続けた。

 第四層に残す兵力は、クリシュナのいない有象無象にすぎない。脅威は低くなる。襲撃はたやすい。


 だから、メリュジーヌたちはここにいる。

 目的地は明確だ。第四層の広間――十分に近づいたところで、メリュジーヌはそれを密かに見下ろせる位置で降下した。身をひそめる。

 小さな緑の旗を振り、グリフォンたちを落ち着かせ、地上に留める。少しずつ慣れてきた。

(あとは、機会を待つだけ)

 味方の到来のことだ。


 サヴラールのダンジョンには、各階層を行き来する秘密の通路がいくつもある。

 それらは隠蔽されており、完全な上層との遮断はまず起こらないようになっている。

 その一つを使って、メリュジーヌたちはこの場所に到達していた。また別の通路を使って、サヴラールの騎兵たちが上がってくることになっている。


(《水晶》の防衛部隊を叩く)

 という、それがメリュジーヌたちに与えられた仕事だった。

 何があっても、五層で決着をつける。撤退はさせない、という方針が、ルジンが不機嫌そうに告げた結論だった。

 後退できなくさせて、決戦に持ち込む。


 人間同士の戦いで言えば、兵站線を切るという発想と同じ程度のものでしかない。

 また、その戦術的な意味もやや弱い。

《転生者》たちは兵站が切れても飢えて死ぬことはない。せいぜいが相手の余裕を削り、持久戦を難しくさせる程度だ。


 と、ルジン本人は言っていたが、メリュジーヌにはそうは思えない。

(必ずうまくいく)

 信じることができる。その理由は――


「このあたりでいいのか、隊長?」

 押し殺してはいるが、からかうような声が聞こえた。ことさら「隊長」という言葉を強調している。

(こいつは――)

 飛翔している間、メリュジーヌは背後から近づいてくる気配に気づいていた。

 確か、フェルガーという男だ――ルジンに対して馴れ馴れしい口を利く、不敬な男どもの一人だ。


(いまはまだ、仕方がない)

 ということで、メリュジーヌは彼への罰を不問にすることにしている。

 どうやらルジンの友人のようでもあることだし、あとでその愚かさに気づけばいい。かつての自分のように。


「あんた、ずいぶん真面目だな。無駄口は嫌いなのか?」

 無視していると、フェルガーは言葉を続けてきた。そういえば、とメリュジーヌは思う――彼らワイバーン部隊は軽口というか、無駄口が多い。

 彼ら空軍兵士の特徴なのかもしれなかった。


(仕方ない)

 相手はルジンの友人だ。最低限のやり取りには応じてやってもいい。

「――どちらかというとね、私は」

 だから、メリュジーヌは片眉だけを吊り上げて答えた。

「無駄口が嫌いというより、無駄口を叩くやつが嫌いね」


「あんた、口が悪いな」

 フェルガーの言葉には険があるが、言い方はそうでもない。

 むしろ面白がっている様子さえある。彼の部下には、噴き出して笑った者もいた。やはり、そういう連中なのだろう。

「貴族様ってのは、そういうものなのか?」


「貴族って?」

 メリュジーヌは目を瞬かせて、思わず振り返った。

「私が?」

「違うのか。金髪と青い目は、北方貴族の末裔じゃねえのか?」

「まさか」

 怒る気にもなれない。メリュジーヌは鼻で笑った。


「生まれた家はそうだったかもしれないけどね。物心ついたときには、都市を転々としていたわ。自由民っていう馬鹿げた言葉が生まれる前だったから、奴隷ね。ただの」

「そりゃ意外だな」

 フェルガーはわずかに表情を動かしかけ、すぐに消した。

 憐憫の表情を少しでも見せたら、強制的にでも黙らせるつもりだったが、かろうじてそれは堪えたようだ。


「てっきり貴族のお嬢様が、跳ねっかえりで傭兵やってるもんだと思ってた。それで《魔獣化》はちょっとやりすぎだがね」

「残念ながら、外れね。ルジン陛下に拾われるまで、私には家族なんていなかった」

 当然、メリュジーヌはそのときのことをよく覚えている。

(忘れるはずがない)

 と思う。


 戦火に包まれた氷壁都市ヒウニッテだった。

 あのときメリュジーヌは、死んだ『飼い主』の下から抜け出し、死を覚悟して「見張り台」と呼ばれる建物に逃げ込んだ。

 生きることを諦めかけていた、といえば、そのようにもいえる。

 もっと単純にいえば、ただ、追い詰められて自暴自棄になっていた。いわば逃避的な気分だった。


「見張り台」は、街のもっとも外郭にある、小さな塔のことだった。《転生者》たちが押し寄せて来れば、まっさきに蹂躙される区画にあり、誰も寄り付かない場所だった。

 ルジンと出会ったのは、食べるものもなくなったその夜だった。


 最初の印象は、あまりよくなかった。

 冴えない顔つきをした男で、いい加減なことばかり言っていた。

 そうとしか思えなかった。

 傭兵であり、ヒウニッテで五日間ほど時間を稼ぐつもりである――そんなことを言っていたが、信じることなどできそうになかった。


(この人、どうかしている)

 そのときのメリュジーヌは、そう思った。

 辛辣な言葉ばかりをかけた気がする。

 もうヒウニッテの防衛戦士団は散り散りになって逃げ去っており、多少の市民と、逃走もできない体の弱い者たちが残されていた。

 メリュジーヌもその中にいた。


 ルジンはあのとき、コボルトやグリフォンといった奇妙な怪物たちによる部隊を率いていた。

 それに――アングルボダ、ティアマト、エキドナ。

 そのように呼ばれる、強力な《魔獣化》歩兵も連れていた。ヒウニッテに残され、頼る者のない者たちにとっても、彼らはいかにも不気味で信用できない連中に見えた。


 だが、蓋を開けてみれば、ルジンは十日以上もの時間を耐えきった。

 それどころか、《転生者》たちの長であるブレイヴ個体さえ倒した。

 結局はヒウニッテを脱出することになったが、それは体の弱いものたちも移動できるだけの手段を稼ぐことになった。


 メリュジーヌはヒウニッテをめぐる戦いの間、ずっとルジンの近くにいた。

 あのとき、メリュジーヌが逃げ込んだ粗末な「見張り台」は、《転生者》たちを迎え撃つのにちょうどいい場所だったからだ。

 そこを増強して、拠点に使った。

 ヒウニッテに立てこもる十日と数日は、メリュジーヌにとって、転生しても忘れられない日々の記憶として残っている。


 ルジン・カーゼムとその軍は、絶望がすぐ背後に迫っているような戦いを続けても、決してそれに支配されることはなかった。

 常に最善の方法を考え続けて、諦めることを選ばなかった。

 うんざりするような底の見えない戦いの中で、いつもその先にあるべきものを見ていた。


 ただ、彼が失われた日のことを思い出すと、いまでも寒気が走る。

 気にかかるのは、あのとき――いや。いまこうしていることが――


「――ルジンのことを」

 フェルガーの、まだからかっているような声がメリュジーヌを現実に引き戻した。

「ずいぶん高く買ってるんだな。陛下って呼ぶのは、あんたら、どういうわけだ?」

 愚問だ、とメリュジーヌは思った。即答できる。


「人類の未来を担う御方だから」

「だから、なんでそうなるのかって聞いてんだ」

「私たちは未来から来たの」

「ああ?」

「ルジン陛下に決して言わないなら話してあげてもいいけど」

 メリュジーヌはわずかに身を沈めた。動くべきときが来ている。

「そのうちね。……陛下からいただいた任務だから。決してしくじらないで」


 眼下の大広間の端から、馬蹄の音が響いている。

 サヴラールの騎兵隊が、隠された通路を抜けて突撃してくるのが見えた。

《水晶》の周囲の《転生者》たちの注意が、そちらに向いた。


「始めるわ」

 赤い旗を振り、グリフォンたちに合図を出す。

 曲刀を抜き払う――うっすらと緑色の光を放つ刀身。グレットという傭兵が鍛えた曲刀らしいが、なかなかに悪くない。


(大丈夫。必ずやれる)

《転生者》たちの数は多くない。

《水晶》を破壊するための手段もある――この階層には、放棄されたトラップが多数ある。その中には、最強の破壊力を持つ《忌杭いみぐい》も含まれている。


(あのときのルジン陛下のように、私は決して諦めずにやっていける)

 ルジン・カーゼムさえいれば――そう。こうしてやり直せるのは一つの奇跡だ。

 決して手放すつもりはない。


(でも)

 気にかかることが一つだけある。

 自分と同じく、未来から転生を果たしたものは九人いる。ルジン王の九星。アングルボダ、ティアマト、エキドナ、アグラット、ルサルカ、エンプーサ、アルラウネ――そして自分。


(ゴルゴーン。あの女は、どの未来から来たのだろう)

 その名前も顔も、メリュジーヌの記憶にはない。それに、《転生者》としての能力も一人どこか図抜けている。

 光を放ってあらゆる敵を焼き払うなど、メリュジーヌたちが与えられた能力の範疇をも超えているように思えてならない。

 そのことが、いまでも常に引っかかっている。


 かつてのルジン王の九星に、ゴルゴーンの姿はなかったはずだ。

 メリュジーヌが知る限り、九番目にあげられるのはいつもベクトという賢者であった。

 アングルボダなどは、その人数に違和感を覚えていないようだ――もしかしてそこまで大きな数を数えられないのかもしれない。


(速く終わらせて、戻らなくては)

 どのような状況であれ、自分だけが唯一信用できる、ルジン王の側近であることは疑いない。

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