圧壊するクリシュナ 10
それは戦闘ともいえないほど、呆気なく終わった。
もともと彼らは、こんな時に攻撃を受けるとは想定していなかったのだろう。
数百ほどは、抵抗する気配を見せた隊もあった。
さすがにそこに混じっている《魔獣化》歩兵は手ごわい――だが、すでに内部に敵を抱えた状態では戦えるはずもない。
ラベルトとハドたち森の民の矢は、将校を正確に狙い撃ち、指揮系統を崩壊させた。
こうしてルジンたちが前衛を断ち割ると、あとは降伏を促すだけだった。
バイザック率いるサヴラール市警備隊は、第五層の最奥、まるで宮殿のような大広間に駐屯していた。
最初にグリフォンを率いたメリュジーヌと、ワイバーン部隊が一撃を加えると、大半の兵士が恐慌状態に陥った。
おかげで、すべては速やかに片が付いた。
(意外だな)
と、ルジンが思ったのは、バイザック・ルンビークとその麾下だった。
ろくに応戦することもなく、真っ先に降伏を選択した。
仮にも総隊長なのだから、激しい抵抗があるものと思っていた。それに、彼らは立場も他の兵士とは違う。
(これが、サヴラールの中核の軍か)
むしろ、その弱さに驚かされた。
西の丘に布陣していた兵士たちの方が、より精強だった。そういう性質の軍が、どの都市でも多くなっている気がする。
投降する際、バイザックなどは苦笑いを浮かべていた。まるで盤上の遊戯で負けたかのような態度だった。あるいは、悪ふざけをしかられるときの学生だろうか。
上級将校たちの中にも、そういう顔つきの者はいる。
それがルジンには理解できない。
(もしかすると)
と、バイザックたち上級将校を隔離する指示を出しながら、ルジンは思う。
(これから先のことを、わかっていないのか? 政治的な一時の敗北で済むと思っているのか)
だとしたら、それは大きな間違いだ。
ルジンは彼らの「反乱軍」の総指揮官――ホルスカーの顔を振り返る。
ホルスカーはさほど感慨もなさそうな、ただ明るい顔でルジンに対してうなずいた。
「バイザック総隊長と、数名の上級将校は私が始末をつけます。残念ですが、いまここで消えていただかなくては」
その意味するところを、ルジンは察した。
やむを得ないことかもしれない。ただ、気がかりな点はある。
「大丈夫なのか」
ルジンは思わず敬語を使うのを忘れた。
「やつらには、評議会に仲間とか――家族だっているんだろう」
家族への憐憫で言っているわけではない。
ルジンも都市内部の政治的な構造は知っている。それなりに権力を持つ男の家族は、強い復讐の動機を蓄えるものだ。
彼らがもたらしかねない、その後の報復について言っている。
「大丈夫です」
それでもホルスカーは、屈託もなく笑った。
「バイザック総隊長の長男は、すでに街にいません」
それも殺したのか、とルジンは言おうとした。が、ホルスカーは察して首を振った。
「私の次女とサヴラールを脱け出しました。駆け落ちですね。親としては悲しいですが、二人とも、二度とこの街に戻ってこないでしょう。大恋愛の末の逃避行なので、信じて送り出そうと思います。それに総隊長の長女には病気がちな一人娘がいて、彼女は私の出資する医院で献身的な治療を――」
「もういい」
ルジンは気分が悪くなって止めた。
ホルスカーが言いたいことはわかった。こうやって人間関係や弱みを握って縛ることが、ホルスカーのやり方なのだろう。
それ以上は聞きたくないし、関わりたくないと思った。
(いまは、それどころじゃない)
すぐ頭上に、クリシュナが迫っている。
そう考えると、肌が粟立つ。背筋が冷たくなる。
いまから自分は、それと戦わなくてはいけない。こともあろうに、この二千を超えるほどの軍の指揮官としてだ。
(誰か代わってくれ)
と、また強く思った。
「陛下」
メリュジーヌが、背後から声をかけてきた。その場に跪いている。
「上層での戦線に関するご報告です」
「やめろよ。俺が……」
ルジンは言葉を選んだ。
メリュジーヌはただでさえ目立つ。その翼さえなければ、彼女の見た目は戦場に紛れ込んだ美少女以外の何者でもない。
こんな光景、他人からはどう見えているのだろうか。周囲の視線が気になって仕方がない。
「俺が馬鹿みたいじゃないか。立てよ」
「いいえ。皆に教えるために、こうしているのです。我らが王はどの御方か。誰の命令に従うべきかということを」
「じゃあ、まず一つくらい命令に従ってから言え。普通にしてくれ」
「……陛下が、そうおっしゃるなら」
不服そうだが、とにかくメリュジーヌは体を起こす。そして言う。
「第四層を防衛していた、ロースタルの部隊が敗走しました。ロースタル本人は死亡。現在、少数ですが撤退してきた兵士を受け入れています」
「本気か?」
速すぎる。ルジンは泣きたいような気分になった。
ルジンが考えていたロースタルは、もう少し粘るはずだった。ロースタルの戦にはそれなりに大胆な発想があり、また果敢さもある。
あるいは、それらが悪い方向にでたのかもしれない。
「これなら、お前たちも逃げた方がいいな」
ルジンは投げやりなことを言いたくなった。
真面目に構えていると、そのことで気分が際限なく落ち込んでいきそうだったからだ。しかし、そんなにしっかりと説明する気はルジンにはない。
「俺はこんな大人数を指揮したことなんてない。やるだけはやってみてもいいが、八割方、負けるぜ」
「ええ。陛下」
どういうわけか、メリュジーヌはたまらなく嬉しそうに笑った。
「そのお言葉を聞けて、私は幸せです」
「なんだそれ」
「陛下がそのように仰るときは、いつも上手くいきますから。陛下は、面倒くさくなってそういうことを仰るでしょう。でも、本当はとても多くのことをお考えです」
また知らない自分の話だ、とルジンは思う。
(そんなもん知るかよ)
しかし、理由もなく懐かしいような気分になっている。なぜかは自分でもわからない。
「進軍してくるクリシュナに備えます。今度は、私が命を懸ける番」
メリュジーヌは真剣な目で頭上を仰いだ。
「刺し違えてでも、クリシュナを討ち取ってみせます――空を飛ぶ私だけが、《圧壊》の力を持つクリシュナに接近する可能性が」
「やめとけ」
ルジンは努めて軽い口調で言った。
「たぶん無理だし、相打ちなんて……そうだな。ベクトの言い方を借りると、経済的じゃない」
この期に及んでも、ルジンの頭の中にあるのは、「時間稼ぎ」という一点だけだった。これから先の――あるいはさらにその先の戦いを耐え抜くということばかり考えている。
そのためにはメリュジーヌに倒れてもらっては困る。
「では、陛下。やはりお考えがあるのですね。クリシュナを迎え撃つ策が」
「ああ――」
迎え撃つ。
その一言を言おうとして、ルジンは逡巡した。本当にそれができるだろうか。
用意しているのは、策ともいえない思いつきに近い。何もかもうまくいく必要があるし、果たしてどの程度実現性があるだろうか。
(やっぱりどこかに逃げ出したいな)
ルジンは真剣に見つめてくるメリュジーヌから逃れるべく、せめて視線を外した。
それと同時に、視界に入ってくるものがある。
「陛下」
ゴルゴーンが、広間の最奥に大げさな椅子を備え付けていた。
「お待たせしました。いささか見栄えには劣りますが、このゴルゴーンが玉座をご用意いたしましたので、こちらにどうぞ」
まさか、あれを五層の拠点から運んできたというのか。それとも、この場の資材で作ったのか。
(なにをしていやがる)
ゴルゴーンはとにかくルジンを大きな椅子に座らせたいらしい。ことあるごとにそれを薦めてくる。理解できない情熱のようなものがある。
ルジンは馬鹿馬鹿しくなり、声をあげて笑った。
「お前、ほんとにデカい椅子が好きだよな」
「はい。陛下といえば、玉座に腰かけるお姿がもっともふさわしいと」
「でも、こんなところに置いとくなよ」
ルジンはゆっくりと歩き出す。足取りは重いが、戦う気にはなっている。
「クリシュナを迎え撃つ場所は、別に用意してある」
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