圧壊するクリシュナ 9
ロースタルは兵士をまとめ、戦列を組ませる。
クリシュナ率いる《転生者》たちが、進軍してくる経路は絞り込んであった。
下降階段のある広間にいたる、もっとも大きな通路だけは開いてある。
完全に崩落させて閉ざした場合、クリシュナたちは悠々と第四層に拠点を作り、《祝福》を用いてそのまま第五層へ降りるだろう。
《水晶》を設置している間に、こちらからも攻めることができる。
そういう形を見せておくことが重要だった。
(しかし、兵が減っている)
兵士たちを見ながら、ロースタルは怒鳴りつけたくなる自分を抑えた。意味がない。
仮眠の後、すぐさまトラップを移設する作業に入り、いくらか兵を散らせた。その間に、消えた兵士が百名ほどもいる。
(仕方のないことだ)
と、ロースタルは割り切ることにしている。
この状況下で逃げる兵は、士気も低く、もともと命を懸けた戦いを預けるに足る者たちではない。
(むしろ、そういう兵がいなくなって良かったのではないか)
ロースタルが温存していた主力は、丸ごと無事で残っている。
ルンビーク家の私兵を含めた一千が中核であり、評議会の子弟と、その従者たちで構成されている部隊だ。優れた訓練を受けており、装備もいい。
これを無傷のままクリシュナにぶつけられるのは、最善を尽くした結果であるはずだ。
「臆するな!」
ロースタルは戦列を整えた兵士たちを叱咤する。
もう間もなくクリシュナたちがやってくる。第四層に下降してきたという報告は受けている。
「我々は幸運だ」
ロースタルの声は広間に反響する。兵士たちの前を、騎乗で歩く。
「我々の背には、サヴラール市民の命がある。生活がある。それを守って死ぬことこそが、武人の本懐であろう」
兵士たちが背筋を伸ばし、あるいは蒼白な顔を引き締める。悪くはない。ロースタル自身も高揚を感じている。
「いま、この日、この時が我々の死すべき場所と思い定めるがいい! 我々は栄誉あるサヴラールの守り手。人民の盾。ここで奮い立て! 我々こそが――」
「来ました」
ブライセルの短く、鋭い声が、ロースタルの言葉を止めた。
(想定したよりも、やや速いか)
ざわめきが走り、誰もがそちらを見る。ロースタルも見た。
広間の入り口に、黒々とした人影がある。
常人の倍はある背丈の甲冑――左手には剣。背後に異形の者たちを引き連れて、クリシュナが現れる。
ごく普通の足取りで、歩みを進めてくる。《転生者》たちがそれに続く。
「第一隊から第三隊」
ロースタルは剣を振った。
この時期、指揮官の武器といえば剣であった。直接戦闘に使うものというよりは、階級を示す儀礼的な意味が強い。
「行け!」
やや出足が鈍かった。
この波状攻撃における先駆けは、ただクリシュナによって潰される役目である。それがわかっているからだろう。
それでも、攻撃は始まった。
クリシュナの背後から放たれるアーチャーの棘は、強力な呪詛を用いた盾で止める。
ソードマンやナイトの突撃も、押し込まれる前に囲んで討ち取れる。この広間はそのようにできている。
地面から突き出す槍は、敵の突破行動をよく妨げる。
だが、クリシュナがいる。
その黒い剣が振り上げられ、また振り下ろされると、その動きで兵たちが押しつぶされた。トラップごと地面が粉砕される。
そのまま歩みを進めてくる。
「第四隊から第六隊! つづいて第七隊!」
ロースタルが怒鳴るたび、兵士たちが迎え撃つために飛び出していく。
それは、次々に潰れていくということだ。その分だけクリシュナが前に出ることになる。それが続く。
(もう少し)
ロースタルには考えがあった。
(あと数歩)
クリシュナには弱点がある。それを見越して、トラップを仕掛けた。これならばいけると、そう思った武器だ。
だから犠牲を前提に突撃を仕掛けさせ、クリシュナを誘引している。兵士たちが屍を量産していっても、ロースタルには希望があった。
(あと一歩)
そして、そのときは来た。
クリシュナが広間の中央近くに到達したとき、ロースタルは剣を大きく旋回させた。
「やれ!」
広間の天井、その頂点が唸りをあげた。
機械的な轟音。クリシュナの頭上から、巨大な槍のような杭が落ちてきていた。
この兵器を《
その威力は、パラディンを破壊し、《水晶》を砕く威力を誇る。
(真上からの攻撃ならば)
それがロースタルの勝機だった。重さを操作し、万物を圧壊するクリシュナも、この方向の攻撃ならば、対処できない。
そのはずだ、と思った。
だが――
「ロースタル様!」
ブライセルがひきつった、悲鳴のような声をあげた。ロースタルも同じような声をあげかけた――クリシュナの頭上だ。
落下させた《
(重さを操作するのがやつの《祝福》だとしたら)
ロースタルは己の失敗を悟った。
(軽くするどころか、浮き上がらせることもできるのか)
絶望的な気分だった。クリシュナは歩みを進め、数歩ほど歩いたところで《
杭が落下し、破壊的な音とともに地面に突き立つ。炎が噴き出し、地盤が砕ける。
炎の地獄にも似た光景を背後に、クリシュナが近づいてくる。
「まだだ!」
ロースタルは大声をあげた。
そうだ――まだだ、と自分に言い聞かせる。主力の一千が残っている。サヴラール市で最精鋭の一千がいる。
「総員、攻撃用意! やつにも限界がある、不退転の覚悟を見せろ! 波状攻撃を続けて、消耗させれば――」
そのとき、ロースタルは信じられないものを見た。
主力の一千から、逃げ出す兵士が出ている。それも、将校から先に逃走を始めていた。
(許せん)
ロースタルは頭に血が上るのを感じた。
「ブライセル! やつらを止めろ、将校は処罰! 戦列に戻るように――」
「不可能です」
ブライセルは石のような口調で言った。
「そんなことをしている暇は、もうありません」
クリシュナと、その《転生者》たちが押し寄せてくる。
ロースタルは奥歯を噛んだ。
(私が、いつ間違えた?)
兵士たちが圧壊していく。クリシュナは歩みを止めない。アーチャーたちの射撃が、ロースタルの部隊にまで届き始めた。メイジたちが放つ火花が、前衛を焼いている。
(間違えていない)
間違えていないから、負けるはずがない。
結果として失敗に終わった策はあるが、クリシュナの首を獲ることだ。それで全てを取り戻せる。
勝てば、どんな失敗も帳消しになる。
「いくぞ」
ロースタルは剣を握りしめた。
「クリシュナも消耗している。そろそろ《祝福》も切れる」
「それはわかりません、ロースタル様」
ブライセルの声が耳障りに感じる。
「やつの《祝福》の限界が見えない以上、攻撃は危険です。撤退するべきです」
「できるものか」
ロースタルは自分の声が上ずるのを感じていた。
バイザックの前で敗北の言い訳をする自分を思うと、そんなことには耐えられない。
「ここで勝つ。クリシュナの首をとって勝つ」
「では、勝手になさるといい」
ブライセルは冷たく言った。
「そして死ぬでしょう」
ロースタルはもうブライセルを振り返らなかった。
(この戦いが終わったら、処罰する)
逃げ出した将校たちも同じだ。指揮官の指示に従えないのであれば、軍の意味がない。軍規を保つためにすべて処罰しなければならない。精鋭とされていた一千のルンビーク家の兵の弱さもわかった。
(サヴラール市の軍は問題点ばかりだ)
クリシュナを倒し、自分が軍を立て直す。
「クリシュナ!」
ロースタルは飛び出した。続く兵士はいなかった。
黒い甲冑の《転生者》は、応じるように剣を構えた。それが見えたとき、肩を何かが貫いた。
アーチャーの放つ棘だ。激痛で体が傾く。
それに気づいた直後、飛び掛かってきたソードマンの腕がロースタルの首を引き裂いて、意識は途絶えた。
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