圧壊するクリシュナ 7
クリシュナの動きは唐突だったが、その移動は迅速とはいいがたい。
むしろ慎重と呼ぶべきだろう。
(で、ある以上は)
ルジンは思う。
こちらも相応のやり方で、対抗する必要がある。
ルジンが見たところ、ダンジョンの構造に由来する通常の防衛戦術では、サヴラール市は持たない。
いくつかの指示を出しながら、ルジンはひたすら市内地図と向き合っていた。
ホルスカーに推される形で、「軍事顧問」という役を押し付けられた。
この「反乱軍」の総指揮官はもちろんホルスカーだが、実質的な統帥権を与えられてしまったことになる。
断ろうにも、ルジンにはその権限がなかった。
(詐欺みたいなもんだ)
ルジンは苦々しく思う。ホルスカーが総指揮官をやると聞いた時には、諸手をあげて賛成した。これで責任から逃れられると思った。
だが、そのあとで軍事顧問への着任を命じられるとは。
自分が認めた総指揮官からの命令に、逆らえる道理はない。
(向いてないんだよ、こんなの)
おかげで、いまはこうして頭を悩ませることになっている。
集中しすぎて睡眠と飲食を忘れるほどだった。
そのうちルベラが心配したのか部屋にやってきて、ルジンに対して唸り声をあげた――足元に砂ネズミを置いていったのは、差し入れのつもりだったのか。
(ルベラに心配されるようじゃ、俺もかなりまずいな。真面目になりすぎだ)
その日の昼、ルジンは苦笑いして、パンとチーズを齧った。
さすがに砂ネズミは食べられない。
「――お前、真面目すぎるぜ」
と、フェルガーなどは冷やかすようにルジンの部屋に顔を出し、欠伸をしながらそう言った。
彼らワイバーン部隊もパーシィの手引きでルジンと同じ拠点に退避してきており、先ほどまで四六時中眠り続けていたらしい。
「給料分の働きはしなきゃならんし、俺は趣味でやってることだからともかく」
フェルガーは地図を睨んでばかりいるルジンをからかうように言った。
あるいは、少し不機嫌なのかもしれない。
「ルジン、お前はさっさと逃げた方がいいんじゃねえのか。付き合う義理もないだろう」
「それ、パーシィとグレットにも言ってやれよ」
「パーシィは自業自得だし、グレットはいまさら一人で逃げ出す度胸なんてねえよ」
言いながら、フェルガーは湯で戻した干し肉と、それに浸した雑穀の粥をすする。
いかにもささやかな糧食だが、こういうものでも、戦闘行動の合間に食べると意外なほど塩分が沁みるものだ。
「やめとけルジン、お前、また余計なことを考えてるぜ」
「別に、考えてない」
ルジンは窓の外を見る。
兵士たちが集合し、慌ただしく走り回っている――中でもメリュジーヌはひときわ目立つし、忙しそうだ。飛び回り、資材を集めている。
(逃げ出したいのは、確かにそうだ)
ルジンは憂鬱な気分でそう思う。
(だが、ここで時間を稼げなくてどうする?)
ゴルゴーンたちの話を総合すると、ベクトは学術都市ワグラトゥの陥落から逃れた。そのはずだ。
いまも無事でいるのなら、必ず、《転生者》に対抗する方法を考えている。決して諦めていないはずだ。
事実、ベクトはとんでもないことを達成しつつある。
ゴルゴーン、メリュジーヌ、アングルボダ――いままで人類が持っていた、《魔獣化》歩兵という手段をはるかに超える存在だった。
人類に味方する《転生者》を作る。
それを成功させた。
(その方法は最悪だし、文句を言いたいところだが)
ベクトは約束を果たし続けている。
だとしたら、自分もそれに応じなくては。
(ブレイヴ個体を相手に、時間稼ぎか)
我ながら泣きたくなるほどの無理難題だが、せめて、そのくらいはやってみせなければ――ベクトに対して、偉そうな顔ができない。
結局のところ、ルジンの行動原理はそこに集約されていく。
少しでも見栄を張るためだ。
(我ながら、つまらなさすぎて泣けてくる)
もちろん、そんなことを正直に、わざわざ説明するのは面倒くさすぎる。
だからルジンはフェルガーに対して、いい加減なことを言うしかない。
「俺はただ、勝ち目があるからやってる」
そうでも言わなければ、際限なく気分が落ち込みそうだった。
「こいつは勝てる賭けだ」
「よく言うぜ」
フェルガーは鼻で笑った。
そのときだ。
頭上で轟音が響いた――また、クリシュナが《祝福》を用いたのだろう。外の兵士たちがざわめいて、フェルガーも顔をあげた。
「あの野郎の《祝福》か。さっきから小さいのばっかりだな」
「連発はできないんだろう。向こうも慎重に使ってるってことだ」
「それにしちゃあ、ルジン、ずいぶんと呑気じゃねえか。この状況だ。そろそろ出撃しなくていいのか? みんな焦れてるぜ」
「こっちも準備が必要だし、十分急いでる。慌てる必要はない、もう一日くらいの猶予はある」
ルジンの言葉に、フェルガーは眉をひそめた。
「ずいぶん自信ありそうじゃねえか」
「向こうも急いで突っ込んできてくれた方が楽なんだけどな。たとえば、《祝福》を使って第五層までぶち抜いてきたり」
いま『クリシュナ』はそれをやっていない。
もっとも効果的なはずのそれをやらないということは、できないか、できたとしても活動を停止せざるを得ないほど消耗するということだ。
「西の丘の戦い――いや、カズィアの戦いからずっと、あいつはすごく慎重だ。そういうやつを相手にするには、準備がいると思う」
サヴラールの都市警はどのくらい粘るだろうか、とルジンは思う。従来通りの防御を重視した戦術ならば、そう被害は出ない。
すなわち、兵士を分散させて、遊撃的に戦う。
《祝福》を使われそうになったらすぐに引く。向こうも積極的には《祝福》を使いたがらないだろう。それで被害が抑えられる。
特に第三層ならば、そういうやり方が有効のはずだ。
「よくわからんな」
フェルガーは退屈そうに、また欠伸をした。
「結局、何が言いたい。向こうはどう仕掛けてくるって?」
「たぶん、確実なやり方をとる――つまり、もしも俺が『クリシュナ』なら」
ルジンはサヴラールの広大な地図を睨みつける。
「兵站を確保し、休憩しながら戦う」
――――
ロースタルの作戦は、おおむね想定通りに進行したといえる。
兵士の小集団をいくつも編成し、逐次的に攻撃を仕掛けさせた。
瀬踏みのような形だった。
そうすることで、クリシュナの《祝福》の効果範囲を調べる。
限界を見切るか、あるいはクリシュナが《祝福》を使い果たしたところで、全力での攻勢に出る。
その瞬間を見逃さなければいい。
クリシュナの攻撃そのものは単純だった。
地上から地面を崩すようにして穴を開け、一気に第二層まで到達した。
そこから進軍し、いまは第三層に到達している。これに対して第一層と第二層には最低限の封鎖部隊を残し、防衛部隊をすべて第三層に集約した。
ロースタルはここで決着をつけるつもりでいた。
「……ロースタル様、第七攻撃隊、全滅しました」
ブライセルが言うまでもない報告をあげている。ロースタルはそれを馬上で聞いた。
「そうか。どこまで接近した?」
「クリシュナを弩の射程に収めたようです。その直後、突撃をしかけた者は総員が圧死。矢も届かなかったと」
当然だろう、とロースタルは思う。
どうやらクリシュナは物体の重さを支配している。近づけば形あるものは潰れるし、飛び道具は届かない。
《祝福》が働いている限りは無敵といったところだろうか。
(だが、確実にその力は弱まっている)
ついに弩の射程に収めたということが、それを証明している。
もう少し削れば、届く。そのときこそ、全軍で波状攻撃を仕掛ける。それがロースタルの考えていた決戦方法だった。
「ブライセル。クリシュナの位置はどこだ」
「現在、なおも前進中です」
ブライセルは耳朶につけた金属の輪を通し、遠隔の兵と交信する。
ルンビーク家にもセイレーン兵は一人だけいた。かなり雑音が混じり、状況報告の正確性も低いが、傭兵どもが消えたいまはこれに頼るしかない。
「クリシュナの周囲には、アーチャー五体。クレリックが一体、さらにメイジが一体です」
前衛は、やはりクリシュナ単独で担うというパーティー構成だ。
クリシュナの《祝福》は強力だが、周囲を巻き込まざるを得ないためだろう。
「よし」
ロースタルはうなずいた。
「乙八番から十二番、それから甲五番の通路の《転生者》を念入りに排除しておけ。機を見てそこから仕掛ける。間を置かずに次の攻撃隊を――」
「……待ってください」
そのとき、ブライセルは何かに気づいたように顔をあげた。
頭上を見上げる。
「第一層、第二層の昇降口封鎖部隊から連絡。これは……クレリックが……? その、奇妙な行動をとっているようです」
「どうした」
ロースタルは不快に思った。
報告が明確ではないということは、癇に障る。
「正確に報告しろ」
「はい。その――クレリックが、次々に穴から飛び込んできています。身を投げて――いえ。これは」
ブライセルの顔から血の気が引いている。
「《水晶》です。《水晶》の欠片を背負った大量のクレリックたちが、クリシュナによって崩落した穴から飛び降り、第三層に到達」
ロースタルはすぐにその意味を理解した。
手綱を握る手に、知らぬ間に力をこめていた。
「大半は死亡しているものの、残った者が小型の《水晶》を設営中。すでに完成間近との連絡が――」
「なぜ」
ロースタルは声を荒げる自分を抑えきれなかった。
「いままでそれを知らせなかった」
「連絡経路が曖昧に過ぎます、ロースタル様。セイレーンの通信は適切に中継を経由しなければ、伝達速度と精度が――」
「もういい」
ロースタルは吐き捨てた。
「撤退だ。第十五攻撃隊までは後退支援、壁になれ!」
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