圧壊するクリシュナ 5

 それは、第五層よりもさらに深い場所にあった。

 通常ならば正市民たちの居住区となっている階層である。


 ルジンが予想していたよりもずっと広く、少なくとも千人以上がここで暮らせるだろう。

 それだけの生活空間もあった。地下型ダンジョンにおいて太陽光の代わりとなる光苔が天井を照らし、軍の駐屯地としても十分で、厩舎もある。

 下水処理も、燃料も、食料も、必要物資まで貯蔵されていた。


(明らかに違法区画だな。都市計画としてはありえない)

 ルジンはそう結論づける。どう考えても、ここは通常なら不要な設備だ。しかも、第五層の特定の昇降口からしか到達できない。

 それがホルスカーの言う「拠点」だった。


「開発公司は、ここを富裕層向けの極秘の避難場所として売り出すつもりだったようですね」

 と、ホルスカーは言っていた。

「私が摘発して合法的かつ秘密裏に奪い取りました。この場所を知る人間はおおむね死亡しているので、当面は安全のはずです」


 どうやら、ホルスカーは本気でルジンを反乱に巻き込むつもりのようだった。

 理由はわかる。

 この拠点にホルスカーが集めた急進派の兵士は、おおよそ三百ほど。軍隊の内部に、さらに一千ほどは同調勢力が潜在しているそうだが、さすがに心もとない。

 いまはルジンに従うと主張している二百は、コボルトもグリフォンも、ゴルゴーンたち《転生者》もいる。

 ぜひとも必要な戦力だろう。


(しかし――)

 ルジンはあてがわれた部屋に腰を落ち着け、考える。

(正直言って、人間同士で戦ってる場合じゃないんだよな)

《転生者》に対処しなければならない。

 それも、相手はブレイヴ個体だ。ルジンの見る限り、サヴラール市はかなり不利な状況にあると言える。


(カズィア市が落とされた……単なる籠城じゃ勝ち目がないな)

 ルジンはカズィア森林都市の崩壊時の状況を耳にしていた。

 これはパーシィが集めた情報だ。


 あの都市も、『クリシュナ』が出てくるまではそれなりに持ちこたえていた――世界樹型のダンジョンは、地下型に比べて迎撃力が高く、容易に包囲もできない。

 実際、ここ数年は完全に《転生者》の攻勢を防ぎ続けていた実績もあった。


 だが、『クリシュナ』が出現し、その力を振るった時、都市はわずか一日で陥落した。

(重力を使う。『クリシュナ』の《祝福》が問題だ。あれに対処するには、やり方を考えなければ)

 ルジンはサヴラール市の地図を見ながら、思考を巡らす。


 方法は考えたと言ったが、それがうまくいくかといえば、絶対の自信があるわけではない。我ながら強引すぎる。

 もう少し、何か方法があれば――

 だが、その考えに割り込んでくる要素もある。


「陛下」

 その昼には、ゴルゴーンが大きな椅子を抱えてやってきた。

 壁際にそれを置く。やたらと立派な、「玉座」と呼ぶのが近いような椅子だった。細工が施してあり、ところどころに派手な赤色を使用している。

「御身の玉座、このゴルゴーンがご用意いたしました。いまだ簡素ですが、ひとまず陛下の威容を示す最低限の出来にはなったかと」


「ああ……」

 ルジンはため息をついて、サヴラール市の地図から顔をあげた。

 ゴルゴーンが胸を張って用意した「玉座」を一瞥する。

「お前、なんかその椅子みたいなの作るの好きだな……」

「はい! やはり陛下といえば、こうした椅子に座っていただかなければ」

「なんで?」

「陛下に似つかわしいお姿とは、覇王の玉座に腰かける姿であると断言いたします」


 さては答える気がないな、とルジンは思った。

 聞いてはみたが、それほど興味の湧かないことではある。これに座らなければならないという一点が厄介だ。


「陛下、お食事をお持ちしました」

 一方で、メリュジーヌは机にいくつもの皿を並べている。

 ルジンが見慣れない、大陸西部風の料理だった。種類が多く、見慣れたものはないが、いずれもチーズが多く使われているのが特徴といえるかもしれない。


「陛下に供する料理としてはあまりに貧相ですが、せめて品数が多くなるよう工夫いたしました」

 メリュジーヌは大きく一礼してみせた。

「どうぞお召し上がりください。舌に合わないものはぜひご指摘を。すぐに作り直します」

「……これ」

 ルジンは机から溢れそうな料理の数々を見て、思わず言いたくなった。

「どこから調達してきたんだよ。こんな備蓄あったのか?」

「乏しい食材から最大限の成果を引き出す、これこそ料理の神髄です」

 メリュジーヌは誇らしげで、ルジンはそれ以上追及する気を無くした。


 そして、残りの一人、アングルボダは入り口の傍らで彫像のように立ち尽くしている。

 部屋の中でも甲冑をまとい、盾と戦斧を両手に持ち、入り口の扉を睨んでいる。

「……アングルボダは、それは」

 ルジンはどうしても気になってきて、彼女に声をかけた。

 気にしないように努めていたが、限界だった。

「何をやっているんだ?」


「見張っている」

 アングルボダは当然のことのように言った。

「ルジン王に危害を加えるやつが来たら、すぐに叩き潰す」

「……そうか」

 としか言えない。

「少しは休んだ方がいいんじゃないか? 昨日もその状態だっただろ」

「問題ない」

 アングルボダは背筋を伸ばした。

「アングルボダは忍耐力がある」


「いや休めよ、落ち着かねえから。本当に」

 ルジンは大声をあげていた。

「というか、みんなどこかで休んでてくれないか? なんか常に働きっぱなしじゃないか? 全体的にお前らを見てると落ち着かないんだよ……」


「と、陛下がおっしゃっている」

 ゴルゴーンは深くうなずき、他の二人に向き直った。

「お前たちは割り当てられた部屋に戻れ。ここはもっとも忠実な私が、陛下のお世話をさせていただく」

「は? ゴルゴーンにそんな繊細なお世話ができるとは思えないんだけど。そっちこそアングルボダと部屋に帰って。それか、外で見張りでもやってて」

「断る。アングルボダは花嫁なので、ルジン王のお傍にいるべきだ。お前たちは何を言っているかわからない」


 ルジンは気が遠くなるのを感じた。

 少しも言うことを聞かない。このままでは神経が参ってしまう――ここはひとつ、強く戒めておくべきか。

 そうして、声をあげようとしたときだった。


 ごおん、と、鋼の鐘をならしたような、鈍い轟音が響き渡った。

 頭上からだ。

 それに続いて、めきめきと何かが砕けていく音が遠く響く。

(雪崩か、氷が砕ける音に似ている)

 ルジンは立ち上がり、ゴルゴーンたちも顔を見合わせていた。これまでにないほど、真剣な顔だった。


「ブレイヴだ」

 と、ゴルゴーンは言った。

「《祝福》が使われている」


 それに続いて、何かが決定的に崩れ落ちる音が、はるか上層から響き始めた。

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