ジェフティの手記 ゴルゴーン
>ワグラトゥより回収された対話記録集より抜粋
>補記1:本人はいまもって行方不明である
>補記2:《転生者》の貴重な生前の記憶に関する資料
>補記3:ただし、主観が多いため取り扱いには注意すること
出会った時のことは覚えている。
別れの時と同じほどに。
断片的な記憶の中では、比較的連続して成立しているといえる。感覚としては夢に近いものがあるが。
最初に会ったときは、その男のことをはっきりと嫌いになった。
少なくとも、私はそう自覚した。
一度目の遭遇は、王府南部、ヒスタイ河における遅滞防御戦線だった。
私は旧王家直系の貴族の生まれであり、同時に軍人だった。
それも、《魔獣化》手術を受けた魔獣騎兵だ。幸いにも私にはその素養があったようだな。当時では最先端であった、バジリスク型だ。
家の者からは反対されていたが、貴族たる者には戦う責務がある。
そうでなければ、何を以てして高貴な血族であることを証明するのかと、そのときの私は考えていた。
いま考えれば傲慢以外の何物でも――、いや。
そうやって過去の自分を評価することもまた、同様だろう。言及は控える。
いずれにせよヒスタイ河の戦線において、私は一千ほどの騎兵を率いて参戦していた。
大きな戦での指揮は初めてだったから、血気に逸っていたと思う。
華々しい突撃と用兵で敵を突き崩す。勝利への道を自らの手で拓く。そんなことを夢想していた。
無論、現実ではそう上手くはいかない。
私が突撃の機と見たそれは、あまりにも性急すぎた。独断に近い。自軍の防御偏重な姿勢に焦れたということだ。
あの戦線はそれでよかったのだ――王府の民を避難させる時間稼ぎための、遅滞防御だったのだから。
私の拙速にすぎる突撃は、当然、私の部隊を危機に晒した。
無様にも、麾下の兵士に守られながら、撤退するしかないところだった――そこへ、その男がやってきた。
どこに潜んでいたのか、草原から湧きだしてきたかのようだった。
巨大な狼、翼のある怪物たち、石のような巨人、俊敏な蜥蜴。
そういう奇妙な者たちを引き連れた部隊で、最初は《転生者》の増援かと思ったほどだった。
だが、彼らは強く、私を救援するどころか敵部隊を蹴散らした。
私は腹が立った。
理不尽だろうが、そのときは確かにそう感じた。
まぎれもない事実だ、否定はしない。あとで罰するというのなら、甘んじて受け入れよう。陛下に関して虚偽を並べる方がよほど罪深い。
無様なところを見られたということが、その怒りの原因だった。
しかも、なぜ助けたのかとさえ私は尋ねたが、帰ってきた答えがこれだ。
「囮を引き受けてもらった礼だ」
と。
私の突撃を囮にしたのかと、本気でそう思ったほどだ。
……陛下にはそういうところがあるので困る。大変に困る。
そのときの私はもちろん、余計に腹を立てた。
次の戦いにおいては、必ずやこの無礼で不愉快な傭兵を黙らせる武功を立てると誓った。
それだけならばまだいい。
問題はその失敗を、ただ運が悪かっただけだと思い込もうとしたところにある。私は学んでいなかった。
二度目は、王府外輪における第一城壁をめぐる攻防だった。
私はまた一千騎を率いて出撃した。
今度こそはと、意気込んでもいた。
そういう未熟な指揮官がどんな失敗をするのか、述べるまでもないだろう。
正面部隊を陽動にした側面攻撃。敵を引き付けての半包囲。部隊の分断。
そのように思い描いた「鮮やかな攻撃」はいずれも失敗に終わった。部隊が単独でできることには限界がある。
私は騎兵の動きについてくることができない、他の部隊の遅さにも不満があった。
本来ならば、そうした要素こそを考慮して戦わねばならない。私は理解していなかった。
結果、私の部隊はまた敵中で孤立した。
今度は、完膚なきまでの敗北だった。私はわずかな麾下ともはぐれ、追い詰められることになった。
あの傭兵がまた現れなかったら、間違いなく命を落としていたはずだ。
あの傭兵は、城壁の間をつなぐ下水路を通ってやってきた。
例の怪物たちによる部隊を率いて、瞬く間に敵を敗走させた。さらに私の部隊の大半を救出してもいた。
私は感謝の言葉を口にすることができなかった。
いまならばわかるが、あれは自分に対して怒りを感じていたのだ。
おまけに、そのとき傭兵は私の顔を見るなり言った。
「撤退が決まったから、その後始末に来た」
と。
私は激しく傭兵の男を罵倒した。
……そうだ、八つ当たりだ。
「王府直衛の軍として、この程度で撤退するなど軟弱すぎる」
と、罵ったはずだ。
ひどく滑稽だったに違いない。そのとき私は負傷が深く、一人では身動きすることもできなかったからだ。
だが、傭兵の男はなんだか眠そうな顔をして、私を担ぎ上げた。
口にしたのは一言だけだ。
「眠いから帰って寝る」。
……本当に陛下のあれには困る。言い方というものがある。
私はそのまま王府の城塞に帰還させられたのだ。
あのときのことを、私はいまでも覚えている。忘れるはずがない。
その晩、私は怒りのために眠ることさえできなかった――ひどい屈辱さえ感じていた。
自分が犯した失敗と、自分の感情との両方を扱いかねていた。
何をどうするべきかわからず、ただひたすらに腹立たしかったのを覚えている。
それから……三度目は、王府での籠城戦だった。
別の名を、王府決戦。
ブレイヴ個体が四騎――パーティーを組んで攻勢をかけてきたときだ。
その頃になると、私は戦いがあるたび、あの傭兵部隊の姿を探すようになっていた。
屈辱を晴らす機会を求めていた――これは嘘だ。
そういう理由を持ち出して、ことあるごとに会いに行こうとしていた。その……ああ。我ながら子供じみている。
わかっているから、笑うな。次に笑ったら、ベクト、いくら貴様でも容赦しない。
……陛下におかれては、よほど迷惑されただろう。
王府からの撤退戦では、私も少しはましなことができたと思う。
市民を逃がすために戦えた。
それでも圧倒的な物量と、四騎のブレイヴを前にしては、王府の残存戦力はあまりにも貧弱だった。
我々の部隊は城内にやつらを引き付け、あとはゆっくりと滅びを待つだけだった。
……捨て駒か。そう言えるかもしれない。
私は戦術的に失敗を繰り返しすぎた。
家の方でも、私を切り捨てるつもりだったのだろう。誰かがやらなければならないことで、私はそれに志願した。
私の部隊は、ごく一握りだけが従ってくれた。
そのことは嬉しかったし、安堵もあった。
これでようやく責務を果たせる。いままでの屈辱を帳消しにするような、正しい戦いを最後にできると思うと気が楽だった。
つまり、誰もが生存を諦めていたはずだ。
例外は、あの傭兵部隊――陛下だけだろう。
城壁内郭で敗北し、城門前の攻防で敗北し、大回廊で、結界防線で、封鎖房で、六つの尖塔で、我々は負け続けた。
それほどまでに負けを続けるというのは、尋常なことではない。
援軍の来る当てがない以上、士気が先に尽きる。
それをあの傭兵の男は、日常を繰り返すように戦い続けた。
その存在は、確かに我々にとって希望のようなものだった。
……いや。私もその頃にはもう気づいていた……いくらなんでもな。貴様、それは馬鹿にしすぎだぞ。
私が本当は何に腹を立てていたのか、その男に対して何をどうしたかったのか、何をすれば満足だったのか。
あるいは、くだらない言い訳を並べる余裕がなくなっていたのかもしれない。
――そこからのことは、別の話だ。
あのとき、いかに陛下がブレイヴどもを引き付け、時間を稼ぎ切ったか。
のみならず、どのようにしてブレイヴを三騎も撃破し、私たち全員を生存させたか。
戦闘記録と、作戦の顛末は別にまとめることになっている……ここで述べるのは、私の個人的な体験についてだ。そうだろう。
事の終わりに。
ブレイヴを撃退した、王府の最奥――玉座の間で、私は陛下の姿を見た。
「疲れた」
と言って座った陛下のことを、私は途方もない人だと思った。
あまりにも――それは、そうだな。
あまりにもその座に似つかわしいと感じた。本当のことだ。
それから私は、ずっと陛下のお傍にいた。最期の、あの決戦までずっと。
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