アングルボダの戦斧 6

 それは、やや特異な報告だった。

 コンランク・ダミアは、彼自身のために用意された執務室でそれを聞いた。


 かつて、王府の執政庁と呼ばれていた塔の一室だった。

 窓からはよく晴れた冬の光が差して、広く整頓された部屋を照らしている。

 いまではその部屋は――いや、塔に限らず王府の機能はほぼすべて、新たな別の支配者のために使用されていた。


「サヴラール市の攻略が遅滞している?」

「はい」

 コンランクの問いかけに、伝令使の青年は、緊張しながら応じた。


「シンドバード様の通信網が、状況を捕捉しています。クリシュナ様は活動休止状態に入っているため、末端からの信号を総合した推測である、とのことですが」

「そうか」

 コンランクはうなずいて、椅子に深くもたれかかった。


 頭の中で大陸の地図を思い浮かべる。

 彼が仕える《転生者》たちは、大半の地域を制圧し、侵攻は進んでいる。ただし、無視できない勢力もいまだ残存していた。

 いまだ大陸西部を動き回る『亡霊騎士団』、北部シーグランツ都市同盟、南部諸島――東部の旧王国領。


 このうち東部についてはカズィア森林を抜けたいま、サヴラール市とヒウニッツ市を落とせば、分断の状況に追い込める。

 ブレイヴが一都市に対して二騎も投入されているのだから、そう難しい戦線ではないはずだった。西部の丘を突破し、四日もあれば片が付く。

 ほかならぬブレイヴの一騎、ハンニバルがそう予測したのだ。

 かの《転生者》が予測を外すことなど考えられなかった。


「それでは――どのような要因によって、そこまでの遅滞が発生していると?」

「《水晶》への攻撃がありました」

 伝令使の青年は、直立したままの姿勢で答えた。


「《水晶》を。よほど強力な兵器を出してきたという意味か? あの丘で使われた、光の鞭と同じようなものを?」

「いえ、破壊したのではないようです。周囲を呪詛で汚染したものと思われます。このために補給行動に遅延が出ています」


「呪詛による汚染か」

 コンランクは自分が眉をひそめていることに気づく。

 周辺の土壌を汚染することで、《水晶》による補給を阻害する――ずいぶんと陰険な攻撃だと感じる。

 どうやって、という疑問も湧くが、人類は実に様々な手段で呪詛を媒介する方法を考え出し続けている。この時期ならば、汚染した水を使ったのかもしれない。


「《水晶》の再構築のため、物資を手配できるか打診されています」

「それは不可能だな。他の戦線に対する支援が不足する。いま王府にある備蓄は、冬季明けの北部攻勢のために集積されているものだ」

 コンランクは頭の中で物資の集積状況を思い描く。とても現実的な案ではない。


《水晶》の構築には、地中深くより掘り出される希少な鉱石が必要だ。

 侵攻の最初期、《転生者》たちは自ら土を掘り返すことで微量に含まれるそれを集めていた。

 その当時から比べれば掘削機構も完成し、人類の奴隷も使用してずっと採取量は増えているはずだが、侵攻の速度に対してとても間に合わない。


「《水晶》を汚染されるとは、見事に奇襲を受けたようだな」

「はい。空からの攻撃だった、とのことです。その前に、地上での陽動もありました」

「連携のとれた少数の部隊。サヴラール市の軍か?」

「それが、判然としません。あの――」


 伝令使の青年は、言いにくそうに口ごもった。

「かなり奇妙な部隊でした。《転生者》の方々も混乱しており、信号に統一性がない――というようなことを、シンドバード様が」

「どういうことだ?」

 ブレイヴ以外の《転生者》は、あまり高い知性を持っていない。奇襲を受け、報告が混乱するのは仕方のないことだ。

 だが、「奇妙な部隊」という言い回しは気になる。


「どんな部隊だったのか、可能な限り報告は上げねばならない。言ってみろ」

「ええ。それが……まずは、空中の部隊です。巨大な猫の体に、鷲の翼と頭を持った怪物。蝙蝠のような翼のある人間」

 蝙蝠のような翼のある人間、というのは、サヴラール西部の丘の戦いで出現した個体のことだろう。

 それまでのワイバーン兵とは速度の水準が大きく違う、という報告は受けていた。


「地上では、馬ほどもある犬。これはコボルトという魔獣だと推測されています。それに加えて獣の皮や木の枝で武装した、特異な兵士群。巨人のような女……」

「まるで怪物の軍勢だな」

 聞きながら、一種のおぞましさを感じた。

 かなり特異な混成軍であるといえた。

 そうした混成部隊を連携させることは難しい。なにより生物の兵器化には倫理的な問題もあり、かつての王府軍でも難航していた。


「大多数はカズィア森林地帯に住んでいた、森の民の戦士だったと思われますが」

「そうか」

 都市に拠ることなく、少数で散在していた勢力のため、ほとんど危険性を認めていなかった。

 サヴラールとカズィアを落とせば孤立し、自然消滅するものと想定していた。


「怪物どもを率いていたのは、その森の民の長か?」

「どうも、それが違うようです。特定はできていませんが」

「そうか」

 コンランクは机を指先で叩く。

「引き続き、サヴラール方面の戦線を注視する必要があるな。――お前、名は?」

「はい」

 青年は背筋を伸ばした。


「ジェフティ・ミドルテアです」

「では、ジェフティ・ミドルテア。ジャンヌ様の名代として告げる。再び伝令使としてサヴラール市戦線との中継に復帰しろ」

「はい」

「サヴラールには第二層に例の……そう。クリシュナ様の言葉を借りれば、『悪魔』もいる。攻略はいま少し難航しそうだ」


 ――そうして、青年が去った後、コンランクは立ち上がる。

 窓の外から王府を眺める。

 いま、その都のあらゆる通りには、人の姿はない。ひしめいているのは《転生者》たちだ。運搬と採掘、物資の集積に稼働している。


(これが、いまの王府だ)

 コンランクはそのことを受け入れる。仕方のないことだった。

 人類は敗北した。


 自分が生き延びることができたのは、運が良かったということもある。

 いち早く対話可能なブレイヴ個体と接触でき、取引を成立させた――その選択に後悔はない。

 そのために、自分と家族は無事で生きている。

 命は助かったし、奴隷となった人類の中では比較的まともな生活ができている。


(たとえ王府以外のすべてが滅びても)

 ごくわずかだったとしても、《転生者》たちの奴隷となったとしても、誰かが生き延びている限り人類は滅びない。

(そういう戦い方もある)

 コンランクは窓の外から目を逸らした。

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