アングルボダの戦斧 5
パラディンを、生身の人間が撃破するのは不可能だ。
十人や二十人が集まっても、通常の手段では傷を負わせることも覚束ない。
少なくともルジンはそう考える。
通常ならばダンジョン内部で大型のトラップを使う。
『
甲殻に突き刺すことで、内部から呪詛の炎を発生させる。
野戦ならばこの『
そうした兵器なしにパラディンと戦った経験は、ルジンにもない。
(勝つ算段は何もない。それでも)
やるしかない。
現に、目の前にはパラディンがいる。両腕を振り上げている。
(仕方ない)
ルジンは勝てないという現実から目を逸らした。
最善と思われる手を積み上げることだ。いまは――というより、いつだって、それ以外にできることはない。
「メリュジーヌ、援護してくれ」
言うが早いか、ルジンはパラディンに向かって跳んだ。振り下ろされる右腕をかわす。雪面が砕けて、飛び散る。
当たれば人体も似たようなことになるだろう。
(懐に入った。この状態なら)
ルジンはクグリ鉈を振るう。腹部、甲殻の継ぎ目とおぼしき箇所を狙う。
(パラディンにもまともな攻撃手段はない――)
鉈が食い込む。いや、引っ掻いただけだ。
(はず。だったが)
腕に硬質な手ごたえがあった。甲殻の内側まで硬いのだろうか。そして、パラディンが短い脚を振り出してくる。
ルジンは回避を諦め、鉈を振りぬいて旋回した。
背中で受ける。蹴飛ばされて、放り出された。
衝撃――そのまま転がって、パラディンの追撃から逃れようとする。うまく立てない。
(まずいな。脳が揺れてる)
空が見えた。
グリフォンの一羽が叩き落とされている。その瞬間を狙ったメリュジーヌの曲刀が、肩の付け根を斬りつけたときに根元から折れた。
さらなる追撃がくる。ルジンはまた転がって、それをかわすしかない。
(くそっ、立て直す余裕がない)
どうにか立ち上がろうとしたルジンの傍らを、赤毛の影が走った。
ルベラだ。
振り下ろされたパラディンの腕を駆けあがり、その頭部を狙ってルベラが牙を剥いた。
頭部を覆う、甲殻の表面のごく一部を噛み砕く。
それが限界だった。負傷には程遠い。
(ルベラの牙でも、駄目か)
そのまま振り払われ、雪原に叩きつけられる。
ルベラは悲鳴をあげない。
ただ一度、怒りを表明するように吠えた。あるいは、そちらに注意を引き付けるように。
ルベラが狙われているのがわかった。
もはやルジンやメリュジーヌは脅威ではない、と判断したのだろう。
パラディンは腕を振り回し、ルベラはそれをたやすく回避する――いや、追い込まれている。ソードマンたちの群れが、結界柵を突破してくる方向へ。
(そいつはまずい)
ルジンはふらつく足で立ち上がる。
打つ手が少ない。嫌になるほど硬い相手だ。
ハドとラベルトがそれぞれ弓矢を射かけているが、肥大化している腕で遮られている。何か、よほど大きな隙が必要だった。
(時間を稼がないと)
ルジンは駆け出す。
足元にまとわりついて、注意をそらすべきだった。
(ルベラを助ける――だが)
その距離が遠すぎるように感じる。わずか五、六歩の距離が遠い。
パラディンが腕を振り上げた、その瞬間だった。
その上半身に、緑色に燃える巨大な炎の塊がぶつかってきた。何かが飛んできた――荷車だ、と、ルジンは少し遅れて認識する。
粉砕音。
パラディンの上半身が傾くと、その足元を縫うようにしてルベラが逃れる。
「ルジン王」
アングルボダが声を弾ませて駆けてくる。
どうやら、彼女は火をつけた荷車を投げ飛ばしたらしい。顔が真っ赤に上気している。
「どうだ。すごいか?」
「すごい」
ルジンは思わずそれを口にしてから、もっとましな言葉をかければよかったと思った。
だが、アングルボダにはそれで充分だったらしい。大きな笑みを浮かべる。
「このくらい、簡単だ! ルジン王はいつもわたしが嫌なものと戦ってくれる。だから、このくらい」
アングルボダが戦斧を握って、ルジンの隣に立った。
「簡単なことだ! いくらでもできる。いくらでもだぞ、ルジン王!」
(嘘つけ)
ルジンは彼女の疲労を感じた。呼吸が荒く、声に力が失われ始めている。
ゴルゴーンや、メリュジーヌたちが働きすぎたときと同じだ。
(あんなこと二回も三回もできることじゃない。この調子なら、次で体力が尽きるんじゃないか? だったら――)
ルジンはやるべきことを即座に決めた。
パラディンは上半身を燃え上がらせながら、歩みを進めてくる。
その両腕が振り上げられたが、明らかにルジンとアングルボダを狙っていた。
「アングルボダ」
ルジンは彼女の名を呼んで、細引きの片方を投げた。
「こいつを思い切り引っ張れ!」
パラディンの腕をかわす。懐に入る。またパラディンが蹴飛ばそうとしてくる――その脚に、細引きを絡めた。
そのまま巨体とすれ違いながら、全力で引く。
「おおう!」
アングルボダが咆哮をあげた。パラディンが大きく傾いて、よろめく。
あとは一瞬だった。
潰れるようにして、雪面に倒れる。
その頭部をハドとラベルトの矢が狙っていた。
ルベラが噛み砕いた箇所に吸い込まれ、傷口を抉りながら呪詛で汚染する。パラディンは起き上がろうともがいたが、その巨体では簡単にはいかない。
そして、アングルボダ。
「覚えておけ」
彼女は何者かに宣言するように、声を張りあげた。
「ルジン王が現れたぞ! 恐れろ、《転生者》ども」
戦斧を振り下ろし、頭部を完全に破壊する。ひときわ黒い血が迸った。
(よし。これで――)
ルジンは白い息を吐いた。
(時間稼ぎは終わった)
後退はほぼ完了した。燃える荷車が通路への道を取り囲み、ほとんど塞いでいる。
前線に残っているのはルジンとアングルボダ、メリュジーヌ、そしてルベラと数羽のグリフォンたち。
(俺たちまで無事に戻るってのは、無理かな)
ソードマンたちは結界柵を乗り越え、こちらを包囲するように押し寄せてきているはずだ。
ルジンは敵の姿を求めて顔をあげ、そして奇妙に思う。
(なんだ?)
いまこの瞬間も、《転生者》たちはルジンたちを殺そうと接近してきているはずだった。
一息つけている、というこの状況がおかしい。
理由を考えようとするが、息苦しい。周囲に音がしない。耳鳴りのせいだとわかる。視界もやたらと狭い。
(混乱してるな、俺は)
大きく息を吸って、吐く。その暇さえあった。
そうすると、急に周囲に音が戻った。視界も広がった気がする。
「突撃だ」
どこかで聞いたような声――馬群。たくさんの人間の兵士が、《転生者》の側面から襲い掛かっている。
それを指揮している一騎に、ルジンは見覚えがあった。
(ロースタルかよ)
ルジンは脱力するような感覚に襲われた。
側面から押し寄せた騎馬の軍勢は、パラディンを失った《転生者》の前衛を蹴散らしている。
その攻勢は圧倒的だった。呪巫筒の強力なものが投げ込まれると、ソードマンたちの群れが揺れる。
それに混じっているパラディンも、炎を浴びれば痛みを感じるのは確かだ。装甲の隙間から内側が焼けてしまう。暴れた結果としてさらに被害が広がる。
(事情はさっぱりわからないが、とりあえず助けられたのか)
この通路を守るため、というよりルンビーク家との取引か何かで、出撃してきたのかもしれない。
あるいは《転生者》が集結しているのを知った、ロースタルの独自の判断なのか。
たしかにこの指揮官には勇敢なところがある。
「――ルジン・カーゼム」
気づけば、ロースタルはルジンの傍らに立っていた。
不利を悟った《転生者》たちが引いていく。それを背後に、彼は毅然とした目でルジンを見下ろしていた。
「ああ」
ルジンは片手を振って、彼の視線に応えた。
「助かりましたよ、元・隊長。さすがに疲れたんで、帰っていいですかね」
「それは許可できない」
ロースタルの口調は厳しく、隙が無い。
「命令違反でお前を拘束しなければならない、ルジン・カーゼム。あの丘での戦いにおいて、私の指示に背いたからだ」
「待て」
ルジンは顔をしかめた。
「それは、あんたが」
「捕縛しろ。四人でやれ、相手は魔獣だ」
ロースタルが言うと、騎馬隊の兵士が四名ほど馬を降りた。鎖と縄を手にしている。
(こいつは、どうしようもないな)
いつの間にか足元にいた、ルベラが威嚇するように唸った。
(どうしようもない)
ルジンはいまさらのように眠気を感じた。疲れている。
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