アングルボダの戦斧 3

 やるべきことは、第一に状況の把握だった。

(勘で動くのは、最後の最後だ。俺の勘はたいしたことないからな)

 先行して駆けだすと、すぐに戦いの様子が見えてくる。


 雪と闇の向こうでは、いくつもの荷車を守るようにして、五十名ほどの兵士が交戦していた。

 雪原に転がる死体を見ると、かなり劣勢らしい。すでに半数以上が討たれているようだ。


 取り囲んでいる《転生者》は、最初に見たときよりもずっと多い。

(二百か、三百――いや、もっとか?)

 ソードマンを主力に、パラディンとクレリックの個体も少数混じっている。接近戦においては非常に強力なパーティーといえた。

 弱点は、鈍足であること。それに追いつかれるとは、連中がよほどしくじったのか、何か事情でもあったのか。


「ルンビーク家!」

 アルノフが驚いたような声をあげた。

「ルジンさん、あの紋章、ルンビーク家ですよ!」

 ルジンは荷車に輝く銀色の紋章を見る。「月に吠える獅子」を象った図案。

 それは戦う兵士たちの盾や、具足にも刻まれている。


 ルンビーク家と聞いて、ルジンには思い出す名前があった。

「バイザック総隊長のところの紋章か? じゃあ、都市警か」

「たぶん、違います。私兵ですよ。ぼくらにあんないい武器は支給されません」

 たしかに都市警備隊で支給される武具よりは、ずいぶんと質がいい気がする。

 さすがに多勢に無勢ではあるが、先頭に立って戦う兵士が振り回す槍は、いともたやすくソードマンの甲殻を貫いている。


(装備もいいが、なかなかの手際だな。あいつは《魔獣化》歩兵か)

 ルジンは心の中で感嘆した。

 その腕力と運動量は、人間のそれを超えている。ソードマンの一撃を受け止め、押し返してもいた。


「なんで総隊長のところの私兵が、こんなところにいる?」

「わかりませんよ」

「荷台の多さからいって、補給部隊……ですかね。それにしては数が少ないですが。そもそもなんで私兵を使って……」

 アルノフは首を振り、オズリューは首を傾げる。ラベルトは無言で弓に矢をつがえ、問いかけるようにルジンを見た。


「そうだな」

 ラベルトは喋らなかったが、言いたいことはわかる。あの部隊を救出し、《転生者》たちをどうにかしなければならない。

 隠されていたはずのサヴラール市への地下通路は、すでに開け放たれている。

 このままルンビーク家の私兵が押されれば、《転生者》たちが雪崩れ込みかねない状態だった。


(やるしかないんだよな)

 焦燥感がある。それを誤魔化すように、ルジンはあえて欠伸をした。

「眠いんですか、ルジンさん。本当にすごいな」

「寝不足だからだ」

 アルノフに適当なことを言い、それから一度だけ後方を振り返る。

 徒歩である森の戦士たちは、それなりに遅れてはいる。しかし、すぐにでも始めなければならない。


「敵だな、ルジン王!」

 アングルボダは大股に駆け寄ってくる。

 瞳が闇の奥を睨みつけている。戦いそのものを待ち望むように、唇を舐めた。

「いつでもやれる! 一千でも、一万でも、ルジン王の敵はぜんぶ叩き潰せる」

「お前は元気だな」

「メリュジーヌにばかり活躍させるな。ルジン王はアングルボダの強さをもっとよく見て、褒めろ」


(そんなに戦いたいなら――)

 足元ではルベラたちコボルトが、いまにも飛び出していきたそうに唸っていた。

 許可を求めるようにルジンを見上げる。

(やってみよう。案外、俺たちは生き延びるかもしれない)

 ルジンは大きくうなずいた。

 決めたからには、楽観的な方向に考えようと思った。


「いくぞ。側面突破、仕掛ける前に弓矢は一度だけだ!」

 言うが早いか、走り出す。

 すぐに《転生者》たちの群れが近づいてくる――こちらに気づく。背後から飛来した矢が、その甲殻に命中し、貫く。

 ラベルトの一矢はソードマンの肩を砕き、ハドの太い矢は胸部を割った。


「ルベラ、暴れていいぞ!」

 ルジンは叫びながら、ルベラとともに敵中に突っ込んだ。


 弓矢で体勢を崩したソードマンの首を、クグリ鉈で弾き飛ばす。

 ルベラの牙が別の一体を噛み砕く――少し遅れて、アルノフとオズリューが突っ込んでくる。アングルボダが、その突破口を強引に押し広げる。

「ルジン王だ! ルジン王と、アングルボダ!」

 アングルボダは叫びながら戦斧を振るう。旋回させる。黒い血飛沫が散り、小さな渦ができあがる。


(余計な名乗りをあげやがる)

 とは思ったが、注意している場合でもない。

 ルジンは細引きをソードマンの頭部に引っかけ、それを手掛かりに跳躍すると、一撃で首筋の殻の継ぎ目を断ち割った。


 側面からの攻撃は、理想的な形で決まったと言っていい。

 コボルトたちとルジン、アングルボダが広げた傷口を、森の戦士たちが深く抉る。

 彼らの武器は、樹木を削った棒の先に、呪詛を施した穂先を取り付けた槍だ。時に跳躍し、地面に突き立てるように槍を使う。

 これは、ソードマンに対して実に有効な戦術だった。身体の構造上、頭上の相手にはあまり有効な攻撃を繰り出せない。


 雪を蹴立てて、進む――というほどの距離もない。

 もとより群れの中に穴を空けるような攻勢だった。押し包まれる前に決着をつける必要がある。


 荷車の傍まで到達するのは、すぐだった。

 壊されかけてはいるが、簡易な結界柵が築かれていたので、一呼吸の余裕ができる。ルジンは大きく白い息と指示を吐き出した。

「弓、撃て! 槍は防御固めろ! ルベラ、みんなで援護してやってくれ」

 ルジンたちが崩してしまった結界柵から、《転生者》たちが押し寄せてこようとする。それを食い止める動きが必要だった。


「増援か!」

 先頭で槍を振るっていた長身の兵士が、顔をあげた。

 近づいてみればわかったが、まだ若い。具足のあちこちに手傷を負っていたが、いずれも軽傷のようだった。


「ありがたい。こちらはルンビーク家の者だ。私はブライセル・ウェンター。そちらは――」

「大いなるルジン王と、その軍勢だ!」

 ルジンが何か言う前に、アングルボダが名乗った。

 名乗りながら斧でソードマンを叩き割ったのだから、相当に強力な印象をブライセルに与えたようだった。


「ルジン王?」

 怪訝そうな目で見つめられる。

 ルジンはまたしてもまともな受け答えが億劫になった。ほとんど逃避的な気分で答えている。

「そう呼ぶやつもいる」

「あの、それは、どういうことなんです?」

 当然のようにブライセルは困惑した。

「あなたは――」


「それはいいから、教えてくれ」

 ルジンは背後の荷車を指差した。

「何の荷物だ? 一つ思いついたことがある。こいつを使っていいなら、サヴラールへ逃げ込めると思う」

「いえ。その荷物は」

 ブライセルは口ごもった。

「補給物資の一種で――」


「サヴラールには十分な備蓄があったんじゃないか? 予備ならここに放棄しようぜ。そうじゃなきゃ全滅して、結局は運び込めないことになる」

「しかし」

「しかし、じゃねえよ――おい。なんだ?」

 ブライセルの様子に、ルジンは嫌な予感を覚えた。

 ワーウルフの嗅覚に引っかかってくるものがある。足早に荷車へと近づく。


「待ってください! この荷車は、バイザック閣下に指示されたもので」

 ブライセルがルジンを遮ってくる。

 どうやらバイザックは自分のことを閣下と呼ばせているらしい。ルジンは滑稽に思った。

(俺なんて『陛下』に『ルジン王』だぞ。馬鹿さ加減ではいい勝負だな)


「アングルボダ」

 ルジンはアングルボダに命じた。

「荷車を開けて、俺に見せろ」

「待ってください。それは、どうか」

 ブライセルが止めようとしたが、アングルボダは躊躇しない。荷車の一つの扉を、引きはがすようにして開けた。

 そして、顔をこわばらせた。


「ルジン王」

 アングルボダが振り返ると、その顔が嫌悪で歪んでいるのがわかった。

「人間の子供だ」


 それはルジンにも見えた。

 彼の目にも値の張る代物とわかる貴石の山、銀の細工物、香辛料の類と思しき木箱――それらの隙間に詰め込まれている人間の子供。


(正気とは思えないな、ルンビーク家のやつら)

 ルジンはむしろ、ただ呆れた。

 呆れるだけにしようと思った――こんな状況で憤っていたら、生き残る確率が下がるだけだ。


(市街の隠し倉庫から、財産を引き上げてるのか? ついでに人身売買か、人さらいか――)

 ルジンはそう思ったが、正確には違う。

 保守派の筆頭であったルンビーク家は、この時期、市民権を剥奪した急進派から財産の没収に腐心していた。

 その狙いはサヴラール市内だけではなく、市外の領地や農園、避難させていた家族や隠し倉庫に至るまで、すべてに及ぶ。

(どっちにしろ、いまどき古臭いことをしてやがる)

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