アングルボダの戦斧 2

 グリフォンは、その当時ワイバーン兵を除いて、ほぼ唯一の「空を飛ぶ」戦闘生物であった。

 ただしその役割は、ある時点まではほとんど通信と輸送の分野に限られていた。

 ある時点――つまりその夜、ルジン・カーゼムがグリフォンに対して行った運用は、十分に「新手」といえるものだった。


 直接攻撃に関して言えば、グリフォンの爪と嘴は《転生者》が相手ではいかにも貧弱であり、有効性は低い。

 前衛から引き離されたクレリックやメイジを襲う――という局地的な活動がせいぜいであった。


 かといって上空からの投下攻撃は、呪符筒を散発的に落としたところで大した効果は発揮できない。それなりの集団が必要になる。

 当時は人類がダンジョンにこもっての戦いに焦点を合わせていた時期であり、グリフォンの大型集団の育成は現実的ではなかった。


 だが、この夜の攻撃はそうした欠点を補うに十分なものといえた。

 要因の一つは、その戦術に適した指揮官――メリュジーヌにある。

 彼女が《転生者》たちの軍勢の上空に到達したとき、雪はいよいよ強くなり、それでも《水晶》の輝きは見て取れた。

《転生者》が築いた《水晶》は、大地のエーテルを吸い上げ、常に青白い輝きを放つ。


「降下して。先頭から順に、素早く」

 メリュジーヌは呟き、片手に握った布を頭上で振る。赤い布だ。

 この高度では声に出して呟く意味はほぼないが、グリフォンたちは布の合図に速やかに従った。

《水晶》を目掛けて、勢いよく急降下を始める。

 目標を誤ることはない。彼らは夜目が利く。もともと、夜行性の猛禽であったという。


 何体かのアーチャーが気づき、棘を射かけてくるが、この暗さと雪の中ではほとんど当たらない。

 一羽だけ、不運にも胴体を貫かれたグリフォンがいたが、目的は達した。

 その前脚で保持していた荷物を、地上にばら撒いていたからだ。


「始めなさい」

 メリュジーヌは鋭く囁くと、今度は赤い布を振り下ろすように振った。

 グリフォンの甲高い鳴き声が連鎖して響く。

 このとき、グリフォンたちの大半は、その前脚で大きな桶を抱えていた。中に入っているのは、雪である。ただし赤黒く濁った雪だった。

 内側には焼けた石をいくつか埋めてあり、溶け始めている。

 それを、《水晶》の直上付近で一斉に投下した。


 濁った雪がばらまかれると、それを浴びた《転生者》は悲鳴のような鳴き声をあげ、その場をのたうつ。

 桶に満載されていた雪は、『禍水ヴォジャ』で汚染した雪である。

 それ自体は直撃しても致命傷どころか、深手を負わせるにも至らない。ただ痛みを感じさせるだけだ。


 だが、直撃しなかったほとんどの『禍水ヴォジャ』の雪は、《水晶》の付近一面に散らばった。

 そうして溶けながら、周囲の雪も汚染していく。


「仕上げを」

 メリュジーヌは、最後に赤い布を横に一振りした。

 自分自身も、抱えていたいくつかの筒を放り投げる。細引きで繋げた、呪巫筒の束であった。

 後方に続いていた五羽ほどのグリフォンが、それに倣って呪巫筒の束を投下する。


 呪巫筒は破裂し、緑色の不吉な炎を弾けさせた。

 これもまた、攻撃のために行った爆撃ではない。

 呪巫筒の炎は再上昇に入ったメリュジーヌたちをアーチャーの射撃から守り、また、地に落ちた『禍水ヴォジャ』の雪をさらに飛散させる効果をもたらした。

 興奮したのか、グリフォンたちは甲高い鳴き声をあげている。

 それでも、メリュジーヌは油断していない。赤い布を振って叫ぶ。

「急いで。速く!」


《水晶》の傍らには、黒い人型の《転生者》が――ブレイヴ個体の『クリシュナ』がうずくまっていたし、『禍水ヴォジャ』の雪を浴びて身を震わせるのが見えたからだ。

 ぎこちない動きで、《水晶》から跳び離れる。

 その剣が持ち上がる前に、速度をあげて夜空に舞い上がる。


 離脱の瞬間こそが、ぎりぎりの瀬戸際といえた。

 最後尾、やや遅れていたグリフォンの二羽が、前触れもなく地に叩きつけられた。直前、体が潰れてひしゃげるのが見えた気がする。


「陛下から預かった兵力を――」

 メリュジーヌは歯噛みをする。

 が、さすがに引き返すわけにはいかない。『クリシュナ』も追撃を行ってはこない。

 この小勢の集団を叩き潰すために《祝福》を用いる――あるいは活動にエネルギーを費やすのは、あまりにも割りに合わないと判断したのだろう。


 この一連の攻撃において、メリュジーヌは大胆、というよりは、機械的なまでの冷静さで指示を下しきった。

 限界ぎりぎりまで《水晶》に近づき、最大の効果を狙って攻撃を仕掛ける。

 再上昇による離脱の機会も完全だった。一切の躊躇もなく、呪巫筒をすべて投下しきっていた。


 そして呪巫筒による緑の爆炎は、ルジンからでもよく見えた。

(――うまくいったかな)

 ワーウルフの視力は、離脱に入ったメリュジーヌの姿を捉えている。

 グリフォンたちに合わせて速度を抑えているようだが、ルジンが知るワイバーン隊よりもずっと軽快で素早い。


「ルジンさん!」

 アルノフが嬉しそうに言った。

 こちらに押し寄せつつあった《転生者》の群れが、慌てたように引き返していくのが見えたからだ。


「やったんじゃないですか? すごいですよ! これがうまく行ってたら……!」

「だといいな」

「いや。本当にすごいと思います。ぼくはルジンさんのこと、尊敬し始めてますよ」

「やめろ」

 ルジンは迷惑そうに顔をしかめた。


(別に敵を全滅させたわけでもないし、ひとつでも運が悪けりゃ失敗してた。できる範囲のことをぜんぶ試してるだけにすぎない)

 そう思ったが、説明が面倒なので口には出さない。自分でも、この攻撃の効果に自信などはない。

 ただ、狙いはあった。


(《水晶》そのものじゃなくて、周辺の地形を攻める)

 ルジンが知る限り、《転生者》の構築した《水晶》は、恐ろしく頑丈なものだ。

 少なくとも、ワイバーン部隊による爆撃にしろ、強襲にしろ、破壊する作戦がうまくいったためしはほとんどない。

 一部の都市で開発された、専用の破壊兵器が必要になるほどの代物だ。


 よって、狙いをその周辺に絞った。

 雪を『禍水ヴォジャ』で汚染する。

 そうしたトラップは、野戦で使われることはあった。雪は溶けるとさらに広範囲を汚染し、《転生者》の進軍を阻む。地面まで達して汚染する。

 それを《水晶》付近に展開すれば、《転生者》の補給を妨げることができるということでもある。


(《水晶》から離れるほど、エーテルの補給効率は悪くなる)

 あれだけ大量にばらまいて汚染すれば、さらにブレイヴ個体の回復を遅らせることができるはずだ。

 少なくとも、水晶に接触するような形での最大効率での補給はできない。


(三日か、四日は稼げるかもな)

 と、ルジンは見ている。

 実際はもっと遅延させることができるだろう。


「ルジン王!」

 アングルボダが、手近なソードマンを叩き潰しながら叫んでいた。

 まるで小枝のように戦斧を振り回し、盾を使って相手を殴りつけることまでやっている。

「こいつら、逃げ始めてるぞ! ルジン王の勝ちだな! 追うか? わたしは、まだ一千はいけるぞ!」


「そんな必要ねえよ。もうやめとけ」

 戦斧を掲げて叫ぶ彼女に、ルジンは左手を掲げて合図をする。

 それは後退の合図だった。


 そもそも、《転生者》たちは逃げ始めているわけではない。

《水晶》が攻撃を受けていると認識し、そちらを防衛しようとしているだけだ。

 ルジンたちが有利に立ったわけでもない――いまだ興奮状態にあり、こちらへの攻撃を続けている連中を適当にあしらって、移動を始めるべきだった。


「引き上げだ! サヴラール市へ帰還しよう」

 そうしてルジンが振り返ったとき、彼の眼は予想外の動きを捉えた。

 ルベラが傍らで唸り声をあげていた。


 何かが、雪と闇の向こうにいる。

 ルジンが想定していた、サヴラール市への隠蔽された出入口の付近である。

 異形と、いくつかの人影だ。ルジンの背筋に、単なる冷気によるものではない悪寒が走った。


(《転生者》――と、それに、あいつらはなんだ?)

 百をはるかに超えるであろう《転生者》の群れ。

 そして、銀の装飾を施された大きな荷車がいくつか。それを取り囲み、守るように人間の兵士たちが展開している。

 銀の装飾には、サヴラールの市章と、どこかの家の家紋らしき印が象られていた。


「なんなんだよ、あいつらは」

 思わず、口に出してしまっていた。

 苛立ちがあった――おそらく、思い通りにいかない自分のツキの無さに対して。

 このままでは、サヴラール市へ帰還できない。

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