アングルボダの戦斧 1
攻撃は静かに始まり、速やかに終わった。
《転生者》の群れに近づくことは簡単で、先制攻撃の形を作ってしまえば、コボルト部隊は想定以上の力を発揮したといっていい。
弓術に長けた森の戦士が二十名ほど、それにコボルト部隊とルジン。
あわせて三十にも満たない数で、降雪を縫うように接近し、瞬く間に蹴散らした。
もともと敵は小規模な一群ではあったが、被害なく潰走させられたのは大きい。
用いた戦術は、極めて単純なものだ。
《転生者》たちが気づく前に森の戦士たちが弓を放ち、迂回したコボルトとルジン、そして騎兵が強襲する。
それはおおむねルジンの構想通りに推移した。
(特に、ラベルト。こいつはなかなか腕がいい)
狩人であったという、極端に無口な兵士だった。
射撃の精度という点では見事というしかない。真っ先に放った矢は、こちらに気づきかけたアーチャーの複眼を正確に射抜いていた。
立て続けに放ったもう一矢で、アーチャーの射撃器官を貫き、攻撃能力を奪っている。
アーチャーという《転生者》は、大きなサソリのような種だ。
長く伸び、自在に折れ曲がる「尾」から棘を撃ち出してくる。この棘の貫通力はすさまじく、結界防御を施していない場合、鉄の盾ですら貫くこともあった。
石を砕いた事例ならいくらでもある。
パーティーを形成されると人間の部隊では倍の数がいても勝ち目がない。
射程距離がたいていの弩を超えるため、そもそも戦闘にならないからだ。
サヴラール攻めのため、西の丘の戦いでは温存されていたのだろう――ただし、弱点も多い。
夜になると途端に射撃精度が落ちること。足が遅いこと。
尾はいくつもの節から成り立っており、その一か所を破壊されるとろくに狙いをつけることができなくなることだ。
ラベルトの矢は、的確にその節を狙うことができた。
(上出来すぎるな)
アーチャーに損害を与え、ソードマンたちの注意を引くことができたなら、あとはルジンとコボルトたちの独壇場だった。
クグリ鉈を振るい、アーチャーの頭部を潰すと、また別の個体に細引きを投げて「尾」の動きを封じる。
そこを、喚き声をあげながら突撃してきたアルノフとオズリューが仕留めた。
ソードマンたちについては、奇襲の形ならばコボルトたちの敵ではない。
(アルノフとオズリュー。こいつらも悪くない組み合わせだな)
あの神経質そうなオズリューが、接近戦になると吹っ切れたような果敢さを見せる。
アルノフはそれを見て少し冷静になるところがあるようで、的確にカバーできるようになっていた。
「ソードマンは少し残して、逃がせ」
ルジンは低い声で告げた。
攻撃を受け、《転生者》たちは奇怪な鳴き声をあげながら逃走にかかっている。ぎちぎちぎちぎち、と、闇夜にすさまじく不快な音が響いていた。
そのうちソードマン種を四、五体は逃がしただろうか。
そうすると、すぐに《水晶》があると思しき方向から救援がやってくるだはずだった。ルジンは心の中で、十ほど数を数えて待つ。
事実、降りしきる雪の向こうで、さらなる群れが迫ってくる足音が響きはじめる。
「これは釣れましたね、大漁ですよ」
アルノフは、そういう軽口めいた言い回しをするようになっている。
ルジンは苦笑した。たった数日で、雑用係だった新兵が、なかなかの図太さを身に着けたものだ。
「退くぞ!」
ルジンは大声で叫んだ。
闇の向こうから迫る敵にも聞こえるように、声を張り上げた。
「ラベルト、ハド、退きながら一度だけ撃ってくれ」
「了解」
「承知した。外しません」
ラベルトは小さく、ハドは力強くうなずいた。
ハドは森の戦士の長を務める男である。初老の域に達していると思うが、その動きは誰よりも俊敏で、もっとも大きな弓を使う。
闇と雪の中を、整然と下がる――森の戦士たちにはそれができた。
さすがに都市の力に頼らず、カズィア森林を生きてきた者たちは戦いに慣れている。
ルベラがまだ戦い足りない、というように、不満げに鼻を鳴らしたくらいだった。ルジンはその首筋を一撫ですると、足早に駆け始める。
背後からはソードマンたちが追ってくる気配がある――ナイトも一騎か二騎混じっているだろうか。
あるいは、ほとんどの個体がサヴラール攻略に回されているはずだが、バンディットも何体かはいるかもしれない。
あとは仮にアーチャーやクレリックがいたとしても追いつけない速度だろう。
十分に引き離せる。
途中、一度だけラベルトと森の戦士たちが矢を放ち、追撃の足を鈍らせた。
とりわけラベルトの矢は、先頭のソードマンの足を的確に射抜いていた。この状況下でも、唸りたくなるほど正確な射撃だった。
「やるな、若いの」
と、ハドがからかうように喉を鳴らした。笑ったのだろう。
「ルジン王の麾下、さすが、というべきかな」
「あなたも」
ラベルトは珍しく低く答えた。
「すごい弓ですね、戦士の長」
(こいつの受け答え、はじめて聞いた気がする)
ルジンは新鮮な気持ちでラベルトを見た。が、すでに黙り込んでいる。
(驚いたけど、軽口を叩いてる場合じゃねえな)
《転生者》たちはますます勢いをつけて迫ってくる。こちらを小勢と見たに違いない。
それから一、二丁――成人男性の歩幅でおよそ百歩の距離――ほども走っただろうか。さらに背後からの気配を強く感じる。
もうすぐそこに迫っているのがわかる。
《転生者》たちに特有の、金属質な甲殻のこすれ合う音が聞こえる。
本当に追いつかれれば、すぐにこちらは壊滅的な被害を受けるだろう。
「ルジンさん、まだですか」
オズリューが不安そうな声をあげていた。
「五百匹くらいは我々を追って来てるんじゃないですか?」
「そいつはすごいな」
ルジンはそこで振り返った。足を緩める。雪原の中に目印を見つけたからだ。
「じゃあ、そろそろ始めるか」
ルジンは細引きの先に括り付けた、穴の開いた陶器片を旋回させた。ひゅうううん、と、奇妙な音が鳴り響く。
それが合図だった。
「いけ」
ルジンが怒鳴ると、左右の雪原が砕けたように見えた。
呪詛を刻んだ盾が並べられ、簡易的に組まれた結界柵が引き起こされる。
それは追撃をかけてきた転生者たちを左右から挟む形だった。ほぼ同時に矢が放たれて、槍の穂先が突き出される。
ソードマンたちにとっては完全な奇襲になっていた。
呆気ないほど簡単だった。
先行させ、雪に伏せていた六十ほどの森の戦士たちが、木盾と結界柵を準備していたというだけだ。
(ブレイヴ個体がいなけりゃ、こんなもんだな)
本来なら現場指揮官であるナイト種にしても、ブレイヴ個体の指揮がなければ敵を探して攻撃する――包囲する――突破する、といった単純な行動しかとれない。
ゴルゴーンと遭遇したとき、ユルグス市の戦いでも的確に砦を包囲されていたらひとたまりもなかっただろう。
フェルガーたちの救援があってもきわどい戦いになっていたはずだ。
(ただし、問題が二つ)
ルジンは浮足立つソードマンの前脚を斬り飛ばしながら、闇の奥に目を凝らす。
(一つ目。ナイトが指揮官としてほかの個体をまとめること)
ナイト種が手勢をまとめ、隊列を組み、立て直そうとするのは見えていた。
そこに、大柄な人影が飛び込んでいく。深紅の髪を振り乱し、戦斧を振るう。それは巨人の鬼のように見えた。
「アングルボダが、来たぞ!」
自分がそこにいることを誇示するように、彼女はナイトの側面から攻めかけた。
ナイトは槍を振り上げ、それを防ごうとする――正面から、その槍が砕かれた。それどころか、勢い余ってナイトの顔面を割っている。
(すげえな)
ルジンは感嘆を禁じ得ない。
ナイトの槍を、単なる腕力だけでへし折ることはできない。鋼よりも硬い、という者もいる。
アングルボダの場合、よほど強力な呪詛があの戦斧に込められているのだろうか。
とにかく、その一撃で指揮官を一人潰すことができた。
「ルジン王! もっと下がれ!」
アングルボダが怒鳴りながら、敵の集団に躍りかかっている。
「数が多いぞ。アングルボダの傍に来い! 必ずお守り、する!」
叫びながら、ソードマンを叩き伏せている。
(確かに、数は多いな。多すぎる。問題の二つ目だ――待ち伏せで攪乱したのはいいが、このまま千や二千も押し寄せてきたらどうしようもない。アーチャーが追いついてきても終わりだ。だから)
ルジンは空を見た。
雪の降る夜空の彼方に、いくつもの翼が羽ばたくのがわかった。
メリュジーヌ。そして彼女が率いるグリフォンたちに間違いない。
(よし)
彼女たちが、煌めく何かを敵の群れに投下するのを見ながら、ルジンは心の中で安堵する。
(時間的にも、最善だったな。ここまで都合よくいくとは――)
ルジンは白い息を吐きながら、クグリ鉈を振るい、逃げ出そうとしたソードマンの一体の首をたたき斬った。
(上出来すぎて、嫌な予感がするな)
《転生者》の黒い体液が、ルジンの頬に散った。
湿った風が吹きつけてくる。
雪はまだ強くなりそうで、サヴラール市への道はまだ闇の奥に沈んでいる。
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