グリフォンの小枝 5

 カズィアの森は、夜の闇に深く沈みこんでいる。

 ルジンたちはそこから静かに進み出た。


 コボルト部隊とアングルボダ、そして七十七の森の戦士を連れての進発である。

 降りしきる雪の中、雪原を踏みしめる音だけが響く。

 そうした沈黙での行軍が可能な部隊だった。


 馬に乗っているのは、サヴラール市の兵士が三人だけである。あとは徒歩で、丘の南側を這うようにして進む。

 ぎりぎりのところまで、戦闘は避けるつもりでいる。

 それでも一度はぶつからざるを得ない。

 サヴラール市に戻るにあたって、それは確実に必要なことだった。


(ただ戻るだけじゃ、意味がない。せめて給料分は働かないとな)

 単なる移動では、いまは隠蔽されている出入り口に、《転生者》の軍勢を引き連れていくだけの結果になってしまう。

 その場合、都市警備隊はルジンたちごと封鎖しようと考えるかもしれない。

 役に立つような戻り方をするべきだった。


(《転生者》たちに打撃を与えてから戻る)

 ルジンはそう決めている。それができて初めて、大手を振って戻ることができる。

 それは見栄に近い気持ちだった。


(パーシィの仕事を楽にしてやる。大きな貸しができるな)

 ルジンは彼らの姿を思い浮かべる。

 いまごろフェルガーは酒を飲み、好きなだけ眠りを貪っているだろう。戦況がこうなると、ワイバーン部隊の働く場所は減る。

 変わって、パーシィとグレットのような連中の忙しさは過酷になっていく。


(あいつらは俺が死んだと思ってるのかもな)

 それを考えると、なんだか滑稽な気分になった。

(そうはいかねえぞ)

 思わず笑ってしまったとき、声をかけられた。


「ルジンさん」

 と、名を呼んだのはアルノフだった。オズリューと並んで、ルジンの隣を騎乗で進んでいる――二人とも、ひどく張り詰めた顔をしていた。


「余裕ありますね。オズリュー先輩なんかは、昨日は吐いてましたよ」

「吐いてない。余計なこと言うなよ、アルノフ」

 オズリューが反論するが、顔色は悪い。蒼白ですらある。

「でも、まあ……俺もルジンさんみたいに笑えないのは確かですけど」


 ルジンは二人を見て、少し呆れた。

 それだけ張り詰めた顔をしておきながら、そんな口を叩ける余裕があるとは。自分よりもよほど肝が太いのだろうか。

「俺は、別に余裕があるから笑ってたわけじゃない」

「じゃ、なんでですか?」

「さあ」


 話そうとしたが、説明するのが面倒でもあり、また正直に言うと阿呆だと思われる気がした。

 こういうとき、ルジンの口から出る言葉はいつも極端で、支離滅裂なものになる。

「せめて楽しまないと損だと思ったからな」

「すごいな」

 今度は、アルノフが笑った。苦笑いに近いかもしれない。

「ルジンさんはすごい。森の戦士たちが尊敬してるのもわかりますよ。ぼくの見立てじゃ、ただの傭兵ってのも嘘なんでしょう?」


「そんなはずがあるか」

 ルジンは言ったことを後悔した。いつもそうだ。

「ただの傭兵だ。こんなことやってるのもいまだけだし、何ならお前らが指揮してくほしいくらいだよ」


「無理ですよ。ぼくがルジンさんだったら、こんなことできません」

「どういう意味だ?」

「サヴラールに戻ることですよ。ぼくなら逃げてるかも」

「どうかな」

 逃げる方向が逆なだけだ、とルジンは思う。

(あるいは、言い方の問題だな。逃げるだの、立ち向かうだのは、それを言うやつの気分次第だ)


 ルジンの場合、森の民を率いるような形でよその街に行くよりも、サヴラール市に戻って一人の傭兵になった方がましだった。

 それは逃げ込むのと大差がない。

 本当ならばルジンにとって、生きるのも死ぬのも自分ひとりだけで完結させたいことだ。


「ルジンさんって、本当は何者なんですか? ぼくは――」

「知るか。無駄口はもういい」

 ルジンは本格的に面倒になって、会話を打ち切ることにした。

「そんな余裕があるなら、これから戦う敵の心配をしておけよ」

 ルジンは隣を足早に歩くルベラとともに、姿勢を低くして、雪原の先に目を凝らす。

 もう、サヴラール市の城壁が見えてきていた。いつ敵とでくわしてもおかしくない。


 昨日のメリュジーヌの偵察によると、《転生者》はすでにサヴラール市の攻略を開始している。

 バンディットやナイト、メイジ、クレリックが中心となっているらしい。そうした種の個体数が、《水晶》の周囲に明らかに少なかった。

 逆に本陣を守っているのは、アーチャーやパラディンといった個体のようだ。


(ウィッチもサヴラール攻略に投入されているみたいだな)

 これは、《転生者》たちが後方にほとんど注意を払っていないことを意味する。

 ダンジョン化したサヴラール市内部でも、ウィッチが働く場所は多い。

 空を飛んで床上設置型のトラップを回避できるし、頭上からの攻撃は防御部隊を攪乱するのに役立つ。


(いまのところ、やつらを軍隊だと思わなくていい)

 ルジンはそれを知っている。

(どちらかといえば、野生動物の群れだ)

 ブレイヴ個体が休止状態にあり、指揮を受けていない状態の《転生者》たちは、昆虫の群れのような行動を示す。

 隊列のようなものを作ることはあっても、戦術はある程度画一的で硬直したものになる。

 囮や陽動にもかかりやすい。


「パラディンって、どんな《転生者》なんですか?」

 アルノフが横から尋ねてくる。

「ぼくは見たことがありません」

 緊張すると口数が多くなる性質らしい。オズリューは反対に喋る気力も湧かないようだ。


「パラディンは、見ればわかる。とにかくでかい」

 緊張をほぐすために、ルジンは付き合ってやる気になった。

「両腕が発達していて、前腕が盾みたいになってる。これが嫌になるほど硬い。叩きつけるような鈍器としても使ってくる。もちろん、その部分以外もかなり頑丈だ」


 ルジンは自分の腰に帯びたクグリ鉈を見る。

 苦し紛れにこれを叩きつけても、甲殻の継ぎ目でなければ傷一つつかない。

 よほど正確な呪詛による攻撃が必要で、つまり、ルジンのような軽歩兵が相手にするべき敵ではないということだ。


「いま、俺たちの部隊がまともに戦うやつじゃないから、そいつは気にするな。やつらは足が遅いから、動き回ってぶつかるのは避ける」

「なるほど。じゃあ、アーチャーは」

「敵として考えるなら、そっちだな。鋼の矢みたいな棘を飛ばしてくる。弩よりも遠くまで届くから、やっぱり正面突撃は自殺行為だな」

「だったら、どうやって戦えばいいんです?」


「ああ。もうそれを始めてる」

 ルジンはさらに姿勢を低くした。

 感覚に触れてくるものがある。ルベラもルジンの傍らで、鼻を空に向けた。

 見つけた、ということだ。ごく少数の群れが、前方を移動している。《水晶》を守るため、巡回している偵察部隊だろう。


(ソードマンを護衛につけて、アーチャーが複数。バンディットはなし)

 やはりバンディットは大量にサヴラール市の攻略に投入されていると見ていい。

 ダンジョン化した都市攻略の、特に序盤では、バンディットが積極的に――主に自らを犠牲にする方法で、罠を発見にかかるのが定石だった。


「先に見つけて、静かに接近する。対アーチャーに限らず、これが理想だな」

 夜間に限り、アーチャーの索敵能力は高くない。

 彼らは狙撃のための視力に特化した個体であり、それを巡回に投入していることそのものが、ブレイヴ個体不在の《転生者》たちの戦術の限界といえた。


 とにかく数をそろえて、個体の犠牲は出しても、《水晶》に近づくものを早期警戒する。

 それだけのために動いているように思えた。

 あるいは、単に数が足りていないだけか。アーチャーを巡回にも投入せざるを得ないのか――理由があるのか。

 とにかく確かなのは、目の前に殺すべき敵がいるということだ。


「行こう」

 ルジンは片手をあげた。

「もともとコボルト強襲部隊は、こういう戦いが圧倒的に得意だろう。森の戦士たちにも本領を見せてやらないとな」

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