グリフォンの小枝 4

 森の民が飼育している奇妙な獣は、「グリフォン」と呼ばれているようだった。

 猫科に似た胴体から、翼と、鉤爪のある四肢が生えている。

 森の民はこれを輸送や通信に利用していた。


(なるほど。使えるな)

 本来ならグリフォンたちの四肢は、大きな獲物を運ぶのに使われるのだろう。

 鳩や鷹といった鳥類よりも、より安定して大きなものを掴むことができる。野生のグリフォンは、小柄な人間を襲って殺し、巣に持ち帰ることもあるという。


「ここでは三十羽、育てております」

 と、戦士たちの長であるハドは言っていた。

「卵から孵ったばかりのグリフォンは、人に良く馴れます」

 そうして、人に馴れるグリフォンを交配させ、代を重ねるごとに呪詛を沁み込ませてきた。彼らは笛の合図と多少の言葉を理解するため、かなり自在に操ることができるのだという。


(できることは、ぜんぶやっておく)

 ルジンはこれを、メリュジーヌに率いらせることに決めた。

 空を飛び、指示を出すことができる彼女以上の適任はいない。


「陛下の護衛ではないのですか」

 と、本人は不満を口にしたが、構ってはいられなかった。

 メリュジーヌはそれからずっと、笛の合図と群れの扱いを森の民から教わっている。しかも、子供たちからだ。


「屈辱です」

 と、はっきり言っていたものの、戦士たちには他にやるべきことがある。

 そちらはアングルボダが異様な奮起をみせて指導していた。


(時間がない。『クリシュナ』が活動を開始する前に、サヴラール市に入らないと)

 ルジンは一人、地面に広げた地図と睨みあう。朝からずっとだ。

(準備には二日。それ以上はかけられない)

 これまでの戦いから、ルジンはブレイヴ個体が力を使った後、どのくらいの休息を必要とするのかおおまかな感覚を持っている。

 二千人が守る陣地を壊滅させたのだから、七日は動けなくなってもいいはずだ。ただし、その直前にもう一体――空を飛ぶブレイヴ個体が、そこそこ打撃を与えていた。


 微妙なところだ、とルジンは考えている。

 結局、最速で準備を整え、無理をしてでもサヴラール市へ向かうしかない。

(五日で動き出すものと考えよう。その前に、街に入る)

 ルジンの指が、木片を綴じて作られた地図を辿る。


 なかなか詳細な地図といえるだろう。

 森と丘、その東方にサヴラール市がある。

 サヴラール市は東のサヴェンテ山脈を背に築かれた都市だ。断崖を背負って半円形に城壁が築かれ、そこに四つの塔を持つ。

 塔は見張り台でもあり、防御拠点でもあり、また地下への出入り口でもあった。


(だが、この四つを使うのは無理だ)

 メリュジーヌの報告によれば、《転生者》たちは都市西部に《水晶》を築きつつある。

 今日の夜からでも攻略が始まると思った方がいい。

(ここじゃなくて、南)

 城壁から南へ、やや離れた場所に、もう一つ隠された出入口がある。サヴラール市を目指すなら、そこしかない。


(たどり着くのは簡単じゃない)

 必ず《転生者》に察知されるだろう。《水晶》を設営している拠点に近づく必要があるからだ。

(やつらは《水晶》への接近に対し、過敏に反応する)

 突破の必要がある。まともにそれをやるには、圧倒的に数が足りない。


 まともではないことを、やるしかないだろうか。

 それでも画期的な方法など思いつかない。奇策の類はルジンからもっとも縁遠いものだ。

(向いてないんだよ。俺にできるとしたら、ただ――)


「ルジン王!」

 テントの入り口から聞こえた声が、ルジンの思考を中断させた。

 アングルボダが、その大きな体を縮めるようにして入ってくるのが見えた。

「今日の仕事、終わりだ! だいぶ捗ったぞ!」


「ああ」

 ルジンはそこではじめて、テントの外が夕闇に包まれていることに気づく。かなり長時間、地図とにらみ合っていたらしい。

(道理で頭が疲れるわけだ)

 ルジンは一度目を閉じ、開く。傍らのランタンを近くに引き寄せた。


「ルジン王! アングルボダもがんばったぞ。いっぱい木を切った。偉いか?」

「そうだな」

「だったら褒めろ。わたしの頭をなでるといいぞ!」

 頭を突き出されて、ルジンは苦笑した。

「子供か」


「うん」

 アングルボダは笑った。

「ルジン王に拾われたときを思い出す。あのとき、アングルボダはまだ子供だった。小さかった」

「それは――」

 未来での記憶というやつか。まるで心当たりのないことで、ルジンとしては曖昧な返事をするしかない。

 ふと、気になったことを口にすることにする。


「お前は、未来の記憶をかなりたくさん持ってるんだな」

「わたしはルジン王のことならなんでも覚えている。……ごめん。嘘だ」

 アングルボダは、申し訳なさそうに身をすくめた。

「わたしは、他のみんなほど体を変えていない。少し大きくなって、頑丈になっただけだ。……だからだろう、と、ベクトのやつが言っていた」


「そうか」

 ルジンはゴルゴーンとメリュジーヌを思い出す。

 それならばゴルゴーンの腕の『瞳』と、メリュジーヌの翼は、《転生》とやらによって身に着けたものなのだろう。


「最初は、ルジン王のことを父上だと思った。拾ってもらったとき、わたしは小さかった。でも、すぐに兄上だと思うようになった」

 アングルボダは楽しそうに言いながら、ルジンの背後に腰を下ろす。


「それからしばらくして、やっぱり兄上ではなくなった。ルジン王の花嫁になりたいと思った。ルジン王は、わたしの嫌いなものと戦ってくれた。わたしと一緒に怒ってくれた。私と一緒に悲しんでくれた」

 アングルボダの眼は、何一つ隠すところがない。苦手だ、とルジンは思った。


「わたしは森の民として生まれた」

 なんとなく、そんな気がした。アングルボダに対する森の戦士たちの態度は、同胞に対するそれと同じように感じた。

「そして、みんなを無くした。《転生者》たちに殺された。私は森の中をさまよって……いろいろな大人に会ったぞ。覚えている。勇気のあるやつらもいた」


 アングルボダの声が不愉快そうになった。

「《転生者》を倒すために戦っているって、そう言ったやつら。だからわたしに一緒に来いって。何を捨ててもいいから、一緒にみんなの未来を守ろうと言った。……でも、嘘だった」

 強い怒りの声。

「みんな、自分や、自分の家族が危なくなると、逃げていった。わたしを『娘』に……家族にしたいと言った人もいたけど……それは、家族以外を見捨てて逃げることだった。ルジン王は違う」


 アングルボダが笑った気配がする。ルジンは振り返って彼女の顔を見た。

 泣こうとしていたのか、笑おうとしていたのか、ルジンには区別がつかない。

「ルジン王は、顔も知らない誰かを助ける。いまもそうしようとしている」


「俺が? それは……」

 ルジンは顔を歪めた。買いかぶられすぎている。

 そんな狂った男になるつもりはなかった。いま、外からはそう見えているのだろうか。

「……それは未来の俺で、たぶん別人だ。そんなもんは忘れた方がいい」


「いまも」

 アングルボダは、背後からルジンを掴んできた。

「何も変わっていない。少しも。あのときと同じ。誰かを見捨てない、誰かを選んで助けない。わたしの知っているルジン王だ」

 抱きかかえようとしているのだ、と気づいて、ルジンは彼女から身を離した。


「ルジン王、冷たいぞ。わたしはお前の花嫁なのに」

「それは違う俺だ」

 ルジンは断言した。

「その俺は死んだんだろう」

「そうだ。アングルボダが……わたしが、守れなかったせいで」

 うつむいたアングルボダに、ルジンは不意に疑問を感じた。

 これまでなぜこのことを気にしていなかったのか、いまさらながら驚くほどの疑問だった。


「未来の俺は」

 なぜか、やけに喉が渇く。

「……どうやって死んだ? 魔王だったんだろう」

「決戦で。最強のブレイヴとの戦いで……本当なら、勝てるはずだった」

 アングルボダは、強い目でルジンを――いや。もっと遠くの何かを睨んだ。


「裏切りがなければ、きっと。わたしたちは勝利していた」

「裏切り?」

「《転生》した者は九人いる。ルジン王の九星。……だが、信用するな、ルジン王」

 アングルボダは、自らの言葉に深くうなずく。

「そうだ。裏切者がいる。だからわたしは、メリュジーヌも信用していない」

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