グリフォンの小枝 3

 テントを出ると、ルベラが顔を上げるのが分かった。

 ずっと入り口でうずくまっていたらしい。

 まるで、何者かの襲撃を警戒するように――ルジンにはその標的がわかった。


(あの、変な鳥みたいな生き物だな)

 猫の体躯に、鷲の翼が生えている。頭部は猛禽に違いないが、何か独特の殺気とでもいうべきものがあった。

 この集落では、何羽もそれが飼育されているらしい。あちこちの小枝に止まっている。


「あれは敵じゃないよ、気にするな」

 ルベラの首筋を撫でてやってから、歩き出す。

 その足取りは重く、ルベラが気にして鼻先を押し付けてくるほどだった。

 考えなければならないことは多いが、やるべきことはそれ以上に困難だ。これから、サヴラール市に帰らなければならない。


(街を囲んでる《転生者》は、『クリシュナ』を含めて少なくとも一万。もしかすると、その倍はいる)

 その包囲を潜り抜けて――あるいはすり抜けて、都市に入る必要がある。

(サヴラール市には、通常の出入り口が四つ。隠蔽されている非常通路がさらにもう四つ)


 ルジンは、その隠されている一つを知っていた。

 兵士として非常時に出入りするためのもので、露見したらすぐに通路ごと封鎖することができる。

 いまはまだ、そこが塞がれていないことに賭けるしかない。


(それにしたって、完全に隠密で出入りするのは無理だろう)

 敵の包囲網をかすめて、場合によっては突破しなくてはならない。

 それには速度が必要だ。

 せめて『クリシュナ』が回復しないうちに始めなければ意味がないだろう。そして、ただ侵入するだけでは敵も引き連れていくことになってしまう。

 何か、方法が必要だった。


「陛下!」

 テントから、慌てたようにメリュジーヌが追ってくるのがわかる。

「お待ちください。サヴラール市へ向かうのは危険すぎます、どうか私の話を」

「わかってるよ」

 ルジンは片手を振った。

「ここまで付き合ってくれたことには感謝してる。世話になった」


「そんな」

 メリュジーヌは言葉を詰まらせた。

「臣下として、伴侶として、陛下のお役に立つのは当然のことです」

「だったら、もう大丈夫だ。これ以上迷惑はかけない。俺は好きにやるよ」

「そういうわけにはいきません。ほかならぬ陛下の御身のことです」

「俺のことは……まあ、いいだろ」


 ルジンは肩をすくめた。

「たいしたやつじゃないよ、俺は」

「いいえ! 決して! もしも、陛下に万一のことがあれば――」

「サヴラール市には、山ほど人がいる」


 面倒になってきて、ルジンはいい加減なことを口走った。

 半分以上が嘘だ。

 サヴラール市にいるすべての人々の命を心配しているわけではないし、そんなつもりはまったくない。

 ただ、そういう言い訳を口にしてしまっただけだ。そうでもしなければ、そういうわかりやすい主題がなければ、この面倒な問答が続きそうだと思ったからだ。


 サヴラールには、軍勢と、彼らが守っている市民がいる。

 いまごろ大慌てで防衛準備をしているだろう。パーシィはもちろん、フェルガー、グレット、それに――ゴルゴーン。

 ルジンはどこまでも真面目なあの女の顔をも追い出した。

「そうだな。ゴルゴーンも苦労してるんじゃないか」

「ゴルゴーン」


 ルジンの一言は、しかし、メリュジーヌの機嫌を悪くしたようだった。

「陛下は、あの者をご心配なさっているのですか」

「かもな」

 またしても自分の考えていることを説明するのが面倒くさくなり、ルジンはいい加減なことを言った。


 正直なことを言えば、心配とはまた違う。

 自分の知っている人間が、ひどい目に遭うかもしれない。それを考えるのが憂鬱で、罪悪感にも似たその感覚から逃げたくなる。

 逃げたい気持ちが時として跳ね上がって、無茶なことをやってしまうことがある。

(いまが、それだ)

 ルジンはそう思っている。


「……ゴルゴーンは、覚悟しています」

 メリュジーヌの声が低い。

「陛下のため、少しでも敵を引き付け、時間を稼ぐことを。私がゴルゴーンの立場でも、そうします」

(時間稼ぎ。それは俺の仕事だ)

 とは思ったが、口には出さない。説明するのがあまりにも億劫だった。


「俺は行く。ついてこなくていい」

「いえ」

 メリュジーヌは怒ったようにルジンを見ていた。

「いいえ。陛下。私が必ずお供します。いついかなる時も。たとえ、死が二人を分かつことがあってもです」

「お前は」


 メリュジーヌの無茶に思える物言いに、ルジンが何か言おうとした時だった。

 背後から、大きな足音と金属音が聞こえてくる。それも複数。


「ルジン王!」

 アングルボダだった。すでに、赤黒い甲冑を身にまとっている。

 さらにその背後には、森の戦士たちが数十名ほど続いていた。

「準備ができた! いつでもいけるぞ!」


「……お前、というか、そっちの連中も」

 ルジンは重たい気分で、彼女たちを眺めた。

「サヴラール市についてくるつもりかよ。死ぬぞ、たぶん」


「覚悟、できています」

 森の戦士の一人が、腹の底に響くような声をあげた。

「我ら戦士七十七人、ルジン王のもとで戦います」

 一種、異様な圧力のある声だった。かなり年かさの男で、額に赤い二重円の入れ墨が施されている。抱えている槍もひときわ大きく、穂先は黒い鋼である。

「戦います!」

 と、やや甲高い声で、すぐ後ろの戦士が繰り返した。そちらはもっと若い。額には赤い一重の円が刻まれている。



「ルジン王。これは戦士たちの長の、ハド。後ろにいるのが、娘のトゥエだ」

 アングルボダは笑顔で紹介した。

 娘だったか、と、ルジンは思う。思いながら、ひどく不可解な気分に襲われる。


「なんなんだよ」

 口をついて出たのは、まずそんな言葉だった。

「なんで俺の下なんかで戦おうとする? 俺は……」

 言葉に迷う。

「俺は、別に何者ってわけでもない。ただの……」

 ただの、何か。何と言おうとしたのか、ルジン自身にもわからない。

 ただ、ハドと呼ばれた戦士の長は、顔をあげて首を振った。


「あなたが、何者か、我々は知っています。我らの姫が」

 と、その視線が一瞬だけアングルボダを見た。

「我らの戦姫が、王と言った。だから従います」

「なんだ、それは」

「アングルボダは、我らの戦姫です。大河よりあらわれ、我らを助けてくれた。命を救われたのだから、命で返すのが当たり前のこと」


(なんだそれは)

 と、再びルジンは思ったが、アングルボダは得意げな顔をしていた。

「ルジン王。わたしはルジン王のために、人助けをしていた。偉いか?」


 勝手にしろ。

 ルジンはそう言いたい気持ちを抑えた。目眩もこらえて周囲を眺める。

 たくさんの目が、こちらを見ていた。

 メリュジーヌとアングルボダ。跪いている森の戦士。好奇の瞳でこちらを見ている、森の民の子供たち。六頭になってしまったコボルト。部隊からはぐれることになった、三人の若い兵士。


(ちくしょう)

 もしかしたら、これはベクトの思うつぼというやつなのかもしれない。

 自分がここまでするのをすべて把握していたのだろうか。いずれにしても、選択肢はほぼない。


 サヴラール市を防衛して、時間を稼ぐ。

 ベクトがまだ無事ならば、せいぜい《転生者》どもを引き付けて、やつが逃げる隙を作る。

 それからあとは――


(見てろよ、ベクト)

 ルジンは強く思いながら、うなずいた。

(俺は絶対にそんなことやらないからな。何をしたのか洗いざらい吐かせて、魔王って肩書は叩き返してやる)


 サヴラール市に帰るために、この連中を徹底的に利用してやる。

(俺みたいなやつに従ったのが悪かったって、思い知らせてやる)

 そう、強く思う。

 さしあたって、まずやるべきことは一つ。


「聞きたいことがある、ハド」

「どんなことでも」

 ハドが顔をあげた。日に焼けているのでわかりづいらいが、もしかしたらかなり若いのかもしれない。

 ルジンは森の枝にとまる、猫の体に猛禽の翼をもった動物を指差した。

「あの、変わった生き物の名前は? 気になって仕方がないんだよ」

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