グリフォンの小枝 2

「ですから、未来は数限りなく分岐する、枝のようなものなのです」

 野営地を歩きながら、メリュジーヌはそう言った。

 真面目な顔をしているので、少なくとも冗談の類ではないだろう。

 それでもルジンには、その話の意味が半分程度しか理解できないという気がした。


「私やゴルゴーン、アングルボダは、未来で一度死にました。そして陛下の危機をお救いするべく、その未来の一つから馳せ参じたのです。それを為すための力を授かって――そのようにご認識ください」

 メリュジーヌは辛抱強く喋る。

 未来の一つ、と言われて、ルジンは余計に意味がわからなくなった。時間というのはそう簡単に行ったり来たりができるものなのか。


「ベクト師の言葉を借りれば、これを《転生》と呼ぶらしいのです。……私よりも、こうした話はティアマトの方がうまくできるはずですが」

 転生。

 たしかにベクトは、人類に味方する《転生者》を生み出そうと、あるいは作り出そうとしていた。


 ベクトの研究の成果が、彼女たちなのだろうか。

 たとえそうだとしても、

(……なんで俺なんだよ)

 という深刻な疑問が残る。

 よりにもよって、ルジンの未来の伴侶――だかなんだかを、《転生者》にするというのが理解できない。


「いまはご理解できなくても仕方がありません。ですが、このことだけは心にお留めください」

 メリュジーヌは真剣な顔でルジンを見上げる。

「私こそが、唯一まことの陛下の伴侶。魔王となる陛下のお傍に付き従うべき運命なのです」

「それじゃあ、伴侶にならなかったら」

 ルジンは当然のように浮かんだ疑問を口にした。

「もしかして俺は魔王にならなくて済むのか?」


「うっ」

 メリュジーヌは何か大きな失敗を犯した、というような顔をした。

「……だから言いたくなかったのです。こういうことを仰るお方だと知っていましたから。絶対こうなると思って……!」


 ルジンは聞かなかったことにした。

 いま、これ以上考えるのは無理だ。というより、理解するのは永遠に不可能かもしれない。

(ベクトの考えることは、昔からわけがわからん)

 半ば諦めとともに、ルジンは野営地の中央にあるひときわ大きなテントをくぐった。

 あまり馴染みのない、刺激のある香料の匂いが鼻に触れてくる。


「ルジン王!」

 ルジンの顔を見て、アングルボダが嬉しそうな顔をした。

 彼女はテントのもっとも奥で、その大きな体を窮屈そうに収め、あぐらをかいて座っている。


「こっちだ、ルジン王」

 アングルボダは自分の膝を叩いた。

「ここに座るといい。食事もできている!」


 まさか、アングルボダのあぐらの上に座れというのか。

(無理を言うな)

 ルジンは顔をしかめた。周囲からの視線に気づいたからだ。

 森の民たちが左右に並び、その端にはアルノフたちも居心地悪そうに座っている。ラベルトだけは、表情が読めない。


(こいつはちょっとした苦行だな)

 ルジンは無言でその視線の中を歩き、アングルボダの隣に腰を下ろした。

 そのまま地面に置かれていた、革の皿を手に取る。

 とにかく空腹だった――その皿に盛りつけられているのは、ルジンの見たことのない料理だったが、貪り食べたいという気分になっている。


「あっ、ルジン王。ちゃんとアングルボダの上に座らなければ駄目だ。お守りできないぞ」

「勘弁してくれ」

 ルジンは一瞬だけ迷って、皿に盛られた料理に手を伸ばす。


 削ぎ切りにした鹿の肉、のようだった。

 何かの黒い汁に漬け込み、軽く炙ってあるらしい。

 まぶしてある香草は未知のものだったが、舌に乗せるとやや辛みのある味が広がってくる。しかしどこか甘い。


(美味いな)

 ここのところ野戦糧食ばかりだったため、余計にそう思うのかもしれない。

(そういえば森の民の集落で、飯を食わせてもらったことはないな)

 カズィアの民の集落に、何度か滞在させてもらったことはあったが、基本的に食事は自分で稼ぐものだった。

 自然と、蛇や魚が主食となった。


「陛下。こちらの料理は、私が調理を指導しました」

 次々に食べているうち、気づけばメリュジーヌが隣に座っていた。

 ルジンの肩に顔を寄せてささやく。

「この森で採れる調味料を使っていますが、陛下の舌にあうように手を加えています。そのままでは辛すぎると思いましたから」


「メリュジーヌ、偉そうだぞ」

 アングルボダが声を尖らせた。

「鹿を獲ったのはわたしだ。だいたいお前は、陛下の傍に近すぎる」


 険悪な空気が流れかけた。

(俺が止めるべきなのか? 面倒すぎる)

 ひどい苦行だ――そう思いながらも、ルジンは片手をあげていた。まるで発言の許可を求めているようだ、と思った。

「喧嘩は好きにやってくれていいが、その前に教えてくれ。重要な話だ」

 ルジンは鹿肉を飲み込み、また別の木皿に注がれた湯を手に取る。

 こちらは、かすかに塩味がついていた。


「森の外の状況はどうなってる? 特にサヴラール市だ。わかる範囲でいいから聞きたい。そこにいる連中にとっては帰る場所だし――」

 ルジンはいまだ居心地が悪そうな兵士の三人を、親指で示す。

「俺は給料を受け取らなきゃならない」

 それに、友達から酒を奢ってもらう約束も、賭けの勝負をつける約束もある。貸している金も取り立てなくては。


「はい。偵察は完了しています」

 メリュジーヌは神妙な顔でうなずいた。

 どうやらルジンは半日以上も眠っていたらしい。飛行力を取り戻したメリュジーヌは、先ほどまで斥候に出ていたのだという。


「空を飛んでいたブレイヴ個体は森の奥に撤退しましたが、『クリシュナ』は丘の陣地を圧壊させて進軍。サヴラール市近郊で補給のため停止しました」

 最悪の一歩手前、という状態のようだ。

 アルノフたち三人の顔に、不安と恐怖がよぎるのがわかった。


「現在、クレリックどもが大地を掘削し、総出で《水晶》を設営しています。他に、いくつかの休息用の構造体も。どうやらそこに拠点を作り、サヴラール市の攻略にかかるものと推測されます」

《水晶》というのは、《転生者》たちがつくる数少ない大型構造体の一つだ。

 大地からエーテルと呼ばれる力を吸い上げ、付近にいる者たちを治療する、あるいは活動力を再生させる力があるらしい。


 こうした《水晶》を拠点に、《転生者》たちは少数のパーティーを形成し、ダンジョン化した都市の攻略にあたる。

 ダンジョンは大軍が有利な環境ではないし、一網打尽にするトラップも存在するからだ。

 瀬踏みをするように、《水晶》で体力を回復させながら、できるだけ戦力を温存して攻める。

 それが《転生者》たちの戦術だ。


「サヴラール市に戻られるのは危険です、陛下」

 メリュジーヌは当然のことを言った。

「ここは他の街に戦力を求めるべきでしょう。あの街はすでに陥落したという前提で行動しなくては」


「そうだ、ルジン王。わたしはルジン王を助けるために来た」

 アングルボダも口を添え、自分の胸を叩いた。

「安心しろ。森の戦士たちはルジン王のために戦うと誓ってくれたし、わたしも傍にいる。北でも南でも、今度はずっと、どこまでもお供できるぞ」


 ルジンは彼女らの言葉を聞きながら、また頭痛がぶり返すのを感じた。

 まだ疲労が完全に抜けていないのだろうか。

 それとも、単にこれから言うこととやることに気が進まないだけか。おそらく両方だろう、とルジンは勝手に結論づけた。


「悪いが、俺はサヴラール市に行く」

 ルジンがそう言った時、アルノフたちが目を丸くするのがわかった。ラベルトですらそうだった。

 そちらには、ひきつった笑いしか返せない。


「給料をもらってないし、友達と約束がある」

 だから仕方がない。

 傭兵というのはそういう商売だ。ルジンは自分にそう言い聞かせる。

「誰も付き合わなくてもいい。好きにさせてくれ」


「しかし」

 メリュジーヌが、抗議するようにルジンの肘を掴む。

「『クリシュナ』の構えている、《転生者》の陣営は」

「どうにかする」

 あまりにも面倒になって、ルジンはそれだけしか言えなかった。


(どうにかするってさ)

 ルジンは他人事のように思った。

 さぞかし自分は、どうしようもない馬鹿に見えているだろう。

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