メリュジーヌの翼 4

 雪を蹴立てて、《転生者》たちが迫ってくる。

 横合いからだ。

 森の木立までの距離がまだある。そこまでは逃げきれない。


(やっぱり、ここでやるしかないな)

 と、ルジンは判断した。そうである以上、多少の戦術が必要になる。


「一度だけぶつかるぞ。作戦はさっきの通り」

 ルジンは外套の内側に手を突っ込む。

「攪乱して、足を止めたら全力で走れよ。森の中に入って逃げろ。後のことは、お互い面倒見ない。俺にも期待するな」

 混乱させて突破して、あとは個別に散って逃げる、ということだ。

 ルジンにしても、他人の命の責任まで感じたくはなかった。


「ラベルト」

 ルジンは無口な兵士を振り返った。

 彼は無言でうなずいて、短い弓に矢をつがえる。

 残った者のうち、弓を携行していたのはラベルトだけだ。どうやらラベルトは狩人の出身であり、どんな時でも手放さないようにしているらしい。


「ルジンさん」

 アルノフが強張った声で言う。

「バンディットはともかく、ナイトを片づけられるでしょうか」

「言っておくが、ナイトに捕まったやつは運が悪かったと思え」

 考えはあったが、面倒だったのでルジンはいい加減な答えをした。四人の残った兵士を眺めまわす。


「せいぜい時間を稼いで死んでくれ。助ける気はないし、俺が捕まっても助けるなよ。焼け石に水だからな」

 アルノフはまた不満そうな顔をしたと思う。オズリューは吐き気をこらえたようで、ダオだけが素直にうなずいた。

「そうします。ルジンさんとメリュジーヌ様で無理なら、俺らがやれるはずがないし」

「わかればいい」


 ラベルトが弓を引き絞っている。

 その音に合わせるように、《転生者》たちとの距離が詰まる。ナイトが一体。バンディットが二十――いや、十九か。


 やれる可能性はある。

 ルジンはナイトが槍を構えるのを見た。その先端に炎が灯っていた。

(よし)

 炎を操る型の魔槍だ。この状況下では、そこまで厄介な手合いではない。


「いいぞ、はじめろ!」

「了解」

 ラベルトの返事は短い。同時に、矢が放たれた。

 呪詛によって鍛えられた鏃が、先頭を駆けていたバンディットの頭部に吸い込まれた。致命傷には遠いものの、わずかに速力が鈍る。

 先頭が鈍れば、全体が鈍る。

 ほんの一秒にも満たないものだが、十分だった。


「投げろ」

 ルジンは外套の内側で掴んでいた、呪巫筒を引っ張り出した。

 即座に投げる。

 何本かの呪巫筒が空を飛び、《転生者》の集団の中で砕けた。呪詛反応に特有の、明るい緑色の炎があがった。


 この手の呪巫筒は、『鼬菱イタチビシ』と呼ばれている。

 こうした爆発性の呪巫筒は、《転生者》との戦いの初期から利用されてきた。いまでは、たとえ民間人であろうと扱いを心得ているくらいに普及している。

 歩兵ならば、二つ以上は携行しているのが常である。


「いけ」

 連続して、炸裂音が響く。

 二体ほどのバンディットが半身を吹き飛ばされて、群れが大きく乱れるのがわかった。

「突っ切れ、止まるなよ」

 もう一度怒鳴る頃には、ルジンはルベラとともに敵集団へと飛びこんでいる。


 初手で攪乱した効果は出ていた、と思う。

 緑の炎から逃れようとして、バンディット同士が衝突していた。それがナイトの進路を阻害している。

 雪が散る。

 ルジンの鉈はバンディットの前脚を割る。ルベラの牙が頭部を砕く。


「すごいな、ルジンさん。いけそうな気がしてくる」

 緊張感のないダオの声。

 彼は木盾でバンディットのつぶてを弾いている。体格から予想できないほど機敏だし、仲間を守る余裕もある。

 これはなかなかの兵士になるだろう。


 アルノフとオズリューも、爆発でできた間隙に突っ込んだ。わめきながら槍を振り回し、突き抜けようと馬を走らせる。

 コボルトたちの突撃がその道を開く――ただ、さすがに数の差がある。


 バンディットたちのつぶてによる一斉射撃が、コボルトの一頭を捉えた。

 傷つきながらも、正面のバンディットを雪原に押し付け、噛み千切る。そこで鉤爪の反撃を受けて力尽きた。

 そういうコボルトが、二頭、三頭と出始める。


(このままじゃ押しきれない)

 ルジンは決めていることがあった。

(俺は指揮官を狙う。成功すれば、俺も含めて生き残れる)

 ナイトが槍を振り上げている。

 先端から炎がこぼれ、渦を巻く。雪の中に陽炎が見えた。


「メリュジーヌ!」

 ルジンは細引きを掴んだ。先端には、呪巫筒が結び付けられている。

「一撃だけ付き合え。一撃だけだ」

「喜んで」


 メリュジーヌがささやいて、飛んだ。

 その姿が霞むほどの速度で、ナイトに肉薄する。曲刀が一閃するも、槍に弾かれ、炎が散る。

「やっぱり。正面からじゃ――」

 メリュジーヌが何かつぶやいたが、後半は聞こえない。


 ルジンも細引きを投げた。

 ナイトの胸部あたりで、呪巫筒が割れて起爆する。のけぞるのがわかる――ルベラが飛び掛かった。前脚の一本を食い千切る。


(賭けだな)

 ルジンは全力を込めて雪を蹴り、クグリ鉈を振るった。

 狙っているのは首だった。体勢が崩れている。そこに打ち込める、と思ったのは束の間で、左腕に阻まれた。


 クグリ鉈の刃は、左の前腕に食い込んだだけに終わる。

(駄目か)

 そのまま、振り払われた。雪原に叩きつけられる。

(しかし、死にたくないな。本当に死にたくない)

 すぐに転がって魔槍を避けたつもりだが、散った炎で顔が焼けた。さらに転がり、犬のように荒く呼吸して、跳ね起きる。


 その猶予ができた。

 原因はわかった――メリュジーヌが再び攻撃を仕掛けていたからだ。

 高速の斬撃だったが、ナイトの槍に阻まれる。その穂先から放たれる炎が、盾の役目を果たしていた。

 メリュジーヌの高速飛行が阻害されている。


(それに、非力だ。体重をかけて押し合うとか、叩き切るとかいうことには向いていない)

 メリュジーヌについて、ルジンは痛感した。

(役目は、あくまでも偵察兵ってわけか。それに――)

 急に怒りが湧いてきて、ルジンは叫んだ。


「一撃だけって言っただろう! 逃げろ!」

 メリュジーヌはそれに反応しなかった。

 というよりもできなかった。

 ナイトの槍に振り払われて、ルジンの目の前に叩き落とされていたからだ。曲刀を握る右手が焦げているのが見えた。


「メリュジーヌ、俺は怒ってる」

「申し訳ありませんが、陛下。今度は間に合ったのですから」

 メリュジーヌは翼をはばたかせ、雪を払った。

「私が囮になります。お逃げください」


 無理だ、と、ルジンは思った。

(頭が痛い)

 ルベラが吠えるのが聞こえた。ナイトの背後だ。注意を引こうとしている。


 そして、さらにその後ろからは、四騎の馬が迫っていた。

「ルジンさんを!」

 槍をかざして、アルノフが怒鳴った。

 余計なことを、と思う。四人は突破に成功したはずだった。ラベルトは馬上で弓を引いている。


 バンディットの数は半分以下になっていたが、コボルトも減っている。ルベラを入れても残り六頭。

 ナイトは負傷しながらも健在。

 背後からは、さらに新手の一群が迫ってくるのが見えている。


(やっぱりみんな、俺の指示なんて聞かないじゃないか)

 ルジンは獣のように唸りながら、横に跳ねた。

 ナイトの魔槍が炎を生み、雪を溶かす。


(少なくとも、俺は指揮官には向いていない)

 ダオが先頭を切って、ナイトの背後から突っ込んだ。

 が、角度が悪い。背中の甲殻を削っただけだ。ナイトが振り向きざまに反撃する。


(向いてない)

 ダオの盾が砕かれ、胸を槍が貫く。

 それを見ながら、ルジンは跳んだ。メリュジーヌとルベラも動いていた。


 いまなら、できる。

 胸を貫かれながら、ダオが槍を握って止めていた。信じがたいことではある。人間の腕力で、《転生者》を止める――通常、有り得ることではない。


(初めて見た。ダオ、やっぱりこいつはたいしたやつだ)

 ルジンのクグリ鉈と、メリュジーヌの曲刀がナイトの魔槍を切り落とす。

 最後にルベラが首をかみ砕いた。それで終わりだった。


(どうする。どうしようか)

 森まで、あと少し。

 それでも追手が続いている。引き離すのは無理だろう。


「どうしようかな」

 ルジンは口に出して呟いた。

 よほど間の抜けた声に聞こえただろう、と他人事のように思った。

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