コボルトの牙 7
側面攻撃の成否は、速度が決める。
突破力も速度が生む。
その点、コボルトたちには何の問題もない。
人間たちが馬で追わねばならないくらいだ。コボルト強襲部隊はいずれも騎乗し、結界防御を施した木盾と、槍で武装している。
その中ではルジンがただ一人、徒歩で走る。そちらの方が速い。
側面からの攻撃については、《転生者》たちも人間と同じだ。
体には構造上の正面というものが存在する――攻撃と防御に適した方向がある。
当然のことではあるが、その違いは圧倒的な差をもたらす。
「ルジンさん」
世話係の若い兵士が、ルジンの傍らを馬で駆けている。
顔色が青い――そのくせ、首から下は真っ赤だ。悪くはない。こういう手合いは、意外に生き延びる。
死んでほしくはない。
「やれますかね、ぼくら。戦えますか? 《転生者》が、もうすぐそこに」
「やれると思うなら、無駄口はいらない」
ルジンはできるだけ温和に聞こえるような声をあげてみた。
それでも、言葉は辛辣だったかもしれない。
「ただ突っ込め。余計なことを考えている間に死ぬやつは多い。黙ってるのが無理なら、何かわめきながら戦え」
言いながら、ルジンはともに走るコボルトたちを見る。
彼らこそ、無駄口など一切叩かない。当然だ。勢いを増し始めた風雪に、毛並みを揺らしている。
「いたぞ」
ロースタルは怒鳴っていた。
正面に《転生者》の群れ。ソードマンとバンディットの群れに囲まれて、ナイトが一騎。
典型的な、《転生者》の指揮官の編成だ。
彼らの周囲の動きを見れば、ルジンにもわかる。
《転生者》は、あのナイトを中心に稼働している。槍の先端を大きく回せば引き、振り下ろす動きで攻め寄せる――それがわかった。
「食い破れ。この戦の帰趨は、我らにかかっている!」
ロースタルが声を張り上げた。
側面を突く形はできていた。《転生者》が慌てたように、遮るために出てくる。ルジンたちはそれに突っ込んでいく形になる。
(思ったより、ロースタルは果敢な指揮官なのかもしれない)
駆けながら、ルジンは少し彼を見直す気になっていた。
ルジンにとって予想外だった点は二つ。
迂回機動を始めたとき、吹雪が強くなり始めたこと。そして、ロースタルが突撃を指示した先に、ほぼ正確に指揮官級の《転生者》がいたことだ。
(前線の動きから、敵指揮官の居場所を推測したのか)
自分よりもよほど勇敢で、賢明なのかもしれない。
(いいことじゃないか)
ルジンは自分が安堵の笑みを浮かべているのに気づく。
だとすれば、この攻撃は拙速ではなく、迅速ということになるだろうか。どっちにしても、兵士にとってはありがたい指揮官だ。
(死なずに済む。それが一番だ)
ルジンは心の中でロースタルに対して謝った。
そういう指揮官の下でなら、後を気にせず戦える。自分が死んでも、ベクトのために時間を稼いでくれるだろう。
(何かあったら、後は任せた)
ルジンは《転生者》の群れに突っ込んでいく。行く手を遮るのは、ソードマンとバンディットの混成部隊が合わせておよそ三十――コボルトたちにとっては、鎧袖一触というところだ。
「突撃しろ!」
と、ロースタルが言う前に、コボルトたちは飛び出している。
先陣を切ったのはルベラで、真っ先にソードマンの首を吹き飛ばした。噛み千切ったのだと、ルジンはどうにか見て取った。
そう認識したときには、ルジンもクグリ鉈を振るってバンディットの前脚――続いて首を刃で抉っていた。
一瞬だけ鉤爪がかすめたが、反撃を許す前に後続のコボルトが仕留めた。
(こいつは頼もしい)
ルジンは雪の上を跳ねる。
ルベラとほぼ同時に、次のソードマンに襲い掛かった。ルジンが両足を、ルベラが首を噛み砕く。
着地したルベラは、
「やるな」
とでも言うように一瞬だけルジンを見た。ルジンは笑って、速度を上げる。
また遮ろうと動いてくる《転生者》が、今度は五十。
だが、遅すぎる。
勢いのついたコボルトたちを止められない。逐次的な戦力投入。《転生者》たちも前線での戦闘が激しく、こちらへ回す兵力が遅れている。
強まる吹雪が、ルジンたちの接近をぎりぎりまで隠していた。
(よし。なかなかいける)
ここまで考えて攻撃を仕掛けたのだとしたら、やはりロースタルはちょっとしたものだ。
(こいつの方が、よほど王にふさわしい)
「行け! 遅れるな!」
ロースタルが叫んでいる。槍を振り回し、一匹のバンディットを叩き伏せた。
さらに前へ。
もうそこには、ナイトとクレリック、その護衛が五十ほど。こちらへ向き直りつつある――完全に正対する前に、突きかかるべきだ。
(考えている暇はない)
ルジンはまた一瞬だけルベラと目が合うのを感じた。
彼女は挑発するように目を細めたような気がする。そして跳躍。
ナイトが槍を構えなおすのが見えた。
その穂先から、赤い光が迸る。
(魔槍。炎だ。……いや)
そう思った瞬間には、前方へと全力で跳んでいる――そのルジンの背後で、赤い爆炎が弾けた。
(爆発!)
原理など何もわからないが、それは実際に起きた。
ルジンはその目で、雪原を砕く炎を見た。巻き込まれたコボルトが二頭。ルジンはその爆風で、さらに前へ跳んだ。
(この手の魔槍には明確な弱点がある)
攻撃半径のことだ。
爆発を引き起こす魔槍ならば、至近距離では自分を巻き込む恐れがある。
ゆえに、そうしたナイト種と戦う時は、常に至近距離で、魔槍を有効に使わせてはならない。
ルジンは、ルベラやその仲間と合図を交わしたわけでもない。
ただ、自然とそうなった。
ルジンがナイトの足元へ肉薄し、前脚をクグリ鉈で断ち割った。それと同時に細引きを飛ばし、槍のような器官である右腕を捕える。
ルベラと仲間の二頭が、その隙を逃さなかった。
ルベラが頭を噛み千切り、残りの二人が胸と、首を狙った。
決着は一瞬。そういうものだ。呪詛を宿す爪牙が、ナイトを瞬時に食い荒らしていた。
(やった)
思った以上にあっけない。
が、奇襲が決まるというのはこういうことだ。単なる兵士にとっては驚くほどだし、ルジンはそれでいいと思っている。
(俺には、やっぱりこれが分相応だ)
ルジンは白い息を吐いて、ルベラとまた目を合わせた。
彼女が目を細め、舌を出すのがわかった。おどけているのかもしれない。
高揚感。だが――
(なんだ?)
ルジンは気づかされることがある。
周囲からの圧力だ。《転生者》たちが迫ってくる。包囲されている。側面突破して、指揮官を倒したのなら当然といえる。
(しかし、前線の援護はどうした?)
離脱するためには、それが必要だった。
ルジンは飛び込んできバンディットを一体、切り落としながら思った。周囲は混乱し、撤退を始めている者もあるが、ルジンたちは囲まれようとしている。
こいつらだけは逃がさない、とでもいうように。
「部隊長!」
そう叫んだのは、ルジンではなく、世話係の若い兵だ。
近づいてきたソードマンを、コボルトと一緒になって抑え込んでいる。額が割れて負傷していた。
「突破してくれるはずの前線が動いていません! 失敗したんですか!? このままじゃ、ぼくらは――」
「止むを得んな」
ロースタルは冷静な声で言った。
冷静すぎる、とルジンは思った。少しも動揺したところがない。
「我々は突破して、帰陣せねばならない。ここは策だな」
「待て」
ルジンは思わず言っていた。突っ込んできたソードマンを切り下げながらだったため、その声は聞こえなかったかもしれない。
「我々は騎馬で突破する」
ロースタルはよく通る声で宣言した。
小さな笛を口元に運ぶ。それは、コボルトたちに命令を下すためのものだ。
「コボルトたちには後衛戦闘を行ってもらう。死守だ。彼らの奮闘を無駄にしないためにも、一人でも多く帰り着くぞ」
彼の口元の笛からは、おそらく戦闘続行の命令が下されるのだろう。
一瞬、部隊の皆の表情が強張った気がした。
実際はそんなことはないだろう。それほどの余裕がなかった。
ルジンでさえコボルトたちとともにバンディットの攻勢を防ぐのに必死だったし、この包囲された状況で考える余裕があるのは指揮官のロースタルだけだ。
コボルトたちは、持久力をほぼ使い切っている。
ここまでの迂回機動と戦闘。
脱出するには、味方前線からの強力な攻勢が必要だった。それで潰走させられれば、離脱できたかもしれない。
だが、味方の前衛にその動きは見られない。前進する気配さえない。
(この野郎、ロースタル)
ルジンは冷たい空気を切り裂き、クグリ鉈を振るいながら思った。
(冗談じゃない)
思うだけではなく、叫んでいたと思う。
「ふざけるなよ、ロースタル」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます