コボルトの牙 6
開戦初日は、拍子抜けするような短時間で終息した。
サヴラール軍に被害はほとんどない。
いくらか野戦用のトラップを消費し、防塁に接近されたが、その程度だ。
「すごいですね」
と、世話係の若い兵士は、丘の下を眺めて言っていた。
「ここまでたくさんの《転生者》を見るのは初めてなんですけど、押し返してる。こっちも負けてないんですね。もっと圧倒的に不利だと思ってました」
「いまのところはな」
ルジンは憂鬱に呟き、コボルトたちの毛並みを撫でた。
「陣地が機能しているうちは、そうそう押し負けない」
《転生者》に対する人類の強さは、構築物の強さだ。
その最大のものがダンジョンであり、つまり、常に守りの戦をすることになる。そうしている限りは、有利なのは確かだった。
こういう正面を切った戦いの場合、《転生者》たちの先兵となるのはバンディットではない。
バンディットの役目は斥候だ。
ダンジョン攻略ではともかく、構築された陣地攻めでの働きどころは少ない。
実際の白兵戦は「ソードマン」と呼ばれる《転生者》が行う。
彼らは黒く背丈の高い、巨大なカマキリに似ている。飛び跳ねながら、両腕の刃のような器官で攻め込んでくる――それを弓兵が、遠距離からの矢で止める。
矢は呪詛の力によって鍛えられており、命中すれば装甲を貫いて『汚染』する。
(よくわからないが、やつらにとっては毒みたいなものだ)
と、ルジンは認識している。
ベクトに言わせれば、《転生者》のような生き物は、実は物理的に存在することができない。
「その存在自体が、すでに奇跡のようなもの」
と言っていた。
その「奇跡」の性質を阻害してしまうのが、呪詛の力なのだという。
弓兵部隊はこの矢によって《転生者》のソードマンたちを寄せ付けない。
備蓄された呪詛の鏃は十分にあり、陣営の呪術師によって補給も成される。当面、尽きてしまう心配はない。
初日に続き、二日目の攻勢も軽々と押し返すことができた。
(とりあえず、予備隊の出番が少ないのはいいことだ)
ルジンたちの部隊が働いたのは、二日目、強引に迂回で突破を図ってきた《転生者》たちを遮るときだった。
それもごくわずかな数で、コボルトたちが突っ込むとすぐに崩れた。
コボルトたちの牙と爪は、いともたやすく《転生者》たちの装甲を砕くことができた。
彼らの牙と爪もまた、呪詛の力を帯びている。そういう風に交配された種だ。
(とはいえ、暇じゃない)
常に戦闘に備えることになるし、コボルトたちの世話も必要だ。
ルジンは雑用係のようになって働いた。
(あの森の民のやつらが、なんであんなことを言ってたかは気になるが)
それを確かめる時間はない。森の民たちは前線に配備され、ルジンが近づく暇もとれなかった。
――そうして戦線が大きく動いたのは、三日目のことだ。
前触れは、白馬を飛ばしてやってきたゴルゴーンだった。
「陛下!」
と、彼女は朝と夕方に必ずやってくる。その朝もそうだった。
(これでもまだマシな方だ)
初日などは開戦と同時、メリュジーヌとともにルジンのところへ駆けつけてきたが、それは即座に止めた。
どうやら護衛するつもりでいたようだが、そんなことで遊ばせていられる戦力ではない。
一応、言うことは聞くらしく、前線支援のためにメリュジーヌは忙しく飛び回り、ゴルゴーンはその『瞳』を何度か使ってもいた。
「今朝も御身がご無事で何よりです」
ゴルゴーンは本当に安堵したように言う。毎朝だ。
「できれば陛下のお傍でお守りしたいのですが」
「絶対やめろ」
ルジンは野戦糧食を取りながら、今朝もその提案を拒否した。
人間用の食事は、湯で戻した干し肉に雑穀、あとはチーズが一欠片。これでも、それなりに補給はできる。
ルベラを始めとしたコボルトたちも、大人しく彼女たちの分の食事をとっていた。
「遊んでる場合じゃないんだ」
「しかし、御身に万一のことがあれば」
「いらない」
「では、メリュジーヌは前線支援に張り付かせましょう。その代わり、私だけでも」
「何も譲歩してないな、それは。いいから本営に戻れ」
「ですが」
ゴルゴーンはまだ何か言おうとした。
その横から、声が飛んできた。
「ゴルゴーン殿!」
ロースタルが、こちらも馬を駆って近づいてくる。いつもの不機嫌そうな顔ではなく、ずいぶん快活に笑えるものだ、とルジンは思う。
「こちらにいらしていただけるとは、光栄ですな。何か、本営からの作戦のご伝達ですか?」
こういうとき、ロースタルの口数は多い。
「もしもゴルゴーン殿と共闘できるとなれば、奮迅の働きをお目にかけましょう。あなたの『瞳』をお守りすることを誓います」
「そうか」
と、ゴルゴーンは短く答えた。感情らしきものが介在しない声だった。
どういうわけか、ゴルゴーンはこのロースタルという男に対してやけに厳しい。
「私は本営の伝令ではない。よって、伝達すべきことは何もない」
「では、私から献策を――」
「それは本営の将校に直接言うがいい」
硬く遮るように言い、ゴルゴーンは馬首をめぐらせた。その途中で、ふと気づいたように振り返る。
「ああ。ロースタル、貴君に一つだけ」
「ええ。なんでもお伺いください」
「戦場では、常に奮迅の働きをするべきだ。特に貴君は恐れ多くも陛下とともに戦っている」
むしろ、ゴルゴーンの言葉にはかすかな苛立ちが滲んでいた。
「その栄誉は望んで得られるものではない。いいか。陛下に何かあれば、私は貴君を討つ」
ゴルゴーンの白馬はすぐに駆け去り、ロースタルは言葉を返す余地もなかった。
ルジンは顔をしかめている自分に気づいた。
(なんてことを言いやがる)
いっそう立場が悪くなった。ゴルゴーンには、その辺りの人間関係を察する能力が著しく欠けているとしか思えない。
実際、ロースタルはルジンを睨むように見下ろしている。
「ゴルゴーン殿が、なぜお前を『陛下』と呼ぶかわからんな」
「俺だってわかりませんよ。何かの妄想癖があるんじゃないでしょうか」
「……ルジン・カーゼム」
少しの沈黙のあと、ロースタルは重たげな口を開いた。
「今日は我々も戦闘に参加する。お前も備えろ」
いつも参加している。予備隊も重要な戦線の一環だ――予備隊がいなければ、突破や迂回に対する防御力は激減する。
とは思ったが、ルジンは黙っていることにした。
「我々はコボルト強襲部隊だ。その機動力を活かし、側面攻撃を行う」
ロースタルはコボルトたちを見据えて、自身に何かを納得させるようにうなずいた。
「敵側面を食い破り、指揮官となる《転生者》を討つ」
「それは無理です」
ルジンは反射的に言っていた。言ってから後悔した。
(確かに、《転生者》たちには指揮官となる個体がいる)
ブレイヴ個体を総指揮官とするなら、前線の部隊長とでもいうべき個体は確かにいる。
そうでなければ統率のとれた攻撃はできない。
その役目を担っているのは、クレリックやナイト、あるいはメイジやパラディンといった、力の強い――または知性に優れた個体だ。
(だが、それは無理だ)
ルジンはみるみるうちに不機嫌になるロースタルの顔を見ながら、どうにか言葉を並べようとする。
「コボルトたちは長距離の移動が苦手です。こっちが構える戦線は広く伸びていて、迂回距離が長すぎる――敵陣に突っ込むところまでは持っても、抜ける頃には速度が落ちます。脱出できない見込みが大きいと思います」
「そんなことは、新参のお前に言われずとも把握している」
ルジンの並べた言葉は、ことごとくロースタルの心象を悪くしているようだ。
「前線から、支援を受けることになっている。我々の敵陣突入に合わせて、正面部隊が打って出る。これで敵を潰走させられる」
ロースタルの説明を聞きながら、ルジンは疑念が浮かぶのを感じた。
(本気か? まだ三日目だ)
危険が大きい。そこまで果敢な作戦をとる必要があるだろうか?
本営は自分の知らない情報を掴んでいるだろうか? 確かに、《転生者》たちの攻勢が弱いのは気になる。
背後にブレイヴ個体がいるのなら、もっと強行してきてもいいはずだ。
彼ら《転生者》の鈍い動きは、いっそ不気味ですらある。
本営は、そのなんらかの脅威を見越して、早期の反撃を行おうとしているのだろうか? あるいは他に何か理由があるのか。
(――だが、この部隊長が言うのなら、それは命令ってことだ)
従う以外に道はない。
兵士は軍令に従うものだ。
「糧食をとり、半刻後に行動を開始する。準備せよ」
ロースタルは足早に駆けていく。
(どうしたもんかな)
ルジンの憂鬱な気配に気づいたのか、足元に近づいてきたルベラの毛並みを撫でてやる。
やはり、やるしかないのだろう。
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