コボルトの牙 5
丘の迎撃準備は、おおむね順調に進んでいるといえた。
防塁は補強され、壕が追加されて、ナイト止めの結界柵が並べられる。
結界柵は物理的な阻止と、エーテルの流れを妨げる呪術的阻止を目的に組み上げられている。
ナイトの突撃も、魔槍による攻撃も、ある程度は遮断できるはずだった。
(少なくとも、一撃で踏みつぶされることはないだろう)
ルジンは丘の陣地を眺めて、そう思うことにした。
あとは、『クリシュナ』の率いる群れの規模が問題だった。森林地帯に伏せられている個体も、相当数いると考えられる。
そのためフェルガーたちワイバーン兵はしきりと偵察に駆り出されていた。
「こっちはいつも寝不足だ」
と、フェルガーはぼやいていた。
「こんな偵察、いくらやっても意味はないんだよ。向こうが隠れるつもりなら、空から眺めたって見つかるもんじゃねえ」
ルジンのところに酒瓶を持ってやってきて、愚痴を言ったのは一度だけだ。
あとはずっと任務についているか、寝ている。
対してルジンたちのコボルト部隊は、予備隊という形で後方に配置されることが決まっていた。
(妥当なところだ)
と、ルジンは思っている。
コボルト部隊はサヴラール市で設立されて日が浅く、軍の上層部も運用に習熟しているとは言い難い。前衛での緊密な連携は無理がある。
状況に応じて遊撃的に使われるのは悪くないはずだ。
おかげでコボルトたちに接する時間は長く取れたが、部隊長のロースタルは終始不機嫌で、よく声を尖らせていた。
委縮している兵も多い。
将校はともかく、彼らとはそれなりに話をできた。
「ルジンさん、なかなかやりますね」
と、笑いながら言ったのは、コボルトの世話係の兵士だった。まだ若く、入隊して一、二年というところだろう。
具足の準備をしていたところで、ルジンはそれを手伝っていた。
「いま、ルベラが手を舐めたでしょう。だいぶ受け入れられてますよ」
「だといいな」
ルベラはこの部隊のコボルトで、リーダーのような立場にある。
ほかのコボルトたちの仕草でなんとなくそれがわかった。彼女たちと同じ小屋で寝起きするうち、群れの一員として認識されてきたという気がする。
今朝はルジンが触っても、それほど緊張しなかった。
「珍しいですよ。ルベラがこんなに早く馴れるなんて」
「俺はワーウルフだからな。匂いが似てるのかもしれない」
「そういうものなんですか、ワーウルフって」
「ああ」
少し面倒になって、ルジンは適当なことを言った。
この世話係の兵士は真面目すぎる――いや。サヴラール市では《魔獣化》兵士がよほど隔離されているのだろうか。
「あの、ルジンさんに聞きたかったんですけど」
あとは黙ってコボルトたちの出撃準備をするつもりだったが、さらに質問を重ねてくる。
「ルジンさん、あの王府から来た二人の魔女の方とは、お知り合いだったんですか?」
魔女というのは、ゴルゴーンとメリュジーヌのことだ。
一時期、軍属の《魔獣化》女性に対して、そういう呼称が流行った時期がある。
女性の《魔獣化》歩兵は、適応に成功さえすれば、男性よりも高い能力を発揮する場合が多い。
中にはブレイヴ個体を撃破するほどの、一種超人的な戦果を発揮した者もいた。
サヴラール市の広報公司は、そういう呼び方を復活させて戦意高揚に使うつもりらしい。
「あの二人、すごいですよね。今回の戦いの秘密兵器ですよ」
「かもな」
ルジンは曖昧に答える。
ゴルゴーンとメリュジーヌは、本営の客将という扱いに収まっている。
総指揮官からの「要請」で戦闘に参加するのだという。
彼女らがサヴラール市の評議会とどのような話をしたのか、ルジンはよく知らない。
しかし一般向けには、学術都市ワグラトゥから派遣された、支援戦力――ということになっているらしい。
(ワグラトゥはもう壊滅したのにな)
サヴラール市はその部分を隠蔽し、徹底して有効活用するつもりらしかった。
(ただ、それならあの二人は身柄を拘束されてもおかしくない)
そうされていないというのなら、もしかすると、あの二人の背後には他に何らかの組織が存在するのかもしれない。
サヴラール市評議会でも思うようにできない何かが。
「でもあの二人はルジンさんのこと、『陛下』って呼んでますよね」
聞かれていたか、と思う。
メリュジーヌはともかく、ゴルゴーンは声が大きい。
「なんでですか? ――あ、ルジンさんはもしかして、王家の末裔とかですか?」
「そんなわけないだろ」
王家は滅びて久しく、その評議会だけが残っている。
「何か勘違いしてるんだ、あの二人は」
「そんなわけないでしょう!」
若い兵士は笑った。
「ルジンさんの奥さんですか? ルジンさん、北の出身ですよね。あっちの方では、何人まで結婚していいんでしたっけ」
「違う」
ルジンは顔をしかめた。
「まったく違う。面倒だからやめてくれ」
確かに、二人とも見た目はいい。
慕ってくるという部分では、悪い気がするわけではない――が、面倒くささがそれに勝る。
あの二人と何らかの関係を結ぶのは、とてつもなく面倒という気がする。
「いや、でも羨ましいですよ。二人とも綺麗な人じゃないですか。ロースタル隊長なんて、あからさまにゴルゴーンさんに話しかけてますよ」
「あのな」
返事が億劫になってきて、ルジンは話を打ち切ろうとした。
顔をあげた瞬間、引っかかってきた感覚がある。
「――なんだ?」
コボルトたちも耳を立てているのがわかる。ルベラが顔をあげ、ルジンの前に一歩出た。
(匂いか)
妙な匂いがする。植物の匂い。
その元をたどると、本営に近づいてくる異装の一団がいた。
特に隠れる様子もない――少なくとも《転生者》ではない。
木の枝を削ったような矛と、毛皮を張った具足で武装している。数は百ほどいるだろうか。
「……なんでしょうね、あれは」
兵士が怪訝そうに見ていた。コボルトたちはもっとはっきりと警戒している。
「森の民だな」
ルジンは、安心させるようにルベラの首筋を撫でた。
敵ではない。
「森の中で集落を作って暮らしてる。カズィア森林にはそういう村がいくつかあるんだ。ここに流れて来るまでに滞在したこともある」
「じゃ、カズィア市が落とされて、ここまで来たわけですか」
「そうみたいだな」
ルジンが見ているうちに、本営から出てきた騎士たちが森の民を誰何している。
森の民が何か返事をする――ルジンの耳はそれをかすかに聞いた。
(やっぱり、《転生者》たちから逃れて来たみたいだな。集落は放棄か)
「――に言われて、ここまで来た」
と、森の民の長らしき男が言っていた。
「傷を負ったもの、年老いた者や子供を連れて、もっと多くが来る。サヴラール市で受け入れてほしい。我々は戦いに加わる」
そういうことは、よくある話だった。
ルジンも転戦しながらしばしば耳にした。
(大丈夫だ、気にするな)
ルジンは落ち着かせるため、ルベラの首をまた撫でた。コボルトの群れは、長が落ち着けば他も落ち着く。
ルベラは耳を立てたまま、ルジンの手を舐めた。
だが、そのとき、思いもよらない言葉が聞こえてきた。
長らしき男が、矛を掲げて言っていた。
「――我々は、ルジン王のもとで戦う」
(なんだって?)
ルジンは思わず目を剥いた。
ルベラを撫でる手が止まる。
敵の接近を告げる角笛が吹き鳴らされたのは、その次の瞬間だった。
「ルジンさん」
若い兵士が張り詰めた顔でルジンを見上げていた。ルジンは仕方なく、軽くうなずく。
(長い角笛が一度、短くもう一度)
かなりの速度で、敵が動き出しているということだ。
強まり始めた風と雪の中を、ロースタルの馬がこちらへ駆けてくるのが見えていた。
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