コボルトの牙 3
サヴラール市の西には、小さな丘がある。
特に名前はない。
しかし、西からの《転生者》に対する防御拠点として認識されてきた。
かねてより拠点化工事が進められてもいた。
防塁があり、兵舎があり、倉庫や物見
(いま、はじめて本来の目的で使われるわけだ)
考えながら、ルジンは丘までの道を歩く。
背後には、兵士と馬車が続いていた。ルジンはほぼその先頭にいる形になる。
雪と風は昨日から弱まっていて、行軍にはそれほど不自由はしていない。
サヴラール市から派兵されているのは二千ほどで、傭兵も多い。総数一万といわれるサヴラール都市警備隊に対して、かなり少なかった。
(つまり、役目は足止めだな)
市がダンジョンとしての防衛体制を整えるまで、この丘で敵主力を引き付ける。それが期待されている役目だろう。
切り札である《魔獣化》兵士も、ほとんど都市に残っている。
例外としてルジンと、フェルガーたちワイバーン部隊。
それから「ミノタウロス」と呼ばれる重装の《魔獣化》兵士も一班。これはほとんど総指揮官の護衛のようなもので、前線での活躍は期待できない。
それだけだ。
(パーシィは都市警に捕まったな。あれは今回の一件が終わるまで外に出られないぞ)
ほどほどに上層部とうまくやり、そこそこに有能なところも見せてしまったからだ。
セイレーンとしての能力を用い、市の深部でダンジョン化の支援作業に当たることになっていた。
「ルジン・カーゼム!」
黙って歩いていたら、背後から声をかけられた。
面倒だが、振り返る――栗毛の馬に乗った男が目に入った。痩せた男で、まだ若い。都市を出るときからずっと不機嫌な顔をしていた。
名をロースタルといったはずだ。
いまのルジンの上司であり、つまりはコボルト強襲部隊の長だった。
ルジンが確認したところ、軍での経歴はあまり芳しくはない。
評議会の縁戚に連なる家の生まれらしいが、参謀として何度か外征に参加している。そこで立て続けに何かの失敗をしたらしい。
結局、「部隊長昇格」という形でいまの地位に収まることになった。
本人としては、それがよほど不満のようだった。
「ルジン、先行しすぎている。隊列からあまり離れるな」
「もう少し先行したいんですが」
ルジンは丘の上を指差した。
「ワーウルフの本領は、斥候と強襲ですよ。伏兵でもいたら大変だ」
「そうした可能性は、私が考える」
ルジンの意見は、ロースタルの機嫌をさらに悪化させたようだった。
もともと部隊付きの《魔獣化》歩兵には、部隊長に意見を具申する権限を有している。その特殊な知覚力と能力が戦況を左右することもあるからだ。
しかし、明らかにロースタルはそれを望んでいない。
「それ以上は先行するな。コボルトどもが暴れないよう、警戒しろ」
「わかりました」
できるだけ反抗的な口調にならないように気をつけた。
(敵よりも味方を警戒してどうする)
思いながら、ルジンは背後に続くコボルトたちを見た。
馬よりも一回り小さいくらいの犬、という風に見えるが、かなり重装の具足をつけているところが違う。四つ足で雪を軽快に踏みしめ、静かに歩いている。
その数はおよそ三十。
(みんな、人間の兵士よりもずっと勇敢だ)
不安で暴れだすようなことはない。少なくとも、ルジンがともに戦ったコボルトたちはそうだった。
苦手なものは、長距離の疾走。
それだけ知っていれば、ルジンにとっては人間よりもずっと付き合いやすい。ロースタルは違うのかもしれない。
「とにかく、ルジン・カーゼム」
ロースタルは厳しい声で言った。
「勝手な真似はするな。陣地についたら、すぐに仕事が――」
「陛下!」
唐突に声が聞こえた。
背後からだった――馬が近づいてくるのがわかる。二騎だ。ゴルゴーンは白馬を、メリュジーヌは黒馬を駆っていた。
「まさか御身自ら先駆けとは、驚きました! もっと後衛にお下がりください」
ゴルゴーンは真剣な顔で言った。
「陛下はいつも無理をされます。御身に何かあれば、私は――」
「ゴルゴーン」
メリュジーヌが冷えた声で止めた。
「あなたは喋るたびにボロが出るわ。本当にやめて。陛下に何かがあるとすれば、あなたが原因だと思う」
ルジンは白いため息をついた。ロースタルが呆気にとられたような顔をしている。
(なんなんだろう、この二人は)
どうにも不可解すぎる連中だった。手がかりになるのは、やはりベクトのことだろう。
ルジンは彼の顔を思い出す。
(《転生者》について研究をすると言っていた)
その殺し方を――その逆に、どうやって《転生者》が生まれるのかを。
彼らが一度死んでいるのは間違いない。ベクトはそう断言していたし、ベクトが断言するのならルジンもそうだと思うことにしている。
「――結局のところ、《転生者》に対抗するには、《魔獣化》だけでは不十分だと思う」
ベクトはいつも目の下に隈を作っていて、かすれたような声で喋る。
そのときのことを思い出す。
「ましてや、ダンジョンでも同じことだ。あれは最後の決戦手段として有効なだけで、領土の回復はできない。つまり時間がたつほど人類は不利になる」
「だったらどうやって?」
と、そのときルジンは聞いたはずだ。聞いてもどうせ理解できないという気がした。
「《転生者》の力を解明する。まずは敵を知らないと。そして、可能なら――」
可能なら、なんと言ったか。
(思い出せない)
ほかにもいろいろと、ベクトは主張していたことを矢継ぎ早にルジンに話す癖があった。それが多すぎる。
(この俺が半分でも理解できると思ってたのか、あいつは。それとも――)
「ルジン・カーゼム!」
ロースタルの叱るような声で、ルジンは我に返った。
「その、なんだ。そのお二人に失礼のないようにせよ。後衛にお戻りいただけ」
ロースタルは迷惑そうに、ゴルゴーンとメリュジーヌを見ていた。
サヴラール評議会の決議によって、彼女たち二人は《魔獣化》歩兵としての客将、のような形で従軍することになっていた。
この二人のどちらの能力も、ダンジョン内より外で活きる。
それは確実なことだった。
(評議会にも、そういう判断ができるやつがいる)
そして、権力を握っている。
そのことにルジンは少し安心した。評議会内では、都市深層で温存しようという意見は多かっただろう。
「お前ぐらいの立場の人間が、軽々しく口を利いてはいけない階層のお二人だ。議会でそう決まった。……失礼だが、お二方――」
「陛下」
ゴルゴーンはロースタルの言葉をほぼ完全に無視していた。
「どうか私の馬をお使いください! なかなかに良い馬です」
「いえ。陛下は、こちらの馬に」
メリュジーヌが馬の足を少し早めた。
「陛下は黒毛の馬がよくお似合いです。お姿を見るたび、覇者とはかくあるべし、といつも思ったものでした」
「待て、メリュジーヌ。貴様こそ余計な事ばかりを言っている気がするぞ! 私よりもよほど――」
「ルジン!」
ロースタルは怒鳴った。
「このお二方はなんなのだ?」
(まさにそれだ)
俺が聞きたい、とルジンは思った。無言で足を速めると、二人の馬がついてくる。
「陛下。あの者はなんでしょう?」
ゴルゴーンが心から不思議そうに言った。
「あまりに陛下に対して不敬と思います。処罰しますか」
「いらねえよ」
ルジンは白い息を吐く。物騒すぎる連中だ。
ここから先の戦いも憂鬱だ――唯一の救いは、コボルトたちがいることだ。彼らのことは、嫌いではない。
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