コボルトの牙 1

 帰還するなり、ルジン・カーゼムの身辺は急に慌ただしくなった。


 まずは、ユルグス市壊滅の状況についての報告。

 これはサヴラール市評議会の要請で、提出する義務があった。定型の文書を何枚も書かされ、繰り返し修正させられた。


(ほとんど拷問に近い)

 と、ルジンは思ったほどだ。

 厳密な正確さを要求される書類仕事など、自分には向いていない。


 それからゴルゴーンとメリュジーヌについて。

 信じがたい破壊の力を持つゴルゴーンと、高速の飛行力を持つメリュジーヌの存在は、あっという間に広まった。

 サヴラール市に帰還した翌日には、もう街のみんなが知っていた。

 もともと、市民がそういう明るい噂に飢えていたのだろう。


 サヴラール市の広報公司では、

「王府からやってきた、救いの女神」

 という風に大げさな肩書をつけて号外の紙面を発行し、宣伝することになった。ルジンに対しても第一遭遇者として取材が来たくらいだ。


 当のゴルゴーンとメリュジーヌは、すぐにサヴラール市最深部の評議会に出頭を要請された。

 おそらく王府近辺、中央の状況を聞きたいのだろう。


 二人とはそれ以来会っていない。

 ベクトについてなど、聞きたいことはいくつもあったが、あまりにも疲れていた。

 帰路の間に何度か控え目に声をかけられたが、なんと答えたか覚えていないほどだった。というより、半分寝ていたと思う。

《魔獣化》措置の副作用の一つで、全力戦闘のあとは、脳内物質の分泌が止まると急激に眠くなってくる。


(……とはいえ、こんなに忙しくなるなら、あのとき無理にでも聞いておけばよかった)

 と、いまでは思う。

 丸二日ほどサヴラール市役所に泊まり込み、どうにか報告資料を片づけた。


 それが終わると、次にやってきたのが「査問」だった。

 都市警備隊の会議室に呼び出され、隊長から直々に質問される。大きなテーブルには上級将校と、数名の関係者が並ぶ。

 それは取り調べか、あるいは尋問に似ていた。


 サヴラール都市警備隊の長は大柄な男で、名をバイザック・ルンビックといった。

 そのがっしりとした体格に似合わない、ヤギのような髭を生やしている。

 いま彼は大きな椅子に腰掛け、棒立ちのルジンを睨んでいた。


「――では、ルジン・カーゼム」

 と、バイザックは重々しく言った。いつも威厳だけはある男だ。

「きみは偵察指示規定に違反し、ユルグス市へ侵入。あのゴルゴーンと名乗る女性を救出するため、戦闘行動を行った――と」

 そこでため息のような声にかわる。


「いま言った、これらは事実だったと認めるね?」

「認めます」

 ルジンがすぐに答えると、バイザックは目を閉じ、首を振った。

「残念だな。きみのように優秀な傭兵が、規定違反とは」


 バイザックのこうした芝居がかった物言いは、サヴラール評議会や市民から妙に受けが良かった。

 いかにも真摯であり、兵隊を思いやる人間のように見える。

 だが、実態はまるで逆だということをルジンは良く知っていた。彼はしばしば傭兵を、潰走が前提の囮や殿軍として使う。


「本来なら、我々はきみを処罰しなくてはならない」

 物憂げな顔で、バイザックは椅子に深くもたれかかった。

「だが、きみはあの二人を連れて帰ってきた……危険を冒してね。個人的な意見で言えば、きみの行動はまさに勇敢だったと言えるだろう。賞賛したいくらいだ」


 嘘をつけ、とルジンは心の中で悪態をつく。

 この男が勇敢さなどを美徳としているはずがない。都市警備隊の長という地位につくには、そうしたものから遠く離れた能力が必要になるからだ。


「それに、ユルグス市が壊滅したこと――評議会は重く受け止めている」

 都市の評議会は、どんなことでも重く受け止める。

 だが、本当の意味でそれを理解することはない。傭兵暮らしも長くなると、徐々にわかってくる。

「脅威が迫っているのだ、ルジン。我々の情報網は、すでに今回の襲撃にブレイヴ個体が関与していることを突き止めた」


(お前の情報網じゃないだろう)

 ルジンは顔をしかめ、壁際に立つ今回の「関係者」の一人を見た。

 パーシィだ。セイレーンである彼は《魔獣化》傭兵の通信を統括し、哨戒の網を作り上げている。まさにルジンもその一環を担っていた。


(パーシィがいなけりゃ、もっとひどいことになってる)

 ダンジョン化した都市から外に出ようとしない都市警備隊にとって、外を駆け回る傭兵と、それを結ぶパーシィは目と耳に等しいはずだ。

 が、パーシィはルジンの視線を受け、苦笑しただけだった。

 やめておけ、とでもいうような表情――そんなことはルジンもわかっている。


「我々が戦うべきブレイヴ個体の名は、『クリシュナ』。西方カズィア森林地帯を突破し、《転生者》たちを率いていると考えられる」

 喋りながら、バイザックはルジンの反応を常に窺っている。余計な口は挟まない方がいいだろう。


「《魔獣化》傭兵である諸君は貴重な戦力だ。よって、私はきみに処罰ではなく、次なる戦線への着任を命じることにした」

 恩着せがましい言い方だったが、それにもルジンは耐えた。


「評議会は都市西部に、対『クリシュナ』防衛線を引くことを決定した。ルジン・カーゼム――きみにはそこへ赴いてもらう。コボルト強襲部隊に随伴する《魔獣化》歩兵としてだ」

 半分は予想していたことだ。

 処罰としても妥当な戦線だと思う。


(しかし、コボルトの部隊か)

 コボルトとは、戦闘用に飼育された生物のことだ。

 大型犬によく似ている。

 馬と同様、サヴラール市では主に輜重の運搬にも使われるが、その牙と爪で白兵戦もこなす。


「ワーウルフとしての、きみの統率力に期待する。彼らとうまくやれることだろう。以降は、部隊指揮官の指示に従ってくれ」

(ワーウルフとしての、か)

 嫌味を言われているのだ、と、少し遅れて気づく。

《魔獣化》に対する偏見は、いまだ根強い。特にダンジョン化された都市に籠っていれば、その度合いは強くなる。


「――以上だ。何か質問は?」

 と、バイザックは最後に思い出したように付け加えたが、それ以上は何も言う気がしなかった。

 異議を挟む隙も無い。

 つまり、ルジンの次の戦線はこうして決まり、会議は散会した。


(忙しいのは当分続きそうだな)

 と、査問会を後にしてルジンは思った。しばらくは家に帰る暇もないかもしれない。


(掃除でもしておこう)

 ルジンの家は、城塞都市サヴラールの最上層、つまり地上にある。

 傭兵たちの家はおおむねそこだ。

 太陽を必要とする最低限の施設――農地、牧場、林があり、その隙間を縫うようにして家が散在している。


 傭兵の中には高い税金を払って、地下で住むことを好む者もいる。

 パーシィなどはそうだったが、ルジンはそんな気にはなれなかった。地下は気分まで落ち込みそうになるからだ。

 それぐらいなら、いくつかの危険と不便に耐えてでも地上で暮らした方がいい。


(そろそろ、よその街に行くべきかもしれない)

 居心地も徐々に悪くなってきた。

 いつもそうだ。都市の評議会や、警備隊とはうまくやれたためしがない。日が経つごとに嫌になってくる。


(生き残れたら、もう少し南か、海のある地方に――)

 思いながら、小屋のような自宅の前に差し掛かったときだった。

 人の気配があった。それも、一つか二つ。

 自然と、手が剣帯へ伸びていた。クグリ鉈を掴む。白い息を吐く。


(わからないな)

 命を狙われる心当たりは、ほぼない。都市警備隊の不興を買っているかもしれないが、まだ殺されるほどでもないはずだ。


 それに、雪の上に足跡を残してもいる。刺客だとしたら、あまりにも雑すぎた。

(単なる野盗か?)

 最近は、そういう連中もかなり減った。


 ともあれルジンは慎重に近づき、ドアに手をかけようとする。

 その寸前で、ドアが開いた。


「陛下」

 二つの人影がうずくまっているのを、ルジンは見た。

 目の錯覚ではなく、ゴルゴーンとメリュジーヌに間違いはなかった。


「ご帰還、お待ち申し上げておりました」

 声がそろって聞こえた。

 二人は床に片膝をつき、伏せるような姿勢をとっていた。

 ルジンはなんと声をかけるべきか、まったく思いつかなかった。

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