ジェフティの手記 ルフポール・コルメルについて
>ルフポール・コルメル
>獣化傭兵群『キンダイルの角笛』 群長
魔王陛下のことなら、俺も少しは話すことができる。
何しろ俺はあの人の命の恩人で、ついでに師匠ってことになるからだ。
誰も信じはしないだろうけど、本当のことだよ。本人に聞いてもいい。できるもんならな。
俺が魔王陛下とお会いしたのは、吹雪が続く冬のことだった。
あの頃はまだよかった。
六要塞による防衛網も機能していたし、王府議会は健在で、人類は《転生者》との戦いに慣れつつあった。
軍部は「失われた領土を取り返せ」とかいう標語を掲げていたはずだ。俺たち傭兵にも仕事はいくらでもあった。
ブレイヴ個体なんてやつらも、あの時期は数えるほどしか出現していなかった。
もちろん、ひどい噂はいくつも聞いた。
いわく、西の砂漠の向こうでは『ヌアザ』ってやつが疫病をまき散らしている。
いわく、南方の海を悪名高い『ハヌマーン』が荒らしまわり、島が一つ二つ沈められた。
そんなものはただの噂話だと思ってるやつが大半で、俺もそのクチだった。
隊商の護衛の仕事がずいぶん減り始めていたから、不気味な危機感ってやつはあったけどな。
俺たちはいち早く《魔獣化》措置を受けたおかげで、《転生者》ども相手には有利だった。
バンディットの群れなんて敵じゃない。
北部で無敵の傭兵団だった。少なくとも、あの頃は本当にそうだった。
だからさ――魔王陛下が俺たちの前に現れて、とんでもない《転生者》に襲われたって聞いたときも、最初は子供のたわごとだと思ったよ。
――ああ、そう。
俺がお目にかかったとき、魔王陛下はまだ子供だった。
ある夜、野営していた俺たちの陣地に、子供が転がり込んできたんだ。
山奥のなんとかって城塞都市から逃げてきたらしい。
それこそが魔王陛下だった。背中にもう一人、ガキを背負っていた。そのときは薄汚れて目つきの悪い小僧どもだとしか思えなかったよ。
なんでも最初は二十人くらいで王府を目指していたらしいが、この寒さと《転生者》の襲撃で一人減って、二人減って、そのときはもうたった二人になっていた。
根性だけは凄まじいやつだと思った。
あるいは、そんな状況でも判断力を失わない平常心か――いや。もしかすると自分に起きる出来事に対してとてつもなく鈍感なのかもしれない。
そっちの可能性の方が高いな。
「王府まで、俺たちを連れて行ってください」
と、魔王陛下はそうおっしゃった。
陛下もひどい顔つきだったが、背負われていたガキは大変な有様だった。寒さのせいでほとんど死にかけてたな。
「俺が無理でも、こいつはお願いします」
陛下は背負っていたガキを俺に見せた。
見せてどうしようと思ったのか、よくわからん。見せれば俺がそいつの重要性を理解すると思っていたのかもしれない。
陛下もほんの子供だったからな。
「こいつはベクトといいます。王府に行けば、俺よりマシなことができると思います」
「嫌だって言ったら? お前、どうするんだよ」
別に本気で嫌だと思ったわけじゃない。
ちょっとからかってみたくなっただけだ。いま考えると、恐れ多いにも程があるな。
そのとき陛下は怒るでもなく、絶望するでもなく、仕方ないというような顔でうなずいた。
「それなら、俺が背負って王都まで行きます」
「王府までどれだけあると思ってるんだ」
俺はつい笑ってしまった。
相手のガキが、馬鹿みたいに真面目な顔をしていたからだ。せめて泣くとか怒るとかすれば、まだ愛嬌があったというもんだ。
「連れて行ってやってもいいが、無駄飯を食わせるわけにはいかねえ」
「じゃあ、働きます」
「背負ってるやつは、どうなんだ。お前が二人分やるのか」
「やります」
陛下はまた、仕方がないというようにうなずいた。
「どっちにしろこいつは元気になっても、仕事で役に立たないですよ。体を動かすのは俺の役目なんで」
「そうか」
正直言って、俺はその二人にあまり興味を持たなかった。
《転生者》が活動をはじめてここ数年、故郷を無くしたガキはいくらでもいた。冬の山を越えてきたってのはちょっとした根性だと思ったが、それだけだ。
気になるとすれば、山奥の都市を襲った相手のことだった。
この方面はそう強い《転生者》が出現していないはずで、俺たちはかなり呑気に野営をしていたからだ。
「お前らの故郷、何があった? 《転生者》の群れか?」
「群れじゃなかったです」
俺が尋ねると、陛下は青白い顔でそう答えられた。
「たった一騎で、あいつ――あいつが出てきた。まずは砦が切り裂かれるのを見ました」
「砦が? おい、もっとわかりやすく言え」
「本当です」
魔王陛下は静かに言った。
「《魔獣化》した兵隊もいたんですが、抵抗もできませんでした。なんでも簡単に斬られて――しまいには山がまるごと。あれはいまの人間じゃ勝てない」
そうして陛下は、背負ったガキを横目に見た。
「誰かがなんとかしないと。だから俺は王都まで、こいつを連れていきます」
そんなことを経験したやつが、よくもまあ淡々と話せるものだと思った。
このガキの言っていることが本当だとしたら、無茶苦茶だ。こいつはうんざりするほど自分に対する危機感が鈍いのだろう。
不敬かもしれんが、これは俺の本音だ。
「そのあとは?」
なんとなく、俺は聞いていた。
「その死にかけのガキを王府まで送るんだよな。そのあと、お前はどうする?」
「こいつが何か方法を思いつくまで、時間を稼いでみます。軍隊に入ってもいいし、傭兵になってもいい」
それは覚悟とか、悲壮な決意とか、そういうものとは程遠い物言いだった。
まるで朝の身支度の延長で、ちょっとした作業をこなす、というような。
「こいつ――ベクトみたいに重たい責任は引き受けられないけど、時間稼ぎなら、俺にもできると思います」
つまり、魔王ルジン・カーゼムとは、そういう種類の人間だった。
間違っても魔王なんて向いているとは思えない。
いまでも何かの冗談だと思ってるよ。あの根性だけが取り柄の馬鹿みたいに鈍感なガキが、そんな魔王だなんてことは。
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