ゴルゴーンの瞳 5

 振り上げられたバンディットの前脚へ、刃を捻るようにして叩き込んだ。

 続けざまに細引きを投げる。

 先端の分銅が複眼を潰すと、鉤爪を避け、今度は首元へ一撃。


 どす黒い体液が散った。

 一連の動作の間にも、次のバンディットが飛び掛かってくる。放たれるつぶてをかわす。終わりがない。

 ルジンは軽く息を吸い、次の一体への懐に飛び込む。


(《転生者》は死を恐れない)

 それは、彼らが本質的に不死であるためと言われている。

 クレリックどもがやってみせるように、活動を停止した《転生者》も処置をすれば動き出すことで知られている。


 一説によれば、彼らは別の世界からやってきた存在であり、もとの体を捨ててこちらに出現しているのだという。

 その際に疑似的に死んでいるため、もう死ぬことはないと言う者もいる。

 ルジンはそうした噂を、ほとんど信じていなかった。ただの怪物だと考えることにしている。


(それに、どっちでもいい)

 やることは同じだ。

 クグリ鉈を振るう。正確に首を断つ――そのはずが、狙いはわずかに外れた。

 鉈の刃は、次のバンディットの殻に阻まれて止まった。ルジンは舌打ちをして、素早く鉈を引く。

 その間に、鉤爪で腕を抉られた。


(まずいな。余計なことを考えてる。集中力が切れたか)

 ルジンは床を転がり、バンディットの追撃を回避にかかる。

 つぶてを撃つため、こちらへ向けて口を開けるのが見えた。

 かわしきれない。当たりどころ次第では危ない――と思ったとき、横から黒髪の影が走った。


「そこまでだ」

 開いたバンディットの顎を、ゴルゴーンのつま先が蹴り上げていた。

 矢のような蹴り上げだったと思う。

 びぎっ、という破壊音が響いて、つぶての器官ごと口が潰れる。そのまま、前脚を掴んで投げ飛ばされた。階下へ落ちていく。


(とんでもない怪力だな)

 ルジンは大きく息を吐いて立ち上がる。


「見たか?」

 ゴルゴーンはルジンを見て薄く笑った。

「冷却が半分ほど終わった。見ての通りに動けるぞ。この程度なら、まだ何匹でもいける」

「じゃあ、そろそろ限界だな」

 ルジンは階下を走る轟音を聞いていた。


 ナイトが上ってくる音だ。

 どう見ても階段を登れるサイズではなさそうに見えたが、関係がない。壁を切り崩すようにして、強引に突っ込んでくる。


「来るぞ。走れ」

 窓へ向かって、ルジンは駆けた。ゴルゴーンは何か文句を言いながらも追ってくる。


 ナイトの巨体が、階段周りの床を砕きつつ現れた。

 跳ね上がる。

 槍となった腕が振り回される――その先端が旋回し、赤い火の粉を散らした。炎が渦を巻く。


(ナイトの魔槍だ)

 そういう名前の、ナイト種固有の器官である。

 ある個体は炎を放ち、ある個体は振動によって鋼をも砕く。ルジンは小型の竜巻を呼ぶ個体すら見たことがある。


「掴まれ」

「本当に、やるのか」

 ゴルゴーンは嫌そうな顔をしたが、構っていられない。

 ルジンは彼女の体を抱え上げた。窓枠に足をかける。鉄格子は、すでに外していた。


「当たり前だろ」

 これしかない。

 ルジンは開け放した窓から外へ跳んだ。

 落下の一瞬で細引きを放ち、砦に添えられるように立っていた物見やぐらへ引っかける。


 束の間、炎の槍をふりかざすナイトの、赤い複眼と目が合った。

 ルジンは怒鳴る。

「いま撃て、ゴルゴーン」

 指さした先を全力で撃て、という風に決めてあった。


「承知した」

 果たして、彼女はその通りにした。

 ゴルゴーンが右腕をまくりあげ、指先が空中を撫でるように動いた――そのときルジンは知った。

 彼女の右腕には、びっしりと青い瞳が開いていた。


 無数の青い瞳だ。

 それらが一斉に火花を放ち、同じ方向に視線を向ける。たったいままでルジンたちがこもっていた小砦だった。


 次の瞬間、虚空に光の鞭が生まれた。

 きゅうっ、と空気が鋭く鳴いた。青白く輝くそれは砦を撃ち、破砕し、吹き飛ばし、直後に爆炎をあげる。

 倒壊していく砦を、ルジンは噴煙の奥に見た。


(いまのは、うまくいった)

 爆発したのは、ルジンが仕掛けた「呪巫筒」と呼ばれる一種の爆薬である。

 容器が破壊されると爆発し、連鎖的に反応する。


 もともとこの手の砦は、最終的にそれ自体がトラップになるべく作られているものだ。

 柱の一つを破壊すると、建物全体が自壊するようになっている。


 ルジンの仕掛けた呪巫筒はその規模を拡大し、地上階への破壊力を増すようにしたものだった。

 ナイトに率いられる形で、大半の《転生者》たちが砦を包囲していたはずだ。


(三十は殺せた。半分以上だ。出来は上々だ)

 ルジンは手が焦げるほど細引きを握り、滑らせながら着地を果たす。

(問題は――)

 長身のゴルゴーンを抱えていたため、かなり無様な格好になったが、負傷はない。


「また、見たか?」

 腕の中のゴルゴーンがうめくように言った。

 ひどく熱い。体温が確かに上昇している――右腕の目は閉じていた。

「私はうまくやったか」


「そうだ。間違いなくやった」

 ルジンはうなずいて、顔をあげる。


 ナイトが一騎、無事だった。小道の向こうにいる。砦の外で待機していたのだろう。

 周囲にバンディットが三、いや、四体。

 そして、クレリック。

 ナメクジのような体を這わせ、倒壊した砦へ向かっている。残骸でもそこにあれば、蘇生してしまうだろう。


(巻き込めなかった。そこまで馬鹿じゃないな)

 ルジンにとっては、クレリックの存在自体が誤算だった。とはいえ、他に打てそうな手も思いつかなかった。


「まだ敵が残存しているのか」

 ゴルゴーンが全身に力をこめていた。体を起こそうとしている。

 右腕の瞳が一つ、二つと震えながら開く。

「私はやれる。もう一発くらいは、小規模なものを撃てる。今度こそ……これを言えそうだ。あのとき、魔王陛下から賜った通り……」


 うわごとか何かを言っている、と、ルジンは思った。

 幻覚でも見えているのかもしれない。

 小道の向こうで、ナイトが槍を振りかざすのが見える。甲高い鳥の声で鳴いている。


「貴君は逃げろ。ここは私がなんとかしよう。……できれば、これを陛下に言いたかった」

「馬鹿め」

 ルジンは鼻を鳴らした。

「死ぬほど真面目なときに、死ぬほど真面目な顔をするな。そういうのは雰囲気で悪酔いするだけだ。戦うならせめて素面でやってくれ」


「なんだと?」

 ゴルゴーンは瞳を瞬かせた。腕に浮いている青い目も、すべてが瞬いた。

「……記憶にある。確かに言われたぞ。貴君、その言葉は誰から?」


「知るか」

 ルジンは指で耳に触れた。

 ナイトがこちらへ突進してくる。槍の穂先に、銀色の光が散っていた。それがどんな種類の魔槍か、ルジンは確かめる気にもならなかった。


 代わりに、耳飾りに触れて呟く。

「フェルガー、見えてるよな。ここだ。よく狙えよ」

『誰にものを言ってるんだよ、お前』

 眠そうな声。鼻で笑われる。

『オレがこんなデカい的を外すもんか』


 その直後、巨大な金属の柱が降ってきた。

 突進動作に入っていたナイトは避けられない。

 肩口から貫かれ、地面に縫い留められる。


 よく見れば、鋼でできた銛のような武器だった。槍と呼ぶにはいびつすぎるそれは、何本も、立て続けに降り注いだ。

 生き残っていたバンディットと、クレリックを貫いて仕留めていく。


 ルジンはそういう武器を扱う連中を知っていた。

 頭上を見上げると、よく晴れた空に五つほどの人影が飛翔し、旋回している。彼らの背中には、昆虫のような薄い羽があった。


 そのうち一人が翼をたたんで降下してくる。

 小柄な男で、ひどく痩せていた。風を防ぐためのゴーグルに、分厚い飛行服。それから巨大な銛を一本、その腕に抱えていた。


「フェルガー」

 ルジンはその男の名前を呼んだ。

「ちょっと遅かったな。ほとんど俺が片づけたよ」


「馬鹿野郎。オレだって寝てるところを叩き起こされて、これでも急いだんだ。曳航がなきゃもう少しかかったかもな」

 フェルガーは怒ったように言い、大きな欠伸をした。

「あの変な女、態度はでかいがヤバいくらい速いぞ」


「あなたたちが遅いだけでしょ」

 横から割り込んでくる声もある。メリュジーヌ。金髪の少女が、すでに傍らに降り立っていた。


「ゴルゴーンが無事だったなら、私はもう行くから」

 彼女はしきりと金髪を指で弄んでいるようだった。

「急いだせいで、ひどい髪になってるわ。土埃はひどいし、魔王陛下にお目にかかる前になんとかしないと……ゴルゴーン、あなたも呆れた有様ね」


 メリュジーヌは不愉快そうにルジンを睨み、指さした。多少の敵意が感じられる仕草だった。

「こんな有象無象に助けられたわけ? 陛下の精鋭を自称しておいて、それはお粗末すぎるんじゃない?」

「黙れ。私も反省している……ああ、貴君」

 ゴルゴーンは咳払いをして、ルジンを押しのけるようにした。


「世話になったが、もう十分だ。私は一人で立てる……」

 ゴルゴーンはいまにもふらついて倒れそうに見える。

 が、本人が十分というのならそうなのだろう。命の危険は去った。自分の好きにすればいい。

(だが、根本的な危険は去ってない)

 ルジンは額に浮かんでいた汗をぬぐう。フェルガーを見上げる。


「見てわかったと思うけど、フェルガー。ここまで《転生者》が前線を押し上げてきている。手を打たないとみんな死ぬぞ」

「そうだろうよ」

 フェルガーは皮肉っぽく口を歪めた。


「オレは眠い。さっさと帰るぞ、ルジン」

 最後の最後で、余計なことを言われた――ルジンは顔をしかめた。

 ゴルゴーンとメリュジーヌが、亡霊でも見るような目でルジンを振り返るのがわかった。

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