ゴルゴーンの瞳 4
ルジンは二階の窓からそれを見ていた。
《転生者》の群れが、ルジンのこもる砦に近づいてくる。鳥の鳴き声のような、甲高い声が断続的に響く。
(数はおよそ、五十と少し)
そのほとんどがバンディットだ。
これは幸運な情報といっていいだろう。接近しているのは、ごく小規模な偵察部隊というところだ。
問題なのは、彼らを率いている《転生者》のことだった。
大きな蟹のような下半身に、人型の上半身が生えている個体――ナイトと呼ばれる種類の《転生者》が二体。
その背後に付き従う、馬ほどもある大きさのナメクジ状の個体がまた一体――這うように動く。こちらはクレリックと呼ばれる種類の《転生者》だった。
「クレリックがいる。あれは面倒だな」
「あの、白い蛆のような《転生者》か?」
ルジンの隣で、ゴルゴーンもまた覗き込んでいた。青い目を細めている。
「動きが遅い。戦力は低そうだが」
「攻撃能力はほぼない。多少はしぶといが、そういう問題でもない。見てろ」
ルジンが指さす。
ちょうど、一群はルジンが始末したバンディットの残骸に接近しつつある。
クレリックはその一体に、細長い指のような触手を伸ばした。
触れると、熾火のような燐光が生じて、切り裂かれたバンディットの傷が塞がっていく。ルジンの目にはその様子がはっきりと見えた。
やがて、クレリックは触手を引っ込める――絶命していたはずのバンディットがゆっくり起き上がる。
「なんだと。起き上がったのか」
ゴルゴーンにも、それがわかったようだ。
「死体が残っていれば《転生者》は死なない。クレリックが蘇生する。散らばった残骸をかき集めることもやるらしい」
対処法は、残骸を焼いて灰にするか、粉々にして海に撒くか。地中に埋めるか――というところだが、それをやっている暇はなかった。
クレリック個体はそこそこに貴重だ。
今回の追手に混じっていないことに賭けた。
(その賭けには負けたな)
些細な問題だ、と思うことにする。
そんなことより、生き延びる方法を考えるべきだった。その理由を頭の中で並べ立てる。
(フェルガーには金を貸してる。グレットから飯を奢ってもらう約束がある。パーシィとは賭けの勝負がついてない……)
ルジンは指折り数えて、苦笑した。
思ったよりも、自分の生きる理由は貧困のような気がした。
(あとは、あいつに文句を言っていない。俺みたいにたいしたことないやつは、それぐらいで十分だな)
「こちらへ来たな」
ルジンの思考へ割り込むように、ゴルゴーンが呟いた。
バンディットが三体ほど、砦の入り口周辺に集まっていた。
「私はいつ撃てばいい? 多少は冷却できたが、大きな『瞳』を一度開けばそれで動けなくなりそうだ」
「俺が指示したときに頼む。適当に撃っても無駄だ」
「そうか」
ゴルゴーンは口をつぐんだが、またすぐに開いた。
「メリュジーヌは、行かせてよかったのか? この場で役に立ったと思う。ひ弱に見えるが、あれの能力は空を飛ぶだけではない。高速の機動こそが本領だ」
やけに口数が多い――ルジンはなんとなく感じる。
(怯えているのか?)
ゴルゴーンの顔を見る。表情は冷静そのもの、といったように見えるが、あくまでそう見えるだけなのかもしれない。
あれだけの破壊力を持っていること、またその物言いから、この手の状況に慣れているだろうと決めつけていたところがある。
「ゴルゴーン、ちょっと落ち着け」
我ながら意味のないことを言っている。ルジンは自嘲する。
彼女の能力は、この状況では唯一最大の武器になる。少しでも平静を保ってもらう必要があった。
「敵を怖がるのは意味がない。死ぬのを怖がった方がマシだ」
「……私はどちらも恐れていない」
ゴルゴーンは顔をしかめた。
「私が怖がっているのは、ただ一つ。魔王陛下のお役に立てないことだけだ。命を捨てる時も、魔王陛下のために捨てたい」
「やめとけ」
思いがけず、吐き捨てるような言い方になった。
「どうせ魔王陛下なんてたいしたことねえよ」
「なんだと?」
ゴルゴーンは顔を近づけ、ルジンの肩を掴んだ。
「撤回しろ。貴君は何も知らない」
青い目の奥に火花が散り、そこには確かな怒りが見えた。少なくとも怯えた気配は去っていた。
「陛下は人類の希望だ。大いなる戦いにおいて、導く責務を負っておられる」
(こいつ、見てきたようなことを言いやがる)
馬鹿げている。ルジンは唇を噛んだ。
「あのときとは違う。私は今度こそ間違えない、魔王陛下の御身を――」
「わかった」
少しもわかっていなかったが、とにかくルジンはそう言った。バンディットたちが砦へと踏み込んでくるのを見たからだ。
クグリ鉈を片手に立ち上がる。
「来たぞ。少しは動けるなら、手伝え」
ゴルゴーンの返事は聞かなかった。
一階への階段へ走る。
この二階へと続く階段は二つ――片方はトラップで塞いである。上ってくるバンディットがまずは一体、見えた。
(ここだ)
思った瞬間、ルジンは跳躍している。
ワーウルフの身体能力ならば、五歩や六歩の距離は一瞬だ。クグリ鉈を鞘走らせて、首元、甲殻の継ぎ目に叩き込む。
ぶづっ、という強い手ごたえ。神経管を断ち切った感触がある。
蹴り飛ばすと、首も千切れて階段を落ちていく。
それで、下にも気づかれただろう。バンディットたちが発する、きりきりという警戒音が響いた。
「来い」
ルジンはクグリ鉈を振り、黒ずんだバンディットの体液を払った。
クグリ鉈は、ルジンの故郷で使われていた刃物である。
深く湾曲しており、呪詛によって刃を仕上げてある。ルジンの腕力で振るえば、《転生者》の殻でさえ容易に砕く。
「早く来い」
ルジンは再び言った。その挑発に乗ったわけでもないだろうが、階下のバンディットが跳ねた。
勢いよく上ってくるが、天井が低い。動きが制限されている。
ルジンの刃はその頭部を真っ向から、いとも容易くたたき割ることができた。
問題は、そこからだった。
続々とバンディットたちが砦に押し入ってくる。
(まずは、六)
ルジンはその数を見た。階段だけではなく、天井を這い、二体同時に上がってくる。
分銅をつけた細引きを放ち、一方の前脚に絡める――動きを止め、首を叩き切る。次の一体は、口を開け
これもかわし、鉤爪を弾いて、蹴り落とす。仕留めてはいない。
次は合わせて五体。続々と来る。
「ゴルゴーン」
撃ち込まれてきた
「引け!」
「わかった」
という返答を、遠くで聞いた気がする。
ルジンは地を舐めるような姿勢で、先頭のバンディットの足を断ち切った。重心が崩れる。きわどいところで鉤爪が額をかすめる。
それから一瞬遅れて、ごおん、という重たい音が響いた。
天井から、無数の槍が降ってきている。バンディットたちは、それに突き刺された格好だった。
密集した鋼の穂先によって、甲殻ごと貫かれている。
槍ぶすま、という。
この手のトラップは、どんな小さな要塞にも仕掛けられているものだ。
というよりも、この時期の軍事建築はそれ自体が一種のトラップになり得るといっていい。
「どうだ、うまくやれたか?」
ゴルゴーンが階下を覗き、ルジンがうなずく。
「とりあえずはな」
かすかに脚をうごめかせている者もいるが、六体は止めた。だが、それだけだ。
後続が砦になだれ込みつつある。
「いくぞ」
すぐにルジンはこの場の放棄を決めた。
一度使った槍は、貫いたバンディットの残骸を取り除いてやらねば再設置はできない。
それに、新手の《転生者》の中に一体。
バンディットとは比較にならない、大柄な個体が砦に駆け込んでくるのが見えた。《転生者》のナイト種である。
その腕――肘から先が、長大な馬上槍のようになっている。
狭い砦の入り口を、その槍で破砕しながら侵入してくる。
「上だ、急げ」
ゴルゴーンを促して走る。
最上階へ追い詰められる形になるだろうが、そちらはもっと空間が狭い。少しは有利に戦える――数十秒くらいは。
「いまの罠を、もう一度やるのか?」
「いや。ナイトはここの槍程度じゃ仕留められない。殻の硬さがバンディットとは違う」
「では、あの大型の《転生者》に私の『瞳』を使うか」
「使えば動けなくなる。俺が言うまで撃つな」
言ってから、ルジンは自分の言葉にまた苦笑した。このわけのわからない女を助けることを前提に行動している。
(……こいつが動けなかろうが、何を気にする必要がある。適当に撃たせて、囮に使え)
自分ひとり生き延びるならば、それがいいだろう。
(こんなことを考えるとは、俺は本当につまらないやつだな)
そのことは、よくわかっている。
だからそんなはずはない。
魔王というのは、昔の友人が考えた妄想だ。こうなってしまったいまとなっては、それは哀れですらある。
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