ゴルゴーンの瞳 3

 人類が《転生者》との戦いを始めてから、およそ二十年余り。

 その間、急激に発達した技術がいくつかある。


 その一つが軍事建築である。


 建物を要塞化するという、その分野だけが特異といえるほど進化した。

 そうした到達点の一つが都市のダンジョン化だったが、この時期、どの街にも一つくらいは軍事要拠点となる建造物が存在している。


 ルジンが迎撃の拠点として選んだのも、つまりはそういう施設の一つだった。

 街の中心にある、小規模ながら砦といえる建物。


(かなり一方的な戦いだったらしい)

 ルジンは砦に足を踏み入れ、すぐに気づいた。

 死体の量が少ない。

 街の中心であるこの小さな砦に退避するまでに、それだけ戦力を失っていたということだ。外輪の城壁で交戦し、そのまま壊滅的な被害を受けたと見える。


(奇襲を受けたのか。それならまだいいんだが――)

 ルジンは一階の天井を見上げる。

 明り取り用の窓があるが、そこから壁に裂け目が入っており、巨大な爪で引き裂かれたようになっていた。

(ナイトやメイジのパーティーならまだマシな方だ。最悪なのは、ブレイヴ個体がいることだな)


 ブレイヴ個体は、特に強力な《転生者》の存在を意味する。

 持ち合わせている能力は通常の《転生者》とは比較にならない。発見されたブレイヴ個体は、識別のために呼称が与えられることにもなっている。


 ルジンも一度だけ、ブレイヴ個体を見たことがあった。

 のちに「ジークフリート」と呼ばれることになるその《転生者》によって、故郷の山岳都市は文字通り粉砕された。


(ああいうやつが追手の中にいたら、終わりだ)

 そのことを考えると、ルジンは吐き気さえ感じる。

 少し咳き込んで誤魔化して、また手を動かす。手中には細引きと、小さな陶器の筒がある。


「……すまない」

 と、不意に声が聞こえた。

 ゴルゴーンは、二階へと続く階段にもたれかかるようにして座っていた。


「あまり手伝えそうにない。冷却のため、あまり体を動かせない」

 確かにここへ移動するまでにも、ひどく体が重たそうに見えた。

「そして、よく言われることだが、私はその手の作業が苦手のようだ」


「そうか」

 なんとなく、そんな気がしていた。

 ルジンは陶器製の筒を、柱にまた一つ括り付ける。手の平に握り込めるくらいの、小さな筒だ。


 筒の中には三種類の液体が入っており、仕切りで区切られている。

 なんらかの衝撃で壊れるとそれらが混ざって、ある種の反応を引き起こす。呪巫筒、という。よく使われるトラップの一種だ。

 これを手際よく、《転生者》の群れが押し寄せてくる前にやる必要がある。


「それより、話を聞かせてくれないか」

 ルジンは携行している呪巫筒を、細引きで一つずつ設置していく。

「お前がバンディットに追われることになった原因だ。敵を知りたい。背後にどんなパーティーがいたかわかるか?」


「バンディット」

 ゴルゴーンはその言葉を反芻し、うなずいた。

「なるほど。それがあの種類の雑兵の名前か」

「待て。……バンディットだぞ。知らなかったのか?」

「《転生者》の区別は、これから学ぶ途上だった」


 冗談を言っているわけではないことは、ゴルゴーンの顔を見ればわかった。

 ルジンには、それは不可解なことだった。

「どこの田舎から出てきたんだ? いまどき《転生者》の区別くらい、子供でも覚える」


「ワグラトゥ。我々はそこから撤退してきた」

「……待て。本気か?」

 田舎ではない。ルジンは思わず振り返った。

 それどころか、王府の傍らに存在しているはずの学術都市だ。大陸でも最大級のダンジョンがそこにある。

 その名前を、よく知っていた。


「撤退って、どういう意味だよ」

「強力な《転生者》の襲撃を受けたのだ。本来ならいま少し戦力を整え、魔王陛下をお待ちする予定だったのだが、状況が変わってしまった」


 襲撃されて、撤退した。

 ルジンは頭の中でその言葉を繰り返す。

(中央は、予想よりひどいことになっているのかもしれない)


 王府と地方の連絡がほぼ途絶したのが、もう二年ほど前か。

 絶望的な気分が襲ってくる。大陸で最大の学術都市が陥落したのなら、王府はどうなっている? それ以上に――


(ワグラトゥには、あいつがいた)

 ルジンの友人が一人、学術都市に招聘されていた。

 故郷が滅ぼされてから、行くあての無かったルジンたちの中で、図抜けた頭脳を持っていた少年だった。

 ルジンにとって、彼がそこで《転生者》に対抗する研究を続けていたことは、間違いなく一つの希望だった。


「我々は撤退の途中で分散せざるを得なかった。魔王陛下のもとへたどり着くためだ」

「……だめだ。頭がどうにかなりそうだ。まず、その……」

 ルジンは首を振った。

 聞きたいことが多すぎる。状況は切羽詰まっているが、一つ、どうしても気になることはある。


「魔王陛下ってのはなんなんだ?」

「人類の希望だ」

「それはもう聞いた。なにが希望なんだ? 恐ろしく強くて、一人で《転生者》を皆殺しにできるのか?」

「そんなくだらないことではない」

 ゴルゴーンは少し不機嫌になったようだった。

「戦闘に関してならば我々がいる。……重要なのは導く力だ。魔王陛下こそは、我々テュラテスの娘を統率し、適切に運用できる。師はそう言っていた」


 ルジンは鈍い頭痛を覚えた。

 ゴルゴーンの言ったそれは、聞き覚えのある物言いだったからだ。漠然と抱いていた恐怖が、徐々に現実のものになりつつある。


(俺は嫌だぞ。冗談じゃない)

 ルジンは心の中で、それを言っていた男の顔を思い浮かべる。

(俺はそんなたいしたやつじゃないんだよ。お前が自分でやってくれ)

 大きく息を吐き、ルジンは何か言おうとした。おそらくは、自身の名前について。彼女が『師』という存在について。


 だが、言えなかった。

 その前に、ルジンの感覚に引っかかってくる気配があった。


「――ゴルゴーン」

 その小さな呟きは、天井近くの窓からだった。

 そこに人影があった。


 一瞬、ルジンは身構えた。

 彼が気配を感じることなく、そこまでやってくるということは、《転生者》の中でもウィッチと呼ばれる飛行種ぐらいだ。

 手をクグリ鉈にかけたところで、止める。


(違う)

 そこにいるのは小柄な女だった。

 金色の髪が白々と光って見えた。恐ろしく張り詰めた顔は、ゴルゴーンに比べるとまるで少女だ――が、何より目を引いたのは、その背中だ。

 翼が生えている。蝙蝠のような翼だった。


 こういう翼は、初めて見る。

 ルジンが知っている《魔獣化》では、ワイバーンと呼ばれる者たちが昆虫のような羽を生やして飛ぶ。


「ゴルゴーン。……無事みたいね」

 翼のある少女は、むしろ冷たさを感じるような声で言った。

「とりあえず、良かったわ。たとえあなたみたいな阿呆でも、この状況では魔王陛下の貴重な駒の一つだから」


「メリュジーヌ!」

 一方で、ゴルゴーンは嬉しそうに立ち上がりさえした。

「こちらも安堵した。無礼な物言いは、死にかける目にあっても治らないようだな」


「まあね。じゃ、安否確認はこれで終わり。それより――」

 メリュジーヌ、というのが、その少女の名前らしかった。

「《転生者》が近づいてる。逃げるのは無理ね、あなたは遅いから」


 メリュジーヌは翼を小さく振るわせて、窓から飛んだ。

 その仕草が異様に速い。ルジンの目でも霞んで見えるほどの速度で、地面に降り立つ。

「この建物で迎え撃つことにしたのは、あなたにしてはマシな判断だったんじゃない?」


 それと同時に、ルジンを見た。何の関心もなさそうな目だった。

「―――そこの男は? 何?」

「友軍だ。なかなかの勇敢さと、機転がある」

「ゴルゴーンがそう言うなら、たいしたことはなさそうね。邪魔さえしなければいいけど」


(勝手に言ってろ)

 ルジンはそれどころではなかった。二階へと歩き出す。

 もう《転生者》が近づいている。やれることは一通りやってみた。


「ねえ」

 と、メリュジーヌの声が追ってくる。

「仕掛けをしてるみたいだけど、どうやって凌ぐつもり? ゴルゴーンの『瞳』を当てにしてるなら、考え直した方がいいわ。何度も使えるようなものじゃなくて――」


「お前、空を飛べるんだな」

 ルジンは彼女の言葉を遮った。メリュジーヌは、露骨に不快な表情を浮かべる。


「そうだけど」

「なら、頼みたいことがある。こんな場所にこもっても、生き残る率は十に一つもないからな」

「なんで私があなたの指示を」


「メリュジーヌ」

 ゴルゴーンが鋭く言った。

「貴様と違って私は逃げられない。命は惜しくないが、陛下のための命だ。頼む」

「あなたの頼みを聞くのも、本当は嫌だけど」

 一瞬だけ、メリュジーヌはうつむいた。

「まあ、そんなこと言ってる場合じゃなさそうね」


(まさに、その通りだ。こいつらの気楽さはなんなんだ? まるで学生じゃないか)

 ルジンの感覚はすでに捉えている。

 この街へ複数の《転生者》が侵入し、捜索を始めている。この建物へ到達するのは時間の問題だろう。


(生き残れるかな)

 ルジンは大きく息を吸い、二階への階段を上る。

 今日は立て続けに混乱することばかり起きている。


(俺にどうしろっていうんだ)

 この二人に加えて、さらにもう一人、どうしても文句をつけたい相手がいる。

 それも、すべては生き延びてからの話だった。

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