ゴルゴーンの瞳 2
通常、人類が《転生者》に勝てない理由はいくつかある。
強靭な生命力、機動力、昆虫のような意志の統一性。
そして何より、異常な攻撃能力だ。ルジンもよく知っている。
目の前のバンディットたちが、一斉に口――にあたる器官を開くのを見た。
そこから、棘のような突起が覗く。
(バンディットの
バンディットは《転生者》の中でもとりわけ戦闘力の低い種ではあるが、かといって危険性が低いわけではない。
同数のバンディットと人類の歩兵が戦えば、ほぼ一方的な戦いになる。
その理由が、これだった。
バンディットは小粒の鉛を射出する器官を備えている。
鉄の鎧すら貫通する、異様な破壊力の飛び道具だ。連射はできないものの、射程は訓練を積んだ弓兵のそれに匹敵する。
これを集団で運用されると、状況によっては一方的な戦いになることもありえた。
「下がれ!」
ルジンは背後に怒鳴って、前へと跳躍した。
礫の斉射を引き付けるつもりだった。
ワーウルフの生命力ならば、数発当たったところで死にはしない。
ルジンの読み通り、バンディットたちは礫の器官をルジンへ向けた。
先ほどルジンは二体のバンディットを仕留めている。それを「脅威」として評価しているのだろう。
(動き続けて、注意を引きつける)
射出される礫を、一つ、二つとかわしながら走る。
(その間に、あのわけのわからない女も逃げるだろう)
逃げなければ、あとはもう知らない。そのつもりで跳んでいた。三つ目の礫、四つ目の礫――と避けたが、五つ目には当たった。
(というより、そういう風に追い込まれたな。狩りが上手い)
命中は右肩。かすめただけだ、と思うことにする。
左手は動くし、もう目前にバンディットの一体がいる。ほかの個体よりも、やや体が大きい。
(こいつがとどめを差す役割か)
バンディットが鉤爪を振り上げたので、ルジンは左手を振る。
その指先が、かすかに光った。
紐である。
ルジンの生まれ育った地域では「細引き」と呼ばれていた。
植物の繊維から作られているが、細いだけでなく強靭で、人間が数人で体重をかけても千切れない。
ルジンはこの細引きの先端に錘をつけて、武器の一つに使っていた。
(こいつらの体は見た目以上に軽い)
ルジンが紐を引くと、バンディットの体が傾いた。
体の均衡を崩している。後ろ足にルジンの細引きがかかっていた――それをたぐりながら、鉤爪を避け、クグリ鉈を打ち込んだ。
(駄目だな)
首筋、甲殻の隙間を狙ったが、外れた。殻を強くたたき、鉈を食いこませただけだ。
右肩に違和感がある。
(さっきの礫か。骨まで達してはいないだろうが)
痛みはほぼ感じない。これも《魔獣化》の恩恵だが、ひきつれるような感触があった。
ルジンは舌打ちを一つして、後ろへ跳ぼうとした。
しかし、バンディットの反撃は素早い。
《転生者》もまた、痛みを感じないと言われている。生命が尽きるまでいくらでも戦う。そういうところも昆虫に似ていた。
「くそっ」
ルジンは衝撃に備えた。
反撃を受けるのはどうしようもない。致命傷だけは回避する。
バンディットの鉤爪が、胸元にのびてくる。体をそらし、左腕を掲げ、盾にしようとする――その瞬間、強く後方に引っ張られた。
というよりも、引きずり倒されたといった方がいいだろう。
(後ろにバンディットがいたのか?)
そうならないように、敵を見て慎重に跳んだはずだ。
とすれば、伏兵がいたのか。バンディットやアサシンといった《転生者》がたまに使う手ではある。
(だが、ワーウルフの俺を引きずり倒すほどの個体とは)
バンディットは比較的に非力な《転生者》だ。それほどの力を持つ者がいるとは聞いたことがない。
信じられない思い出振り返ると、さらに信じられないものを見た。
「なかなかに勇敢だな。そして迅速だった」
あのやたらと長身の女が、ルジンの襟首をつかんでいた。
(この女に引き倒されたのか)
と思う。
余計に信じられない。通常の人間の腕力ではなかった。《魔獣化》によるものか。
そう考えたのも一瞬のことだ。
「悪くはないぞ。魔王陛下の臣として、推挙してやってもいいくらいには」
女が笑った。
その瞳から、青い火花が散ったように思う。ばん、と、乾いた音も聞こえた。
(なんだ?)
ルジンが再び前方に向き直ると、一つの状況が片付いていた。
ルジンを鉤爪で狙っていたバンディットが、粉々になって吹き飛び、殻があちこちに散乱していた。
それから、その背後にあった建物の残骸まで被害は及んでいる。もう一匹、巻き添えを食らった個体もいた。
雪で覆われていた地面も、すっかり抉れてしまっていた。
(こいつがやったんだ)
ルジンはそう結論するしかない。
長身の女の、青い右目が燐光を放っている。
こんなものは初めて見る。
少なくともルジンが知っている《魔獣化》でも、こういうことができる者はいない。
ワイバーンやケルベロスといった《魔獣化》兵士が炎を吐き出すのは見たことがあるが、こんな破壊の仕方は不可能だ。
「貴君の勇戦に応えて、名乗るとしよう。我が名はゴルゴーン。偉大なる魔王陛下の臣下にして、敵を滅ぼす雷の槍である」
女が伸ばした右の指先に、青い火花が散る。それを無造作に振った。
ばん、と、再び強烈な音が響く。
今度はルジンもはっきりと見た。
女の指先から青白い閃光が迸り、鞭のように放たれて、残っていたバンディットを薙ぎ払った。
その光に、強大な破壊の力が宿っているのがわかった。
建物の残骸は粉々になり、雪とともに散った。
閃光が通り過ぎたあと、原型を保っているバンディットは一体もいなかった。
(なんなんだ、これは)
理解できないものを見た。
ルジンは抉られた地面に、指で触れる。熱い。思わず手を引っこめたほどだ。
「――よし」
ゴルゴーン、と名乗った女は、深くうなずきその場に膝をついた。
白い息を、長く吐く。
「雑兵の始末は終わりだな。ところで、貴君」
声をかけられたのだと、少し遅れてルジンは気づく。
「名前を聞いておこう。私はもう名乗ったぞ」
「……ベクト」
ルジンは嘘をついた。本名を言えば、面倒なことになりそうだったからだ。
「傭兵をやってる」
「ベクトか。私の先生と同じ名前だな」
ゴルゴーンはかすかに笑った。
「なかなかの勇敢さだった。お目通りが叶った暁には、貴君を魔王陛下に推挙してやろう」
「魔王陛下、か」
ルジンには尋ねたいことがいくつもあった。
が、その前に気づいてしまっている。音、というより声だ。甲高い鳥のような鳴き声である。
聞き覚えがあった。
(ナイトだ。《転生者》のパーティーがいる)
バンディットという種は、斥候に使われる。
思ったよりも、本隊が近くにいたのかもしれない。先刻のゴルゴーンの一撃で、気づかれただろうか。
だが、不安はないだろう――こちらにはゴルゴーンがいる。
いまはその破壊力を知っている。
「ゴルゴーン」
ルジンは彼女を振り返る。
「もう一度、さっきのやつを頼みたい。本隊のパーティーが来る。ナイトが相手になりそうだ」
「……待て。それはまずい」
ゴルゴーンは顔を曇らせた。
「私の『瞳』は、あまり連続して使用ができない。いまは二度、立て続けに使った。一刻ほどの冷却が必要だ。そうでなければ『瞳』が持たない」
刻、というのは、一日を二十四に分割したときに使われる単位だった。
ルジンは背筋が冷えるのを感じた。
怯えているのだ、と他人事のように思う。やはり自分はたいしたことがない。
こうなると、ゴルゴーンに対して文句の一つも言いたくなった。
「だったらお前、威力を絞って撃てなかったか? あれで気づかれたとしか思えないんだが」
「確かに。……少し張り切りすぎたかもしれない」
真顔のまま、ゴルゴーンはうなずいた。
「まもなく陛下にお会いできると思い、派手にやりすぎたようだ。反省している」
あまりにも真面目な口調だったので、ルジンはそれ以上追及する気をなくした。それほど暇でもない。
(すぐに動くべきか。少しでも距離を稼げば……)
ルジンは礫に撃たれた右肩に触れた。もう傷口は塞がっている。
もしかしたら自分は、ひどい疫病神と遭遇したのかもしれない。
(――いや。違うな)
いつものことか。
危険に近づくようなことばかりやってきた。それほど珍しいことではない。妙に頭が冴えるのを感じる。
(逃げるのは悪手だ。どうせ追いつかれる。それくらいなら――)
「貴君は逃げるがいい」
ゴルゴーンは白い息を吐きつつ立ち上がる。
「私の不手際だ。魔王陛下のもとへ、やつらを連れていくわけにはいかない。命に代えても殲滅する」
「つまらないことはやめとけ」
ルジンは鼻を鳴らした。
「ここで迎え撃とう。死ぬのはやることをやってからにしろ」
やることがあるうちは、死なない。ルジンはなんとなくそう思うことにしている。
ゴルゴーンは、呆気にとられたような顔をしていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます