#4-2

 ノワールにとって、不機嫌なままこの日がくるのは酷く残念だった――父と母の命日に、墓に添えるための花を選びつつぼうっとしていると、なんとなく空しくなるのはなぜだろう。

 常であれば、短い間でも愛してくれた父母が、愛だけでなく、死してなお自分にこんな地位をくれたことも、巨額の遺産にも、寂しくはあれど感謝していたこともあり、ノワールはこの日は特に上機嫌で過ごすようにしていたのだ。

 しんみりしている息子など、陽気でよく話す息子を愛してくれたあのひとたちには、見ていたいものではないだろうし――ノワールには、この日になると特別饒舌にそう従者に話す癖があった。町からすこし離れた丘の上、この町が見渡せる一等地に、父母の墓はあり、ノワールにとって、そこからの景色に視線をやりながら、墓の父母に一年間で一番面白かった話を訊かせるのは、好きなことのひとつだったのだ。

 それなのに、こんな日に。珍しく眉根を曇らせたまま、花屋で花々を睨みつけている主人に、その横でソラはそわそわと視線を送っていた。「どうしたのだろう」とこの少年が思っていることは、主人としてわりあい長く一緒に過ごしてきたノワールには手に取るようにわかる。だからこそ、ノワールは小さく息を吐いて、それで不機嫌をしまい込むことにした。「ソラ。どの花にしようか」

「いつも言ってますけど、俺は花言葉とかわからないんですからね」

 ノワールがいつもの声色で自分に話しかけてくれたことに、ソラは分かりやすくほっと体から力を抜いて言う。そんなソラに、ノワールは朗らかに笑い、「花言葉より、どれが綺麗かとか、どれが好きそうかで選ぶ方が、俺は好きなんだ」

「一般論ではなさそうですね」と表情を曇らせたソラに、ノワールが「それはそうだね」と、店内の背の低い鉢植えやバケツに合わせて屈みこむ。「これはどう?」と切り花を指さしたノワールに、店の女主人が声をかけた。ノワールが女主人と話し込んでいるそばで、ソラは別の棚を覗き込み始めている。

 ソラのもとに、二種類の花束を抱えてノワールが戻ると、「あれ? どうして二つも?」とソラは当然首を傾げた。それに対して、ノワールは覇気のない声で言う。「ああ、いや、オペラにも、と思って。ついでだけれど、花を見るのが好きみたいだったからね」

「綺麗ですね」とソラは何事もないように言ったが、そんな彼の顔がにやけていることに、ノワールはしっかり気が付いていた。

 丘の上に登り、ソラが遠くで見守っているなかで、ノワールは父母の墓に目線があうように身を屈めた。一年間のうちに一番面白かった話を、と思うと、なぜかオペラと一番始めにしたデートのときの話になってしまった。「てっきり俺は彼女が告白してくるんだろうって身構えてたのに、彼女の方は一切なんてない話をするだけで、いや、俺の方が話してたくらいだったかもしれない。しかも、俺ってば間抜けなことに、彼女の兄の話を延々としていたんだ。それでさようならだったんだよ、信じられないよね? 恥ずかしいったらないよ、それでさ……」

 さわりと、心地良い風がノワールの頬を撫でる。不思議なことに、両親の命日にはあまり雨が降らない。降った日もあるにはあったが、それは本当に稀なことだったから、ノワールは命日というのは雨が降らないものなのだと本気で信じていたくらいで、それもノワールから言わせれば、「父さんと母さんが、俺に話しに来いって言っているんだろうね」ということだった。

 しかし、不運なことというのは続くものである。

 馬車にソラと乗って、サフランの屋敷へと向かっていたノワールは、いつもオペラと散歩する公園を眺めているうちにそれに気が付き、椅子から滑り落ちそうになって咄嗟に馬車にしがみついた。「わっ!」とソラが驚いて声を上げたのと、ノワールが「止めて!」と馭者に叫んだのは同時だった。

 そのあまりの剣幕に、馭者も慌てて馬車を止める。「どうしたのですか」と訊ねた馭者に目もくれず、ノワールは馬車から公園のほうを目を丸くしてじっと眺めている。

「危ないなあ、死ぬところでしたよ」とどくどく鳴る胸を押さえてソラが本気で言っても、ノワールの耳には一切入っていないようだった。そんな主人からやっと彼の目線の先に視線を移したソラも、その光景に目を丸くする。

 オペラ=サフランが、ノワールが全く知らない男と、肩を並べてベンチに座り、親し気に会話していたのである。

◆◆


「まあ、ノワール様、きっと学友かなにかですよ。オペラさんってほら、学校に通っているし」

「お嬢さんの学校は女学校だよ」

「割り込みに行ってもいいかな?」とにっこり笑ったノワールの目が、一切笑んでいないことに、ソラは背筋を凍らせた。表情に隠せないほど彼が怒ることなど、ソラの経験上でもほぼない。そういえばシュヴァルツ城の一等品を割ったときでも、こんな怖い顔はしていなかったな、とソラは思いだしながら困り果てた。頭に血が昇ってしまっているらしい主人を止めるすべなんて、主人との付き合いが長くとも、まだまだ少年であるソラには思いつきもしない。

 馬車からすでに降り、いまにもオペラのもとへと飛び出しそうな主人の服の裾を必死に引っ張って、ソラはなんとかしようと、勢いのまま、「落ち着いてください、シャノワール=シュヴァルツともあろうものが! たった一人の女の子に!」

 発したあとにそれが失言だったと気が付いて、ソラはさっと青くなる。それでもノワールはぴたりとソラを引きずるのをやめて、ぽつりと「そうだね」と呟いた。

「たしかに、シャノワール=シュヴァルツともあろうものが……」

 呆然とした様子のノワールが気になっても、とりあえずいまは収まったのだろうか、とソラはノワールの様子を怖々と観察していた。

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