#1-4
オペラ=サフランは考えていた。この兄の悪癖は、一体どうすれば治るのだろう、と。
「すまない、オペラ、本当に……」
「まず、なにがどうなってそうなったのかを、もっと詳しく教えて。ことの次第によっては絶交も考えるから」
オペラの怒りももっともである。なぜか兄が朝帰りをして泣きべそをかいているなと思っていれば、当の本人の説明によると、カジノのオーナーに、オペラの結婚を酔った勢いで賭けてしまい、そして毎度のように散々に負けて、これはまずいと青くなったところをノワールに助けられてしまった、ノワールの助け方と言うのがこれまたまずくて、「お嬢さんは俺と結婚するんだよ。俺に勝つのがまず先でしょう」とノワールがオーナーを挑発し、そして結果、ノワールが勝ってしまったというのだ。
あまりにもとんでもない話で、オペラは約十五分の間、なにが起こったのかまとめようと黙り込んでいた。その十五分がブルーノにとって地獄のような時間であることは、彼の顔色を見ていればオペラには手に取るようにわかるのだが、それでも彼女は黙っていた。彼に優しい言葉をかけたいとすら思えなかったのである。
「伯爵は、もしかして私を助けようとしてくれたのかしら。そういうことよね、一応」とブルーノにやっと声をかけて、オペラは苛立ちを必死に抑えようと眉間を揉んでいる。ブルーノはやや考えた後、数度頷いた。「そうだと思う。俺にこっそり、勝てばあとあとなんとでも言える、と言っていたし……」
カジノのオーナーは大富豪ではあったが、あまり評判がよくない男だった。その男と大事な妹が、自分の悪酔いで結婚することと、のちのちノワールと破談したという噂を流されること、そのどちらのほうが良いのか、という最悪の未来を、ブルーノは酔った頭で必死に考えたらしいのだ。
だが、「それならまあ許してあげるわ」なんて、全く非がないのに巻き込まれてしまったオペラが言うはずがない。
「伯爵は、もう私と破談したのだと言っているのかしら」
オペラの呟きに、「え? いや、まだだと思う」とブルーノはついあっさり答えた。オペラは「ノワールと結婚すること」、「破談した噂を流されること」、「悪い噂がある男と結婚すること」を天秤にかけ、決死の決断をした――「わかったわ。伯爵と結婚する」
「……は、はあっ!? そ、それはだめだ!」
「あら、兄さんは私が伯爵に破談されたと世間に笑われることと、伯爵と結婚したと父さんの誇りになること、どちらのほうがより良いと思うの?」
「そ、それは」、とブルーノがどもり、それをオペラは「ほら」と一人で頷く。言葉を閊えさせたということはつまり、ブルーノだって、ノワールとオペラが結婚するしか、オペラに道はないことに気が付いていたのだ。
ただ破談されるのではなく、誰からの評判も良いノワールにされたとなれば、オペラは「わけあり」となってしまう。ノワールは立場も上だから、比較的、傷も少なくいられるかもしれないが、金持ちとはいえ平民のオペラは大怪我どころではない。
それはオペラの口からわざわざ説明せずとも、ブルーノもきちんとわかっているからこそ、オペラはブルーノにそこまで言わずにおいたのだった。
次の日、ブルーノはノワールに、ことの顛末を嫌々ながら伝えたようだった。オペラはそれを、ノワールから呼び出されて知った。
ノワールは開口一番に、「お義兄さんが泣いていたよ、お嬢さん」と笑った。彼としても笑うしかないという状況であることを、オペラはすぐに見抜いていたが、オペラとしても彼と全く同じ心境だったのだ。
「兄さんにも困ったものだわ。もう貴方としか賭けはしないでと言ったの。賭けるのも昼ご飯にして頂戴ねって。破ったら絶交よ。貴方ともお話ししないから」
「飛び火じゃないか、それ」
「なんだか納得できないなあ」とノワールは呑気に付け足す。オペラはそんなノワールに鼻から息をひとつ吐いて、「飛び火して大やけどしたのは私よ」
「それはたしかに」
「ねえ、貴方のこと、これからノワールって呼ぶわ。いいかしら」
「なんとでも呼びなよ、お嬢さん」とノワールはあっさり微笑む。本当に人当たりが良いな、とオペラは思った。
オペラが、自宅の前で酔いつぶれていた、印象最悪の彼と二人で話をしたいと言い出した理由は、兄と彼が思っているような浮かれた理由などではなく、「ノワールのことが心配になったから」であった。
オペラの目に、ノワールはなにかを隠しているように見えた。好青年と呼ばれてみんなに慕われる彼がべろんべろんに酔って、前後不覚になるなど、よっぽどの理由があるのではと思ったのだ。
しかしそれを、ほとんど会ったばかりの彼に訊くことを、少しだけオペラは遠慮したのだ。お節介だとは知りつつも、それが自分に解決できることならばと、まず彼と親しくなろうとしたために、彼女はノワールとただくだらない話をしただけでその日は別れたのだ。
彼女は、「もしかして、ノワールは寂しいのでは?」と思っていた。しかしそれを、あまり表に出さずに、そしてこの婚約を、そういう意味で好機だと考えているのだった。
ノワールが自分のことなどなんとも思っていないだろう、ということは、オペラにとってみればわりあい良い条件だった。婚約という蓑を被ることや、その先破談となるだろう危険があったとしても、彼と友達になるきっかけが、「婚約者」である、ただそれだけなのだと、彼女は楽観視していたのだ。
――前向きなことだけが、私の取り得なのよね。
オペラは、自分がとても甘い考えをしていることに薄々勘付いている。しかしそれは、悪いことではないだろう、と根拠のない自信が彼女にはあった。身を滅ぼすだけかもしれないが、もしかしたら――と、ノワールを見やる。
「うん?」と首を傾げて目を細める彼を見ていると、彼と友達になれることは、きっと自分にとっても良いことだろうと思えるのだ。
「これからよろしくね、ノワール」
オペラがやっと、にっこり微笑んでみせると、ノワールも笑って気持ちよくオペラに手を伸ばした。節ばったそのてのひらを、オペラも小さな手で握る。二人は笑って会話をしながら、その日、ノワールは彼女を家まで送ったのだった。
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