#1-3
ノワールとオペラが会ったのは、それから数日後のことだった。二、三日前に、ブルーノがノワールに、「オペラに絶対に優しくしたり、気を持たせたりしないでくれよ。絶対にすげなくしてほしいんだ」と頭を下げているなんて、オペラは勿論知りもしない。
オペラは赤茶のノースリーブのワンピースの下にパフスリーブのシャツという出で立ちが多い。今日も彼女は長い赤毛をみつあみにして、学校と図書館から帰ってきたばかり、例外なくいつもの服装だった。ブルーノに電話をさせてまで、「ブルーノが言うには恋しい相手」であるノワールに会うにしては、とノワールはオペラの普段通りの装いにはてと首を傾げる。
前から歩いてきたオペラに、「こんにちは、お嬢さん」とノワールは片手をあげた。小さな公園で待ち合わせ、というのは、庶民のデートの定番みたいだな、とノワールは思っていたのだけれど、「それにしては、なんだろう、違和感があるなあ」と彼はやや考える。
「伯爵、こんにちは。今日は飲みすぎていない?」
不躾なオペラの質問に、ノワールは気分を害するどころか、噴き出してしまう。「はは! 大丈夫だよ、ありがとう」と笑いすぎの涙を指で掬って、「それで、用事ってなに? ブルーノから呼び出されたんだけど、もしかして、デートかなにか?」
「変なことを言うのね。私は貴方と話したかっただけよ」
「うん?」
彼女の様子に、ノワールは「ブルーノの勢いと違うな」とちらりと思う。兄の言い方のまま解釈すると、話といえば十中八九、告白かなにかなのだが、オペラに頬を染めたり、恥ずかしがるような、そういうときに少女がする独特の仕草がまったく見て取れない。「なんだろう、嫌な話じゃないよね」とぽろりとノワールが溢してしまったのは、この男らしい、素直なものからだった。
「嫌な話かもしれないわ。やめておく?」とオペラが返したのを、ノワールは自分の失言に釣られたのかなと、「いや。きくよ」と微笑んでみせる。
「すこし、お話ししたいの」
「うん。それで……」
ノワールが要件を促したのを、オペラは「私の話もするわ。でもその前に、貴方の楽しいお話をきかせて」と流してしまった。「これはますますわからないな」とノワールは顎に手を当てて考える。
仕方なく、ノワールは、自分の知るブルーノのくだらない話をした。オペラは最初は真剣に話をきいていたけれど、だんだんとノワールの話に乗ってきて、屈託なく笑い声をあげて楽しんでいる様子である。
「それで、要件は? 俺にばかり話をさせる気?」
思いつくエピソードを一通り話し終えて、ノワールは口元に笑みを湛えながら、再度オペラを促す。「これでなにも言わなかったら、それはそれでまあいいかな」とノワールは思っていたが、「それはそれでいい」というのは、「オペラはやっぱりブルーノの言う通り自分のことが好きで、だからただ話をしたかったのだ」という結論に至るということだ。
オペラは、「そうね」と少し考える素振をして、しかし結局、呼び出した要件を言わずに、自分から進んで楽しい話をしだしてしまう。だから、ノワールは「このお嬢さんは自分と話したかったんだな」、とブルーノの約束を守るため、別れる前にオペラに釘を刺そうとした。「ブルーノに怒られてしまうから、二人で会うのはこれきりにしよう。今度会うときは、三人にしない?」
しかし、それに対するオペラの答えは、何の陰りもなくにっこり笑って、「いいわよ。そちらのほうがきっと楽しいわね」
夕方になってしまったけれど、まだ暗くはないから、家も近いしねと理由をつけて、ノワールはオペラと公園で別れた。オペラもそれに全く異論ない様子で、おやおやとノワールはますます考え込む。
「面白いお嬢さんだな」と呟いたけれど、彼の本心はどちらかというと、「よくわからない子だな」であった。
しかし、それでもノワールにしては、なにもない時間も楽しかった気がして、まあいいかで今回は終わることにした。
「彼女に深入りすることは絶対ないな、無垢すぎる」というのが、彼が彼女に持った印象で、「それはきっといつまでも変わらないだろう」、と彼は、ブルーノを安心してやるために、帰宅したら電話の一本くらいしてやるかとため息をついた。
「というのが一部始終だよ。安心して、お兄さん」
「誰がお義兄さんだ」
ノワールが自宅で電話をかけて、ブルーノにそうすべてを報告すると、ブルーノは変な誤解をしてそう怒った。「なにに怒っているんだ」とノワールが訊ねてみれば、ブルーノからしてみると「楽しく会話をするな! 冷たくあしらってくれと言ったのに!」ということで、どうもノワールは彼の期待に沿えなかったらしい。
「難しいことをいうね」
「なにも難しくない。オペラがお前に本当に惚れたらどうするんだ。話術を披露するなんて!」
ブルーノがそう因縁をつけても、ノワールは「話術ってほどのものでもないでしょ」とのらりくらりとかわす。ブルーノがそんなノワールに対して、食えない相手だと怒るのはいつものことで、それでもノワールとしてはそれこそが処世術なのだ。
「ノワールはいつもそうだ、お前のそのにやにや笑いに騙される女性の多さときたら」
「よし、飲みに行こう、ブルーノ。ナンパを教えてあげる」
「えっ? 本当か?」とブルーノの声がぱっと明るくなったことに、ノワールは笑い出しそうになる。しかしさすがにぐっと堪えて、素直なのはいいことだ、と声に出さない程度に微笑むだけにした。
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