第7話 取り違え

 包丁を首筋に充てている怜の目は虚ろな目で今にも実行に移さんとしていた。


「怜、今すぐそれを降ろせ。誰も犯人だなんて」

「……嘘だよね。もう私気づいていたもの。勇樹が好きで、男子更衣室の鍵を持っていて、誰も見ていない時間帯で、私が一番に疑われていてもしかたないもの。ごめんね勇樹、私を探偵に仕立ててくれて」


 もう怜は気付いていた。自分が犯人であることも俺の目論見にもすべて。蛍光灯に照らされた包丁がきらりと怜の白い首筋を映し出す。


「がんばったんだけどな。やっぱり私には勇樹の彼女足りえなかったから罰があったんだ。小さい頃からずっと一緒にいて安心すると思って、それが好意だとわかったんだ。でも勇樹のことが好きだと気づいたときには、もう勇樹はサッカー部で密かに人気で、女の子みんな取り合いにならないように見張っていて。好きだって告白する空気じゃないから。やっとみんなと違う高校になって他の子に取られないように先制告白したんだよ。でも神様は私を認めてくれないのなら」


 ゆらりと足元のカバンを蹴ると、包丁の柄を奥に引いてまっすぐ首筋に下ろそうとした。手は自然に伸びていた。刃が首に当たる前に手首を掴み上げてそれを叩き落とそうと力を入れた。


 意外と握り締める手は固く、何度も包丁の柄を奪い取ろうとしても怜はそれをこちらに渡してこない。俺は強硬手段としてぎゅっと手首を強く握りしめるとようやく怜はたまらず包丁を放して床に落とした。


「はぁ……なんてことするんだ……」

「だって、私。勇樹に嫌われたと思って」

「絶対にお前は犯人じゃない。それを絶対に証明するから、それに刃物を人に向けるなって注意したのは怜だろ。そんなことするな!」

「ごめんなさい」


 小さい声で怜は謝罪した。ようやく事態が収まりあたりを見回すと床にあった学生カバンや机にあったものが散乱していた。やれやれ、夕食前にきちんと片づけないとなと近くにあった俺のカバンを手にして自分の部屋に行こうとすると怜が引き留めた。


「それ私のカバンだよ。ほらキーホルダーがあるでしょ」


 指摘されてカバンの側面を見ると俺のものではないキーホルダーがぶら下がっていた。


「ああ、本当だ。カバンが同じだから間違えた」


 あれ待てよ。同じ物ならほとんど気にしない。そうするとあれも同じようにすれば。


「怜、明日更衣室に行こう。現場をもう一度見てみるんだ」


***


 翌日の早朝。昨日伝えた通りに更衣室に着いた。体育館を使っている人はなく、今更衣室は無人の状態だ。


「怜、男子更衣室を開けてくれないか」

「うん」


 借りてきた更衣室の鍵を渡して、怜がそのまま男子更衣室の鍵穴に差し込む。だが鍵は回らずガチャガチャと音を立てるばかりだ。


「これは入らないよ。間違えて持ってきた?」

「それ女子更衣室の鍵だよ。男子のはこっち、タグをここに来るまでに入れ替えたんだ」


 ポケットから本物の男子更衣室の鍵を取り出した。鍵のタグは円形の金具でつながっておりコツさえつかめば誰でも外せる仕組みだ。


「さっきみたいに鍵のタグさえ入れ替えれば、どっちが男子と女子かわからなくなる。おそらく犯人はドアに刺さっていた鍵のタグをみんなが着替え中にこっそり入れ替えていた。鍵の確認も入る時ならともかくすでに刺さっているものだし、しかも体育の時間も迫っているから確認する暇もないだろう。怜が渡された時もそうじゃないか?」

「うん、ちょっと急いでいたからそのままポケットに入れっぱなしだった」


 スポーツでもロスタイムで時間が迫っていたら、細かいことを気にする余裕がなくなることはよくある。時間が迫る心理をついたトリックだ。だがまだ怜の容疑が晴れたわけではない。このトリックは誰でもできるし、怜が自分の疑いをそらすために実行したと疑われる。

 となると、あとはカメラを仕掛けた場所だ。


 本当の鍵を渡して更衣室に入る。更衣室は左右にロッカーと中央に荷物置き場兼用の背もたれがないベンチが横たわっているという更衣室としてはよくあるものだ。


「男子の所って着替え用のカーテンないんだね」

「着替え用のカーテン?」

「うん。万が一外から見られないように更衣室の端っこにカーテンがあるんだけど」


 あんまり気にしていなかったが、たしかにカメラが仕掛けられたロッカーの隣にカーテンレールがある。パンツだけになってもあんまり気にしないから着替え用のカーテンがあること自体気にもしてなかったから知る由もなかった。


「カメラは、入り口付近のロッカーの上にあったらしい」

「勇樹はどこで着替えていたの?」

「ちょうどこのロッカーの射線上だな」


 指した場所はベンチを挟んだところのロッカー。直はカメラが仕掛けられていた場所と位置から俺狙いだと判断したのだろう。そして直の情報によれば、カメラが撮影を始めたのは授業が始まって十五分ぐらい経ってからだ。時間としても瀬川や怜がトイレに行った時間と同じだ。


 怜が無罪だと証明するためにはこのロッカーに届くかどうかだが。


「怜、ロッカーの上に何か荷物でも置けるか?」

「いや無理だと思う。私百五十後半もないから明らかに届かないし、脚立でもないと」

「投げ入れるとしたら?」

「衝撃でカメラが壊れる可能性があるよ」


 たしかにロッカーの高さは俺の手がギリギリ届くが、俺よりも小さい怜では届かない。更衣室のベンチでもギリギリ届くかどうか怪しい、せめて百六十センチ以上はないと無理だな。だがこれで怜が仕掛けることは不可能だ。


「ベンチに乗っても届かないのなら、怜が犯人である可能性が完全に消えたな」

「本当! これであとは犯人が誰かだね」

「ああ、怜が犯人ではない以上容疑者は二人種田と瀬川だけ。怜、女子トイレの個室っていくつある?」

「二つだよ」


 となると片方は西田さんが使用していた。つまり、時間的にあいつしかいないな。

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