第3話 ヤンデレは血がお好き
学校から出て入学してから初めて一人で帰ると、通学路が広く感じられる。今まで隣に誰かいてそっちばかり見ていたから新鮮だ。
教室に戻ったとき怜の姿はなかった。教室に残っていたクラスメイトから先に帰ってしまったらしく、LIMEにも怜がそのことを伝えるメッセージが残されていた。いつもならすぐに返信したはずなのに、怜怒っているかなと考えると直の言葉が蘇った。
ヤンデレだなんて、そんなはずはない。大人しくて優しい怜があんな真逆で野蛮な人種であるはずがない。ましてや盗撮だなんて。そう思わなければ言葉が吹っ切れなかった。
直の指摘したように怜が俺と付き合ってからは、中学に比べ他の女子と話す機会があまりない。LIMEだって休み時間だけでなく、授業中にも『今何している?』と送ったりしている。
ヤンデレによるものであれば やっと自分の家のマンションに到着して鍵を開けようとした。
「あれ。鍵が開いている?」
今日両親は共働きの日だから今の時間帰ってくることはないはず、もしかして怜か? 隣の部屋は怜の家で両親が帰ってこないときは、母さんが合鍵を怜に預けて家事を代行してくれているからそうであろう。だけど鍵が開いているとは不用心なと思いながら、ゆっくりドアを開ける。
「勇樹。お帰り」
予想した通り、怜が玄関で待っていた。だがそこにいた怜は学校で見たのと違った。小顔で丸い顔や白い手にはまったく不釣り合いな、赤い液体が付着していた。しかも手には包丁が握り締められ、同じ液体がべっとりとついている。
明らかに異常な光景、嫌な予感がよぎった。
ヤンデレの女が致してしまった後の場面。
喉が叫びをあげようとしていた。けどそんなはずはないと脳が喉を押さえつけ、こもった声で恐る恐る手についているものを聞いてみた。
「なあ、その赤いの。もしかして」
「ああ。これ――」
怜は自分の手についているものに対して微動だにせず、手の甲に付いた液体をひとなめすると、にっこりとした笑みを浮かべて。
「作っていたオムライスのケチャップが爆発して顔にかかっただけだよ。洗おうとしたら勇樹が帰ってきたからそのまま来ちゃった」
「驚かすなよ。てっきりヤン……」
危うくヤンデレと言いかけそうになり、一瞬息を止めた。俺は何を言おうとしていたんだ。直のことがまだ頭に残っているのか。
「勇樹顔色悪いよ」
「その顔を鏡で見てみろ。誰が見ても卒倒するぞ」
俺が指摘して玄関の傍の鏡を指さすと、ようやく自分のひどいありさまに顔が青くなった。
「ごめん。こんな顔になっていただなんて気づかなかった。ちょっと着替えに行ってくるからあれ出しておいてね」
「あれって?」
「ハンカチ、いつもお母さんからシャツとハンカチは出しておくように言われているでしょ」
そうだった。午前中に使っただけでずっと入れっぱなしだったから忘れていた。怜が隣に行ったあとで台所を覗くと、ケチャップライスが深手のフライパンの中にありその横にはまだ拭いていないケチャップの跡が残っていた。
まったく、何を考えていたんだ俺は。血とケチャップを間違えるだなんて、考えすぎだ。
制服を脱ぎながらポケットに手を入れるがなかなかハンカチが見つからない。もっと奥に入れてしまったのかと奥の方に手を入れる。
「痛っつ!!」
奥に手を入れた瞬間ズキッと何かに刺されて、手を勢いよくポケットから吐き出した。引き抜いた手の先には黄色い待ち針が刺さっていて、痛みと共に本物の血が一本の筋を引いて垂れていた。
待ち針? この制服入学式になってからまだ修理に出してもないのに。待ち針を引き抜いてもズキズキとした痛みは引かず、血は止まらなかった。
「くそ、絆創膏どこにあったっけ」
「勇樹おまたせって! 血、血が!! 指抑えてて、今消毒液と絆創膏持ってくるから。ああでも血が垂れちゃう」
タイミングよく帰ってきた怜が俺の指を見て再び青ざめてオロオロしている。怪我しているのは俺の方なんだから落ち着け。
しかしこういう時でも案外怜の体は動くもので、すぐに救急箱とティッシュを携えて血をふき取り、てきぱきと消毒をし始めた。
「ごめんね。まさか怪我しているだなんて知らなくて」
「急に出たんだから心配するなって。それにこんなのサッカーですりむいたときよりも大したことない」
しかし待ち針なんてどこから出てきたんだ。家庭科の授業はまだ裁縫のところまでやってないし、家の中で制服に触るのは俺以外に母さんと怜ぐらいだが。ガーゼを巻き終えた怜にそのことを聞こうとすると、怜は先ほど血をふいたティッシュを赤ん坊を抱えるように両手に置いて、眺めていた。
「勇樹の血と指に触れちゃった。ティッシュに血の指紋までついている……」
……あの、ちゃんと捨てるんだよな。
***
夕食の時間、怜がつくってくれたオムライスをスプーンに一口運ぶ。俺好みの甘辛いケチャップをたっぷり入れたケチャップライスとバターで焼いた卵の味がしっかり効いている。いつものごとく怜は俺の好みをよく知っている。
「今日は災難続きだね。待ち針が入っていたり、男子更衣室で盗撮されたこととか」
テーブルをはさんだ向こうの怜も同じオムライスを(といっても俺のより一回り小さいが)食べながら夕方の盗撮事件のことを口にした。
「もう事件のこと知っているのか」
「さっき女子グループのLIMEにも注意喚起で回ってきてたよ。他のクラスも今後着替えるときは部屋の周りを警戒するようにみんなに呼びかけているの」
「そうだよな。まだ男子だから被害はすくなくてよかったけど」
「……まだ? なんで勇樹は怒らないの。すぐにカメラを回収したから今回は助かったけど、もしもカメラの中身がネットに流れて、変質者が画面越しにじっくり勇気の姿を嘗め回しているなんて想像したくないんだよ。先生たちも男子だから被害が少なくて安心だなんて言って、全然よくないのに」
怜が持っているスプーンが変形しそうなほど拳を震わせている。おまけに背中から幽霊なんて一度も見たこともないのに気で感じれるほど禍々しい物があふれ出て、気をされてしまう。
怒ってくれている、にしては怒りの度合いが激しすぎるほどの激情ぶりだった。怜ってこんなに激しいやつだったかと疑問をする暇もなく、スプーンの頭が物理的に曲がりそうになりかけている。いかん、スプーンさんの頭と胴体が離れてしまう!
「いや怒っているって。怜を心配させたくないだけだから」
「本当?」
「本当本当」
宥めさせる言葉をかけると、先ほどまであった禍々しい気配はあっというまにきえさった。スプーンさんも幸い少し首が曲がっただけで、胴体とくっついていた。
だがこの怒り様、さすがにごまかしや否定をするのは苦しい。彼氏に対しての異常な執着、血や指に触れただけで恍惚とするありさま。やはり怜はヤンデレ……
ついに出てきたその言葉に、スプーンを置いて水を飲む。甘辛いケチャップライスで火照っていた口の中が水で消火されて、ついでに頭も冷静になってくる。
いや仮に、仮に怜がヤンデレだったとしても盗撮の犯人ではないわけではない。あの怒りはまぎれもなく本物だ。盗撮をした人間があそこまで切れる芸当を怜ができるわけがない。
「まだ犯人捕まっていないんだよね。このまま放置していいのかな」
「え?」
「だって押収されたカメラがあれ一台だけじゃないでしょ。きっとまた勇樹を狙うかもしれないじゃない」
そうだ。今回カメラを見つけられたのは偶然ゆえだ。まだ犯人も見つかっていない以上は同じことが繰り返されるのは最もだ。だが残念なのことに、一番犯人だと思わしき容疑者が
いや待てよ。逆にこれはチャンスだ。怜が犯人探しをするとなれば、犯人が自ら犯人を捜すなんてありえないだろうから疑いの目は減る。しかも目的である被害者の俺を伴えばその疑いはますます低くなる。
「そうなる前に私が取り押さえて、二度とそんなことできないように」
「もちろんだとも! 放置しておくわけにはいかない、一緒に盗撮犯探しをしよう!」
「え!? 私が、聞き込みとかもして? でも勇樹と一緒にいれるのはうれしいし、心強いけど。あれでも私が言ったんだからそうなるんだよね。うんそう……うん。しなきゃ。犯人探し」
先ほどの興奮が空気の抜けた風船のようにぷしゅーと抜けて、ぶつぶつと中学の時に戻ったかのような言動をし始める。
いずれにしても、怜が率先して犯人探しをしてもらわなければ。
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