第33話 まさかの悲劇

 その日の夜、僕は自宅のリビングで自作のエプロンと向き合っていた。角野先輩のデザインを元に、ポケットに刺繍をしようとしたのだけれど、これがなかなか上手くいかない。やっぱり僕の女子力はこんなものだな。


 考えてみれば、今まで宮部さんとケーキを作ったり、藤村先生へのプレゼントを考えたりはしたけど、実際の作業はほとんどやっちゃいない。せいぜい、白鳥先輩の作るクッションをほんの少し手伝ったくらいだ。


「透くん、何やってるの?」


 作業を進めていると、一緒に住んでいる婆ちゃんが声をかけてきた。僕がこんな事をしているのが珍しかったのだろう。


「ちょっと刺繍をね。学校で必要なんだ」

「そうかい。ああ、でもそれじゃ駄目よ。そんなんじゃ、すぐに糸が抜けてしまうよ」


 婆ちゃんはそう言って僕の隣に座った。


「お婆ちゃんがやってあげようか?」


 そう言ったけど、僕は首を横に振る。確かにその方が確実に良くなるだろうし、楽ができる。だけどきっと、家庭科部のみんなも自分の力でやっているだろう。なのに僕だけがズルをするわけにはいかない。

 今まで散々ズルしてきた気がするけど、だからこそ、せめてこれくらいはやっておこう。


「これは僕がやらなきゃいけないから。でも上手くいかないから、ちょっと教えてくれない?」

「いいよ。これはね……」


 僕が尋ねると、婆ちゃんは一つ一つ丁寧に教えてくれた。元々こういうのは得意な人だし、何度か僕に一緒にやらないかと誘ってきたこともあった。僕はそのたびに断っていたけど、こうして教えられて、婆ちゃんも嬉しいのかもしれない。


「最近は、学校でこんな事もするんだね」

「普通はここまでやらないよ。家庭科部で必要になっただけ」

「家庭科部?」


 そう言えば、婆ちゃんにはちゃんと話していなかったっけ。


「最近訳あって、ちょくちょく家庭科部に顔を出すようになったんだ」


 そこに至るまでの経緯は長いので省いておく。正直、僕自身どうしてこうなったのかよく分からないところもある。


「透くんが家庭科部ね。きっと楽しいんだろうね」

「楽しい? そうなのかな?」


 その辺はどうもよく分からない。面倒事も多いような気がするけど。


「そうよ。だって透くん、今までこんな事やらなかったでしょ。私がいくら誘っても全く興味なくて」


 うぅ……そう言われると耳が痛い。


「男の子なんだし、それも仕方がないんだけどね。だけど、今こうしているってことは、楽しいからじゃないの?」

「それは……」


 そんな自覚は無かった。だけど、多分その通りなのだろう。いくら成り行きとはいえ、本気で面倒だと思ったら、決して深入りしたりしないはずだ。婆ちゃんに言われて、いつの間にか家庭科部のみんなといる時間が心地良くなっていたことに気付く。


「あ、そこ違っているよ」


 しまった。考え事をしていたらつい間違ってしまった。


「えっと、こういう時はどうすればいいんだっけ」

「それはねえ……」


 僕は婆ちゃんに教えられながら、夜遅くまで作業を続けた。












 そんな事があった翌日。僕と全家庭科部員は、始業開始より一時間以上早く家庭科室に集まっていた。何しろ今日が、運命の部活動紹介当日だ。


 ほとんどの部員のエプロンは、昨夜自分の家で完成させていたけど、唯一白鳥先輩のだけはまだ完成していなかった。家で作るのを止めさせたのだから当然だけど、そのため僕等は、急ピッチで作業に追われることになる。


 全員で凄いのを作ろうと言った手前、普通に作って終わりというわけにもいかず、装飾にも随分と時間と手間をかけた。結果、朝のうちだけで終わらせることはできなくて、作業は昼休みまで続いた。昼休みが終わればすぐに部活同紹介が始まるから、本当にギリギリの時間だった。

 だけどみんなが協力した甲斐あって、ついにそれは完成した。


「できたぁ―――――っ!」

 完成した自らのエプロンを、高らかにかざす白鳥先輩。それを見て、みんなも心から拍手を送った。


「なんとか間に合ったね。みんな、よく頑張ったね」


 そう言った中島先輩は、嬉しそうなのと同時に、どこか眠そうにしていた。きっと昨夜は、遅くまで自らのエプロン作りをやっていたのだろう。他のみんなも、似たようなものだったに違いない。

 僕も、遅くまで婆ちゃんに教えてもらったおかげで、自分でも満足のいくものができた。ありがとう婆ちゃん。

 それぞれが自分で作ったエプロンを改めて見直した後、再び視線が白鳥先輩の持つエプロンへと集まった。最後は部員全員で協力して作っただけあって、誰にとっても思い入れがあるだろう。


「白鳥、早速着てみようよ」

「えぇーっ、そう言えばこれ、私が着るんだよね」


 白鳥先輩のエプロンは、ピンクを基調とし、レースやフリルに可愛いワッペンが所々に散りばめられていて、やたらとファンシーな仕上がりになっていた。気が付けば、みんなハイテンションになっていて、あれもつけようこれもつけようと言い出した結果、歯止めが効かなくなったんだよね。

 確かに、これを着て全校生徒の前に出るのは少し恥ずかしいかも。


 だけどそんな事はおくびにも出さずに、僕は言う。


「大丈夫です。白鳥先輩なら、きっと似合いますよ」

「そ、そう?」


 どうせ着るのは僕じゃないんだから、何とでも言えるんだ。他の部員たちも、どこまで本心かは分からないけど、口々に似合うと言って煽てていた。


 そんなみんなの声援を受け、白鳥先輩もようやくエプロンに袖を通す。だけど……

 

「ねえ、どう思う?」

「えっと……」


 みんなが微妙な顔で、白鳥先輩とそのエプロンを見ている。これは、何も特別似合っていないというわけではない。だけど、だけどただ一つ、それには大きな問題があったんだ。


「ブカブカ?」


 そう。完成したエプロンは、どう見てもサイズが合っていなかった。白鳥先輩は女子の中では一番背が高いけど、エプロンはそれよりさらに二回りくらい大きい。男の僕の物より少し大きいくらいだ。


 形は問題なかったし、急いでいたので誰も気がつかなかったようだ。多少の違和感はあったかもしれないけど、ここまでサイズが合わないとは誰も思わなかった。


「どうする? これ着て部活動紹介に出るの?」


 白鳥先輩が困った顔で言う。こんな明らかにアンバランスなサイズのエプロンを着て、こんなの作りましたと言わなきゃいけないわけか。それは何と言うか、色々キツイものがある。

 だけど、じゃあ止めようとも言えなかった。


「でも、もう手直ししている時間もないよね」


 そうだ。昼休みが終わるまで、残り時間はもう十分を切っている。その後はすぐに部活動紹介が始まるし、仕方ないけどこのまま行くしかなさそうだ。


「じゃあ、サイズの合う人と交換すするってのはどう?」


 白鳥先輩はそう提案したけれど、一番背が高いのは白鳥先輩本人だから、それは無理。彼女以外の人が着たら、なおさらアンバランスになってしまう。

 そう思ったのだけど、そこで僕は他の人達の視線に気づいた。


「……………?」

 

 何だろう。どういうわけか、みんなが僕の方を見ている。


「ねえ工藤君。ちょっとそのままそこに立っててくれる」


 そう言って、白鳥先輩は来ていたエプロンを脱ぐ。

 何をするつもりだろう? そう思っていると、白鳥先輩はそのファンシーなエプロンを僕の体に当ててきた。

 さらにそれから、みんなで何やら話し始める。


「まだちょっと大きいけど、これならそこまでブカブカって事も無いか」

「白鳥は、代わりに工藤君のを着れば何とかなるしね」


 いったい彼女たちは何を話しているのだろう。宮部さんをはじめとする一部の人達は、申し訳なさそうな顔でこっちを見ているし、なんだか嫌な予感がムクムクと広がっていくような気がした。


「工藤君。悪いんだけど……」

「嫌です」


 僕は即答した。今まであえて目を背けて来たけど、みんなが何を考えているか、本当は薄々分かっていた。


「まだ何も言ってないのに」

「言われなくても分かりますよ! どうせ僕に、そのピンクでフリフリでファンシーなエプロンを着ろって言うんでしょ!」


 冗談じゃない。男がそんなもの着れるか。それも全校生徒の前で。


「そんなこと言わないで、家庭科部のためだから。」

「嫌なものは嫌です。サイズ間違えたのは先輩なんだから、責任もって自分で着てください」

「そんな。部長の私がこんなブカブカなやつ着て行ったらみんなに笑われるよ」

「僕が着て行ったらもっと笑われます!」

「そこはほら、ウケ狙いと思ってくれるよ」

「嫌です!」


 何と言われても、こればかりは頷くわけにはいかない。みんなも見ていないで、白鳥先輩を止めてくれ。

「でも、確かに他に手はないわけだし」


 中島先輩まで何言ってるんだ。


「ここはひとつ工藤君に犠牲に、いや、頑張ってもらって」

「今犠牲って言ったよね!」

「助けると思って。他に手は無いの!」

「僕を助けて。誰でも良いから助けて!」


 みんなが必死で説得する中、僕は一人抗い続ける。婆ちゃん、昨日は家庭科部は楽しいって言っていたけど、そうでない事もあるんだよ。

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