第32話 明日に向けて

「あなた達、まだ残ってたの?」


 やってきた千田先生の声で、みんなの作業の手が止まる。外を見ると、すでに日は落ちてあたりは暗くなっていたけど、みんな集中していたためか、誰もその事には気づいていなかった。


「熱心なのは良いけど、もう下校の時間よ。そろそろ帰りなさい」

「ちょっとだけ待って下さい。あと少しで区切りがつくんです」


 そう言っていそいそと手を動かす。そんな僕達の様子を見て、先生は顔を綻ばせた。


「仕方ないわね、あと少しだけよ。それにしても、みんなちゃんとやっているのね。こっちはもう完成しているみたいだし」


 そう言って、僕のエプロンに目をやった。


「それは前に作っていたやつです。本当は全部新しく作った方が良いけど時間もないし。できればこれにアレンジを加えたいんですけど」


 結局、こっちはほとんど手をつけられなかったな。それは宮部達も同じだ。明日の午後までには何とかしないと。

 だけど千田先生は、僕の言葉を聞いてますます嬉しそうな顔をする。


「前に作ったって、あなた達、ちゃんと今までにも活動していたのね」

「…………」


 それにはみんな、あえて何も答えない。前に作ったとはいっても、家庭科部じゃなく授業でやっただけです。

 でもせっかくこうして喜んでいる事だし、本当のことを言ってガッカリさせるのも可哀そうだ。

 そうしているうちに、みんなの作業にそれぞれ区切りがついていく。


「私は一段落ついたけど、みんなはどう?」

「こっちもなんとか。それじゃあ、続きは明日。ううん、帰ってからやった方が良いかな」


 みんな頑張ったおかげで、完成まであと少しというところまで出来ているけど、確かに余裕を持って家でもやっておいた方が良いかもしれない。僕だって、自分のエプロンにはまだ何も手を付けていないのだから、帰ってから作業しておいた方がいいだろう。


「よし。じゃあ各自家に持ち帰って。できれば完成までもっていこう」


 白鳥先輩が大きな声でみんなに号令をかけた。だけど、そんな先輩に向かって宮部さんがおずおずと声をかける。


「あのー。部長はやめておいた方が良いんじゃないですか」

「なんで?」


 白鳥先輩は不思議そうに首をかしげたけど、他のみんなはすぐにその言葉の意味を察した。


「そうだ。白鳥がいたんだ。この子一人でやらせたら、またあのエプロンの悪夢が蘇る」


 中島先輩が、ハッとしたように頭を抱える。いや、もうだいぶ出来上がっているし、いくら何でもこれからそこまで酷いことにはならないんじゃないかな。

 だけど相手は白鳥先輩だ。完成間近のエプロンを真っ二つにしてしまうくらい、この人ならならあり得るかもしれない。


「じゃあ、部長は家での作業は無しで……」

「そんな事できないよ!」


 作業中止を求める中島先輩。だけどその言葉は、途中でかき消されてしまった。


「だって、みんな頑張ってるじゃない。それなのに私だけが何もしないなんて、部長として、ううん、同じ家庭科部の仲間として我慢できないよ!」


 白鳥先輩は珍しく本気だった。いつもは遊んでばかりのこの人だけど、今回ばかりは真剣に部のために何かをしようと必死になっている。


「先輩……」


 その気持ちはとても嬉しい。正直ちょっとウルッときた。だけど、だけど……


「それでもやっぱり、白鳥部長一人に任せるのは不安が大きすぎる」


 ボソリとそう呟くと、隣にいた宮部さんも無言のまま頷いた。

 他のみんなも同じ気持ちなのだろう。さすがに、誰も面と向かってやめてくれとは言えないけど、どうしようと言わんばかりに困った表情を浮かべている。


「どうする?」


 宮部さんが困った表情で囁くけど、そんなの僕にだって分からないよ。


「ねえ、誰か部長を止めてよ」

「無理だよ。いくらなんでも言えないよ」


 こそこそと囁き合いながら、誰が白鳥先輩を止めるかを話す。だけど誰も動こうとはせず、いつの間にかみんな黙り込んでしまった。

 どうしよう。このままじゃ、白鳥先輩が一人でエプロンを作ってしまう。そんな最悪な事態、絶対に避けなきゃいけないのに。


 だけど、そんな気まずい沈黙の中、突如角野先輩が叫んだ。


「そうだ、良い考えがある!」


 何、今から手芸教室にでも通わせるの? 

 たしか『スミスミシン』って言う手芸店が、教室をやってったっけ。

 だけどどうやら違うみたいで、角野先輩は白鳥先輩をに言う。


「今のままじゃ、エプロンはできても、飾りとかないから味気ないじゃない?」


 たしかにそうだ。だからこそ、これから何かしらのアレンジを加えなければと思っていたところだ。


「私、せっかく作るなら可愛い刺繍とかアップリケとか付けたいと思って、色々デザインを考えてたの。でもどれにするかまだ絞りきれなくて困ってたんだ。だから白鳥、どれが良いか一晩かけて選んでおいてくれない。一晩かけて!」


 そう言って角野先輩は、自分の鞄から手帳を取り出した。デザインを考えていたというのは本当のようで、そこにはいくつもの可愛いイラストが描かれていた。趣味で漫画を描いているだけあって上手いものだ。


「よくこんなにアイディア出ましたね」

「こういうのは得意なんだよ。みんなも気にいったのがあれば参考にして」


 具体的なアレンジ案が決まっていなかったから、これはありがたい。僕も便乗して、気に入ったデザインのいくつかをスマホで写真に撮る。家に帰ったら、これを元に飾りをつけよう。

 一方、白鳥先輩はなんだか納得のいっていない様子だ。


「でも、一晩かけて選んでいたら、肝心の作る時間がないんじゃないの?」


 そりゃそうだ。と言うか、作る時間を削るのが目的なんだ。


「白鳥のエプロンは、明日私達全員で協力するから。だから今日は、デザイン選びに専念して」


 そんな角野先輩の言葉に、他のみんなもここぞとばかりに頷いた。


「そうだよ。だって部長のエプロンだよ。家庭科部の顔になるんだから、みんなで気合入れて凄いのにしないと」

「私も、部長のエプロンを一緒に作りたいです」

「僕も賛成です。みんなで作りましょう。みんなで!」


 そんな僕達の熱弁に圧倒されたのか、最初は不満げだった白鳥先輩の表情も次第に変わっていく。


「みんな、そうまでして私のために。わかった。このエプロンはみんなで完成させよう!」


 こんな風に、感激までしてくれていた。ちょっと心が痛むけど、これも部のためだ。


「というわけで部長、そのエプロンはこのまま家庭科室に置いておきましょう。絶対に、持って帰ろうだなんて思わないで下さい」


 持って帰ったら万が一という事もあるだろう。宮部さんが力強く念を押す。


 すると、話がまとまるタイミングを見計っていたのか、それまでみんなを眺めていた千田先生が再び口を開いた。


「それじゃあもう遅いから、いい加減みんな帰りなさい」

「「「はーい」」」


 そうだった。時計を見ると、いよいよ早く帰らないとまずい時間になっている。

 白鳥先輩以外はこれから家に帰ってエプロンの飾りつけが待っているんだ。みんな、時間が惜しいと言うのは十分に分かっているのか、全員がいそいそと帰り支度を始めた。

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