第6話 代案

 宮部さんが呆然としながら呟いた。

 驚くのも無理はない。オーブンレンジから取り出した生地は、なぜか全く焼けていなかったのだから。

 生焼けとかそういったレベルじゃない。入れた時のまま、全く変化が見られなかった。

 いくら何でもこんな事ってあるんだろうか? 恐る恐る容器を触ってみて驚いた。


「冷たい」


 オーブンで焼いたんだから、当然容器は熱くなるはず。そんな事僕にだってわかる。だけどなぜか容器は冷たいままで、温かくなった様子なんてちっともない。

 ためしにオーブンの中に手を入れてみたけど、こちらも同じように常温のままだ。


「時間はちゃんと確認したし、まさか、オーブンが壊れてたとか?」


 やり方が間違っていたようには見えなかったから、まさかとは思うけど考えられるのはそれくらいしかない。

 思いつきで言っただけだったけど、宮部さんは困惑しながらも頷いた。


「そうかも。普段使うのはレンジばっかりで、オーブンなんて何年も動かしてなかったから」


 レンジは正常なのに、オーブン機能だけが壊れていたという事か。このタイミングでそれを知ることになったのは不運としか言いようがない。


 宮部さんはショックだったのだろう。目に見えて落ち込んでいるのがわかる。

 こういう時こそ力になってやりたいけれど、オーブンが使えないならどうすることもできない。だいいち僕の知識なんて、ちょっとネットや本で調べただけの薄っぺらなものだ。

 だけど、その時ふと、記憶の隅に引っかかりを覚えた。


(オーブンがなくてもケーキを焼く方法ってなかったっけ?)


 それは、ケーキの作り方を片っ端からネットで検索していた時に見つけたものだった。どこの家庭にでもある物でケーキは焼ける。当然それは、この家のキッチンにも置いてあった。


「たしか、炊飯器でもケーキは作れるはずだよ」

「炊飯器で?」


 驚く宮部さん。だけど確かに、つい先日見たネットの情報にそう書いてあった。

 生地自体に特別な事をするわけじゃなく、羽釜に生地を流し込んで、後はスイッチを入れるだけ。たったそれだけで良かったはず。

 最初これを知った時は、こんなやり方もあるんだと驚いたから印象に残っていた。その事を説明すると、宮部さんは目を丸くした。


「そんなやり方もあるんだ。よく知ってるね」


 いえ、付け焼刃の賜物です。でも調べておいてよかった。こんな付け焼刃でも、無いよりはましだった。

 早速、容器に入っていた生地を、今度は羽釜へと移し替える。これでスイッチを入れれば大丈夫なはず。

 だけどそこまで考えて、一度手が止まる。


「スイッチって言ってもいろんなモードがあるし、どれをやればいいんだ?」


 ざっと見ただけだから、そこまではさすがに覚えていない。

 でも大丈夫。スマホをいじって記憶を頼りにその記事を探すと、履歴が残っていたから案外早く見つかった。


「なんだ、普通の炊飯でいいのか。宮部さん、よろしく」

「う、うん。これでいいかな」


 恐る恐るスイッチを入れる宮部さん。想定外の事態のせいか、さっきまでと違ってちょっと不安そうだ。

 不安なのは僕も同じだ。アドバイスはしたけれど、本当にこれでうまくいくかは取り出してみないと分からない。


「もし上手くいかなかったらごめんね」


 僕が本当に、お菓子作りが得意で女子力があったなら、こんな時もっと上手く出来たかもしれない。だけど実際できるのは、こんな半信半疑の知識に頼ることくらいだ。


「ううん。工藤君がいなかったら、きっとこのまま投げ出してたよ」


 宮部さんがそう言ってくれて少しほっとする。

 どうか上手くいきますように。僕らは、祈りながらケーキが焼き上がるのを、もとい炊きあがるのを待った。その時間が、とんでもなく長く感じた。







「じゃあ、開けるね」


 緊張気味に宮部さんが言う。これで無理なら、残念だけど本当に諦めるしかない。

 だけど、恐る恐る炊飯器の蓋を開けたとたん、香ばしい匂いが辺りに広がった。


「見た目は、出来てるっぽい」


 その声は相変わらず緊張していたけど、さっきまでよりも明るかった。僕も炊飯器の中を覗き込んでみると、確かに生地はふっくらと膨らんでいた。


「表面は焼けてるようだけど、中はどうかな?」


 ちゃんと中まで火が通っているか確かめるため、中心に串を突き立て、引き抜く。


「乾いてる。ちゃんと中まで火が通ってるみたい」

「つまり……成功?」

「成功だよ。よかったぁ」


 予定通りとはいかなかったし、上手くいくか不安でいっぱいだった。だけど、こうして上手くいったことにホッとする。僕も宮部さんも、いつの間にか顔を見合わせて笑顔になっていた。


「それじゃ、後はこれをひっくり返してクリームを塗ればほぼ完成ね」

 そう言って、手にミトンを付け、炊飯器から羽釜を取り出す宮部さん。そうして皿の上に羽釜をひっくり返したけど、その時だった。


「あっ!」


 突然、宮部さんが声を上げる。

 炊飯器という、本来の用途でないものを使ったのがまずかったんだろうか。焼き上がった生地の一部が、羽釜の側面に張り付いてしまっていた。それを、無理にひっくり返そうとしたのがいけなかったんだろう。皿の上に落とされた生地は、無情にも不格好な状態にちぎれてしまっていた。



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