第5話 食べさせたい相手
「ねえ、どうして僕に手伝ってほしいなんて言ったの?」
生地を泡立てている宮部さんを見ながら、当然の疑問を聞いてみる。これなら一人でも大丈夫だったじゃないだろうか?
「普段の料理はともかく、ケーキなんて作ったことが無かったから、経験豊富な人に確認してほしかったの」
そうだったのか。もっとも、それならやっぱり僕を選ぶべきじゃないんだけどね。
それにしても本当に手際が良い。普段の料理なんて言ってることから、どうやら料理自体は相当経験を積んでるんじゃないのかな?
「もしかして宮部さん、けっこう料理作ってるの?」
「うん。親が帰ってくるの遅いから、一応毎日。工藤君と同じだね」
いや、全然同じじゃありません。いったい何を勘違いしているのやら。きっと彼女の中では、僕はいつも家で料理を作っていることになっているのだろう。ああ、訂正したい。だけど今更言えない。
だけど、こうやって見ているだけというのもなんだかつまらない。本当の僕は料理なんてしないけど、いざこうして目の前で作っているのを見ていると、つい自分でもやってみたくなるから不思議だ。
「ちょっとだけ、代わってもいい?」
宮部さんは自分で作りたいと言っていたから余計な事かもしれない。そう思いながらも、ついそう言ってしまった。
「えっ、何かおかしなところあった?」
「いや、作っているのを見てたら、ついやってみたくなって」
「そっか、そうだよね。見ているだけなんて、お菓子作りが趣味な人にはつまらないよね」
そう言って僕にボールを渡してくれた。
ちょっと引っかかることはあるけど。それには突っ込むのは止めておこう。
それよりも、せっかく変わってくれたんだから、しっかりやらないと。左手でボール掴み、右手で泡立て器を構える。
(確か、生地に空気が入るように、斜めにして泡立てるんだよね……)
先日調べた作り方を思い出しながらやってみたけれど、これが意外と難しい。それにすぐ手が痛くなる。本には、『お菓子作りは体力勝負』なんて書いてあったけど、なるほど、これを本格的にやるには確かに体力がいりそうだ。
「ありがとう。面白かったよ」
「もういいの? ごめんね、私だけ作って」
いや、良いんだよ。手が痛いし。
さっきから混ぜ続けている宮部さんはよく平気だなあ。そう思ったけど、宮部さんは一度手を止めて何度か指を曲げ伸ばしした。
「大丈夫? やっぱり手痛い?」
「ちょっとね。ケーキ作りって大変だね。工藤君いつもこんなことやってるんだね」
頼むからそんな尊敬のまなざしで見ないでよ、良心が痛むから。
実は機会があれば、全部誤解なんだと言って謝ろうかとも思っていた。だけどこの様子じゃとても言えない。
「……あまり無理しないでね」
「うん。頑張る」
大変だと言いながらも、そう頷く宮部さんはとても楽しそうに見えた。
そう思っている間にも、あっという間に生地は完成し、後は焼くだけ。生地を流し込んだ型をオーブンレンジに入れ、スイッチを押す。
「これで後は、待っていれば生地は完成だね、ありがとう」
「ど、どういたしまして」
ほとんど、というか全く役に立ってはいなかった。なんだか彼女をだましているみたいで、罪悪感で胸が痛む。
「生クリームも泡立てなきゃいけないけど、一休みしようか。お茶入れてくるから、ちょっと待ってて」
宮部さんはそう言いながら、僕をリビングに案内する。それから一人でキッチンに戻ると、少ししてお茶を運んできた。
「どうもありがとう」
お茶を飲みながら息をつく。それにしても、最初はどうなるかと思っていたけど、この調子なら問題はなさそうだ。
宮部さんの家事力が高くてよかった。いや、この場合女子力と言った方がいいかな。
こんな彼女からケーキを贈りたいと思われている誰かが少し羨ましく、どんな人かちょっと気になる。クラスの誰かかな?
「そういえば、ケーキをあげたい人って誰なの?」
野暮だという事は分かっていても、つい聞いてしまった。
「あれ、言ってなかったっけ?弟だよ」
「弟?」
「そう、私の弟。今日が誕生日なんだけど、親は今日も仕事で遅いし、その分私が祝ってあげたかったの」
「そうだったんだ」
てっきり彼氏か何かだと思って勘違いしたから、なんだか恥ずかしい。けどそうだよね。いくら何でも、彼氏がいるのに他の男子を家に上げたりしないよね、多分。
あれ、でも最初ケーキを食べてもらいたい人がいるって言った時、なんだか照れていたような気がするけど……
そう思っていると、なぜか宮部さんは、急に顔を真っ赤にしていった。
「い、言っとくけど、別にブラコンとかじゃないからね!」
なるほど、ブラコンと思われるのが恥ずかしかったのか。慌てて否定しているところが、何だか見ていて可愛かった。
「そんな風には思わないよ。それに、姉弟仲が良いのは悪いことじゃないでしょ」
「そうかもしれないけど。あっ、この事学校では内緒にしててね」
そんなにムキになって言わなくても良いのに。別に構わないけど、それなら僕に頼んだ時点で口止めしておくべきだったんじゃないかな。
「わかった。誰にも話さないでおくよ」
「よろしくね。それじゃあ、そろそろ生クリーム準備しておく」
僕も席を立とうとしたけれど、宮部さんがそれを止めた。
「泡立てるだけだから一人でも大丈夫だと思う。工藤君はもうちょっと休んでて。でも、分からないところがあったらお願いね」
頑張ってね。宮部さんでも分からない事は、きっと僕でも分からないから。
僕が休んでいる間も、キッチンからは宮部さんが作業をしている音が聞こえてくる。そうしているうちに、いつの間にか生地も焼きあがったのだろう。オーブンが止まる音がして、それを聞いた僕は今度こそ席を立ち、キッチンへと向かった。
「できた?」
「どうだろう。今開けるね」
宮部さんがオーブンの扉に手をかける。こういう時はなんだかワクワクする。
扉を開くと同時に、ふっくらと焼きあがった生地の甘い香りが漂ってくる。そんな想像をしながら待っていたのだけど、ところがそうはならなかった。
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