美味しいケーキの作り方

第2話 家庭科室にて

 十二月に入ったその日、体育の授業を終えた僕、工藤透は、更衣室で制服へと着替えていた。

 青のブレザーは、この辺りの高校の制服の中ではひと際目立っていて、遠目に見ても一発でうちの生徒だと分かる。

 当初は着られているって印象の強かったこの制服も、いつの間にかすっかりなじんでいる。そして所によっては、綻びだって出てきていた。


「あれ?」


 ボタンを留めようとした時、そのうちの一つが取れかかっていることに気づく。完全に外れてはいないものの、たった一本糸が健気にもボタンを放すまいと必死に繋ぎ止めているようだった。


(がんばるなあコイツも。でもね、このままだと今日帰るまでにはきっと君は力尽きて、ボタンは外れてしまっているよ)


 そう思った僕は健気に頑張るその糸を躊躇いなく引きちぎった。それはもうブチっと。変なタイミングで切れてボタンをなくしても面倒だからね。

 帰ったら、親に頼んで縫い付けてもらおう。そう思ったけど、午後から服装検査があった事を思いだす。

 別に大きなペナルティがあるわけじゃないけど、わざわざ注意されるのが分かっていてそのままにしておくってのも嫌だ。


(仕方がない、自分でつけるか)


 ボタンのつけ方は前に祖母に教わっていたし、いくら僕でもそれくらいできる。家庭科室に行けば針と糸くらいあるだろう。これから昼休みだから、時間もある。






 と言うわけで、素早く昼食を済ませた僕は、家庭科室の前にいた。家庭科の授業以外でここに来ることになるとは思わなかったな。そんなことを考えながら扉に手をかけると、中から賑やかな声が聞こえてきた。


(あれ?)


 中に入ると、そこには何人かの女子生徒の姿があった。昼休みだと言うのにみんな何かの作業の途中みたいで、よく見るとうちのクラスの女子も何人かいた。


「あれ、工藤君?」


 そのうちの一人が、僕に気づいて声をかけてくる。同じクラスの田辺たなべさんだ。そしてその手にあるものを見て、彼女たちがここで何をしていたのか理解する。


「ああ、みんなはエプロンを作りに来てたんだ」


 少し前から、家庭科の授業ではエプロン作りの課題をやっていて、もうすぐ提出期限が迫っていた。もちろんそれまでに完成していないといけないから、まだ終わっていない子たちが集まって作っているようだ。


「工藤君もエプロン作りにきたの?」

「ううん、僕はもう終わってるよ」


 家庭科があるのは女子だけという学校もあるらしいけど、うちの学校は男子も女子も同じだ。と言うのも、ここ錦商業は8割が女子という極端な男女比となっていて、わざわざ男女で授業内容を分けると面倒なところもあるみたいだ。


 というわけで、僕もエプロン制作はやっていたのだけれど、先日の授業ですでに完成し提出してある。

 多分、ほとんどの生徒がもう提出済みで、今ここで作業をしている子は、風邪で休んでいたとかで、作る時間が少なかったんだろう。


「じゃあ、いったい何しに来たの?」

「ボタンが外れたから付けに来ただけ。針と糸ってあるかな?」


 そう言って、とれたボタンを見せる。


「裁縫道具なら今使ってるけど。何、もしかして自分でつけれるの?」

「そうだけど、誰でもできるでしょ」

「えぇーっ、そうなの?」

 

 何だか驚いている様子の田辺さんだけど、嘘だと思うなら試しにやってみるといい。一度やり方を覚えたら、案外簡単にできるから。


 針と糸を借りると、早速ブレザーを脱いでボタンをつけ始める。久しぶりだから思ったよりも時間が掛かったけれど、何とか縫い付けることができた。

 すると、それまで見守っていた田辺さんが声を上げた。


「すごい、本当にできるんだ。ほんと、家事得意なんだね」

「いや、皆もやってみたら絶対にできるから」


 家事が得意。どうやらその誤解は彼女にも浸透しているらしい。だけどこれくらい、小学生でもできるくらい簡単なんだ。

 そう思ったけど、僕の言葉を聞いて彼女は首を横にふった。


「そんなことないよ。これ見てよ」


 差し出された田辺さんの手には、数か所に絆創膏が貼られていた。なんとなく気になって、彼女が作っているエプロンを見てみたけど、糸は解れ、縫い目は歪み、本来まっすぐに切られているはずの生地はぐにゃぐにゃにカーブしていた。


 さて、ここでおさらいしよう。何度も言うようだけど、実際の僕はそれほど家事が得意なわけじゃない。どんなに贔屓目に見てもせいぜい中の上くらいだ。

 一方で、世の中には本当にそういった家事の得意な人間もいるし、逆に苦手な人間、というか不器用な人だっているわけだ。そしてどうやら田辺さんはそっちの人間らしい。どおりで、今日まで課題が終わっていないわけだ。


「えっと、今から頑張って終わりそう?」


 心配になって聞いてみたけど、彼女は明るい声で答えてくれた。


「大丈夫。これで完成したってことにするから」

「それで? 本当に大丈夫なの?」

「だから大丈夫だって。一応全部のパーツがくっついてはいるもの」

「確かにくっついてはいるけど……」

 

 さっきも言った通り、彼女の作ったエプロンは、お世辞にも良いとは言えない出来だった。

 一応提出はするから点数無しってことは無いだろうけど、おそらく良い評価はもらえないだろう。せめて先生が点数をつけるまで、糸が抜けてバラバラにならない事を祈るばかりだ。


(まさか他の人もこんなじゃないよね)


 他人事とはいえ、あんなものを見せられた後ではさすがに心配になってしまう。そう思って他の子も見たけど、さすがにそこまで酷い人は他にはいないようだ。中には明らかに僕よりも上手な人もいる。

 すると丁度そのタイミングで、その上手に作っていた人が声をあげた。


「できた!」

 

 どうやら完成したみたいだ。

 黒髪を肩まで伸ばしたその子は、うちのクラスの宮部恵みやべめぐみさんだ。完成したエプロンを見ると、田辺さんの物とはもちろん、僕の作った物と比べても、明らかに出来がいいのが分かる。宮部さん、あんまり喋ったことはないけれど、こんなに洋裁得意だったんだ。僕のエセ家事力とは違うなあ。

 そういえば宮部さん、しばらくの間風邪で休んでいたっけ。今日まで課題が終わってなかったのもそのせいだろう。


「上手だね」


 思わず声をかけると、彼女は笑いながら言った。


「そんなことないよ。それに、工藤君の方が上手でしょ。もうとっくに出来上がってるし」


 そりゃ、早くできたのは僕が休んでいなかったからだよ。休んでさえいなければ、きっと宮部さんの方が早く終わっていると思うし、仕上がりに至ってはその差は明らかだ。


 だけどそれを言う前に、再び田辺さんが口を開いた。


「工藤君が家事が得意なのはみんな知ってるから、謙遜はそれくらいにしときなよ。洋裁だけじゃなく、お菓子作りも得意なんだよね」

「はっ? いったい誰がそんな事を?」


 お菓子作り。誤解されているという自覚はあったけど、何だか日に日に話が大きくなっていってる気がする。

 もちろん僕はそんなこと言った覚えはないし、お菓子なんて作った事もない。今度は何が原因で誤解されたんだろう。火のない所に煙は立たないとはいうけれど、時には火事になることだってあるようだ。


「だってみんな言ってるよ。今度クリスマスケーキも自分で作るんでしょ。さすが、女子力高いね」

「えっ? ケーキ作れるの?」


 宮部さんも、それを聞いて驚いている。作りません。だいたい彼女もいないのに、一人でケーキ作って食べるなんて悲しすぎる。きっとしょっぱい味がするんだろうな。

 それに、今の田辺さんの言葉に気になるところがあった。


「だいたい、女子力って何なの? 僕、男だから!」


 家事力が高いと言われるのはまだいい。だけど、男の僕が女子力が高いと言われるのは何だか抵抗がある。


「えぇーっ。だって、お菓子も作るしマフラーも編むし、ニキビの一つもないくらい肌ケアだってしてるじゃない。それって立派な女子力だよ」

「何一つしてないから!」


 お菓子もマフラーも作ったことが無いし、ニキビはたまたまできにくいって体質なだけだから。肌ケアなんて、どうやればいいのかも分からないよ。


 だけど気が付くと、周りにいた女子達のほとんどが僕を見て、「ああ、やっぱり」って感じの顔をしていた。何なのこの状況?


「それ、全部誤解だから!」


 何人ものよく分からない視線に晒され、とにかく居心地が悪かった。恥ずかしくなった僕は、とりあえずそれだけ言い残すと、逃げるようにして家庭科室を出て行った。

 後で思えば、なぜこの時もっとちゃんと誤解を解こうとしなかったのだろう。そのせいで面倒ごとに巻き込まれてしまうなんて、この時は思ってもみなかった。



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