閑話 葵の視点 今を終えるための一歩
「「......。」」
私は危ないところを助けてもらった後輩男子生徒と一緒に、自宅までの帰り道を並んで歩いていた。
彼の名前は知らない。ここ最近、コンビニで遭遇する頻度が多かっただけで、特にこれといった関係はない。
助けてもらった恩人の名前を聞くべきだろうか。聞くべきなんだろう。聞いて彼のことを知って、後日またお礼でも言うべきだ。
そう思っているのに、名前を聞くことができない。
たぶんだけど、名前を聞いてしまったら、彼からも名前を聞かれ、その先まで話題が続きそうだったからだ。
名前を聞かれ、どこの学校に在籍しているのか聞かれ、不登校だということを知られる。最後には同情されそうだったから、私からは何も聞けなかった。
「あまり校則が厳しくない学校なんですね」
「え?」
すると不意に、彼からそんなことを言われた。
思わず聞き返してしまった私だけど、その内容はちゃんと理解している。きっと彼は私の頭髪を見て、金色に染め上げていることが校則的に緩いと言っているのだろう。
彼は本当に、私が同じ中学校に在籍していることに気づいていないみたい。
「い、いや、これはその......」
「自分もまだ先ですが、大学生になったら染めてみたいです」
「は、はぁ」
やっぱり私たちみたいな学生は、お洒落しようとイメージチェンジに興味があるんだ。
まぁ、私の場合はお洒落というより、何かの反抗心というかなんというか......。
彼から話しかけてくれたからか、私もつい口を開いてしまう。
「さ、最近、コンビニでよく会いますよね」
「ああ、たしかに。親が出張で不在なので、よく夕食を買いに行くんです」
「なるほど」
「自炊した方がいいんですけど、部活で疲れちゃって......」
おそらく彼は今年入ったばかりの一年生だ。
まだ部活に慣れていないのか、部活というものに所属したことが無い私にはわからない。
「陸上部......ですよね?」
「あ、わかるんですか?」
一応、私も同じ中学だからね。不登校だけど。
私は年下相手に敬語口調のまま続けた。なんだが、久しぶりに同年代の友達と話せたみたいで、少し浮かれている気がするけど、会話をしようと思った。
「陸上部って辛そう。こう言っては失礼ですけど、走り続けるだけの部活という印象があります」
「まぁ、たしかに。高飛びとか砲丸投げなんかありますけど、まだ入って二ヶ月も経っていない自分もそんな印象しかありませんね」
所属している本人が認めているのだから、きっとそうなんだろう。
ただ、と彼は止めてから続けた。
「このジャージ、数日前に貰ったんです。入って間もない新人の自分たちに、です」
「......。」
そう言われると、たしかに違和感があった。
彼は陸上部に所属してからまだ二ヶ月も経っていないという。それなのにうちの中学オリジナルデザインのジャージを持っていた。
世間一般的に走るだけの辛そうな部活というイメージがあるところで、何人かは挫折して退部するかもしれないこの時期に、新入生に部を所属している証を託したんだ。
「やり切れる自信もなくて不安でしたが、早々にこのジャージを着れたのが嬉しくて......。認められたというか、部の一員になれたって気がするんです」
「そう......ですね」
私は彼が輝いて見えて仕方が無かった。
顔も直視できない。いや、直視できたのは出会った当初だけだ。そこからは彼の姿を目にしただけで、目を背けてしまった。
見たくなかったんだ。
日が暮れるまで部活動で疲れた彼が、私に持っていないものを持っているようで、不登校の私と比較したくなかった。
「逃げた私と大違いです」
「え?」
それなのに、なぜか言ってしまった。
「私は......少し人間関係が嫌になっただけで逃げて、皆に心配されて、いつの間にか仲の良かった後輩と比較して虚しくなるくらい惨めになっています......。本当にすごいです、あなたは」
「......。」
何がいけなかったんだろう。
好きでもなかった相手と付き合えば、その後は私が異性から言い寄られることもなかったのだろうか。
今まで仲の良かった人と関係が薄れたとしても、別の誰かを探そうと努力すれば何か違ったのだろうか。
完璧な人間と称する美咲ちゃんを少しでも頼っていたら......。
「陸部に所属すると、まず走り方を矯正されます」
「?」
私の話を聞いていたのだろうか。彼は再び部活の話を再開した。
「今までただ我武者羅に走れば、足に力を入れれば速くなると思っていたんですが、実はそうじゃないんですよ」
「え、えーっと......」
「短距離走だと最初は前傾姿勢を保って走るんです。それがまた慣れない動きでして......。あ、実は腕の動きと足は連動するので、腕を一生懸命振ることも速く走れるコツなんですよ」
「......。」
なぜ速く走れるコツを聞かされているのだろうか。
そんな私の疑問を察したのか、彼はコホンと一つ咳払いしてから言った。
「何が言いたいのかって言うと、変わるための一歩を踏み出すべきです」
「っ?!」
私は彼の一言に、思わず足を止めてしまった。
そうだ。正しく私が毎日思っていることは、変わらなきゃ、の思いである。
こんな生活を止めないと。そうわかっていても変われないから今の私が居るんだ。
「速く走るための目的に、全力を注ぐことは必要不可欠です。ただ最適な走り方というものがあって、それが不慣れで気持ちの悪いものでも、変わろうとしなくてはいつまで経っても変われない」
「......。」
「自分には、あなたがどんな悩みを抱えているのかわかりませんが......今の自分が嫌なら変わるべきだ」
「......そんな簡単じゃないよ」
彼は足を止めた私の方へ振り返ってから返答した。
「でしょうね。ならこれからも、『変わらないといけない』と毎日ずっと悩み続けますか?」
「それは......」
「一歩でいいんですよ。たったの一歩だけ踏み出せばいいんです」
「......たった一歩で変わらないでしょ」
私は敬語口調を止め、ただただ思ったことをろ過せずに、彼に伝えた。
一歩だけ前に出たって、すぐに引き返してしまいそうで怖い。また辛い思いをするなら、と踵を返す気がして仕方がない。
彼はそのまま歩を進め、私の方へと進んできた。
そして片手の人差し指だけを立たせて言う。
「その一歩は他の誰でもない、変わろうとした自分が繰り出した一歩ですよ。......頑張った努力を、自分でそう易易と無意味にするんですか?」
「っ?!」
彼の言葉を聞いた私は、両手をギュッと握り締めた。爪が食い込む痛みを感じたけど、何故か力むことを止められなかった。
「『たった一歩じゃ引き返しそう』......なら、それまでの歩幅ってことじゃないですか」
「で、でもッ」
「本当に変わりたくて踏み出した一歩は、たったの一歩でも絶対に引き返せない。引き返しちゃいけない。自分が自分を肯定するための“一歩”を否定しちゃいけません」
「......。」
私はただただ下を向いているだけで、何も言えなかった。
そうだ。私はずっと逃げているだけだ。彼の言う通り、今の自分が情けないとわかっていても、辛い思いをしたくない一心があるから今の私があるんだ。
だから変わるための一歩を踏み出せない。
私は......強くないんだ。
「もし勇気が足らないのであれば――」
「っ?!」
すると彼は、私の手首を掴んで言った。
その行為に驚いてしまった私は、思わず顔を上げて、自分よりも少しだけ身長の高い彼を見上げてしまった。
「誰かに引っ張ってもらえばいいんですよ」
そう言い放った彼は......とても眩しかった。
私は胸に何か熱いものが込み上げてきた気がして、思わず目尻に涙を浮かべてしまう。
最初からわかっていたことだ。私には友達だけじゃない。大好きな家族も居るし、完璧な後輩も居る。
ただ私が頼りたくなかっただけだ。自分一人の問題だから、頼ることは良くないと決めつけていた。
でも彼はそれでもと言って、誰かに引っ張って貰えばいいと言う。
「さ、帰りましょうか」
「う、ん......」
しばらく彼は私の手首を掴んだまま放さず、帰路を共にしてくれた。
まるで私が自分の力だけでも歩けるよう、それまで引っ張ってくれると言わんばかりだった。......変な話だ。ただの帰り道なのに。
一歩だけ踏み出す。
きっと多くの人がそれを実践して変わっているのだろう。その行為には少なからず勇気が必要で、でもそれは自分一人だけの力じゃなくてもいいみたい。
事実、彼ももっと理想的な走り方ができるように、先生や先輩、仲間を頼っているらしい。
なんだか少しだけ、彼から勇気を貰えた気分だ。
そんな彼の背中は......すごく大きく見えた。男の子だからかな?
「あの」
「?」
「近所まで送るとは言いましたが、道わからないです......」
「......。」
そ、そうですよね......。
――――――――――――――――
ども!おてんと です。
次回、本編に戻ります。
それでは、ハブ ア ナイス デー!
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