閑話 葵の視点 できっこない毎日

 「......。」


 気づいたら、私はいつの間にか不登校になっていた。


 中学三年生にもなって、である。もう二ヶ月くらい学校には行っていない。


 イジメとか質の悪い悪戯を受けた記憶は無い。ただただ学校に行くのが嫌になっていただけだ。


 私は独り、今朝から自室にあるベッドの上で見慣れた天井を眺めていた。


 「葵姉、今日も学校行かないの?」

 「あ、陽菜」


 開けっ放しの部屋のドア付近で、陽菜が呆れた顔で私にそんなことを言ってきた。


 「うん、なんか嫌になっちゃってさ」

 「......無理に行けとは言わないけど、行かないと後悔するんじゃない?」

 「......。」


 そんなことわかってる。


 今の私が絶賛後悔しているところだからね。


 たぶん今のこの状況を作り出した一番の原因は修学旅行だ。


 今は四月で、ついこの間、三年生になったばかりの私だけど、来月の半ばに修学旅行がある。私はそれがすごく嫌だった。


 だって今の私に、本当に仲の良いと言える友達はいないのだから......修学旅行なんてイベント、絶対に楽しむことはできない。


 それに去年からかな。人の目線をすごく気にするようになった。特に異性の。私の身体のあっちこちを見たりするし、相変わらずこっちの気も知らない告白は絶えなかった。


 でも一応マシになった方で、以前よりはその頻度は少なくなった。たぶんだけど、噂されているんだと思う。


 私は誰とも付き合わないって。


 独りで居るのが好きなんだって。


 独りで居るのが辛くて寂しいから誰かに寄ったのに、全然相手にされなくて友達は減っていって、終いには『中村さんってお高くとまってるよね』と言われる。


 なんかもう、疲れちゃった。


 「たしかに後悔すると思う。でもどうでもよくなって......」

 「......そう」

 「気にかけてくれてありがと。あ、家業のことは心配しないでね! 私は引き籠もるつもりないから!」


 などと、空元気にも私がそう言うと、陽菜は苦笑して、これ以上何も言うことなく、この場を後にした。


 たぶん、私が不登校になったのは他にも理由があったと思う。


 いや、言い訳だ。私は自分の家が農家だから、別に学が無くても働ける自信があった。友人なんて居なくても私には家族が居るし、直売店ではそれなりに人と関わっている。


 そういう甘えが私の中にあった。


 「......何しているんだろ、私」


 そんな乾いた声を漏らした後、私はリビングへ向かった。


 「あ、葵」

 「おはよ、父さん、母さん」

 「......おはよう」


 リビングに向かうと、父さんと母さんが居た。


 二人は私が未だに部屋着の格好であるところを見て暗い表情になった。陽菜はもう学校行ったのに、姉である私が行かないと意思を服装で体現していたからだろう。


 でもそれは少しの間だけで、すぐに気にしていない顔を作って普段通りに接してくれた。


 「今日も学校は行かないのかい?」


 父さんはコーヒーを啜りながら、私にそんなことを聞いてきた。


 母さんは無神経な父をキッと睨んだが、私は気にすること無く返答した。


 「......うん」

 「いや、葵が行きたくないのなら無理に行かなくていい。......事情は聞いてるし」


 「ごめんね」

 「人にはそれぞれ悩みがあって、それは他人と同じ価値観でつくられたものじゃない。......だから卑下して無理しちゃ駄目だよ?」

 「......うん、ありがと」


 私の両親は本当に優しい。


 こんな私に学校へ行けと強い言葉を突きつけてこない。


 それどころか私が素直に事情を話すと、これからどうするかを全部私に任せると言ってきた。


 娘が学校に行こうと、このまま不登校になって家業に力を入れようと、全て私に決めさせてくれた。


 私は最初、二人なら娘の今後のことを想って厳しい事を言うと思ったけど、全然そんなことはなかった。


 そんな二人を優しいの一言で片付けていいのかわからないけど、それでも私は甘えてしまった。


 私は私が本当に惨めで情けない人間だと思う。



*****



 「、なんで学校に来ないんですか」

 「......。」


 まただ。


 また美咲ちゃんがうちに来た。


 放課後の時間帯、中村家に美咲ちゃんが制服姿でやってきた。私が作業着姿で収穫用の鋏を手にしているところを見て、ずかずかと挨拶も無しに迫ってきたのだ。


 「え、えっと、これはその......」

 「なんで学校に行かず、仕事をしているんですか」


 美咲ちゃんが真剣な面持ちで詰め寄ってくる。


 両親には事情を話したけど、美咲ちゃんには言っていない。言えるはずがなかった。


 「よ、よく毎日来るよね」

 「答えになってません」

 「......。」


 私はこうして最近毎日のようにやってくる彼女にドン引きしていた。


 なんで私のことなんか気にするのか、よくわからなかったからだ。


 「先輩」

 「......。」


 中学生になってから、美咲ちゃんはまるで別人のように変わった。


 入学当時は凛々しいところが垣間見えて、後輩特有の可愛らしさもあったけど、今となっては中学生らしからぬ美貌の持ち主になっている。


 それに今の彼女は生徒会長だ。一年生の頃から生徒会に所属していて、翌年にはまさかの生徒代表と言える立場になっていた。


 加えて呼び方も変わった。


 昔は私のこと葵ちゃん葵ちゃんって呼んできたのにな......。


 「なんか学校に行くのが嫌になっちゃってさ」

 「誰かに何かされました?」

 「さ、されてないけど......」


 これは私自身の問題だ。私が誰かに寄り添わないとやっていけないくらい弱いからこうしているんだ。


 だから誰のせいでもない。


 「美咲ちゃんは......すごいよね」

 「はい?」


 気づけば、私はそんなことを口にしていた。


 「あ、いや、その、なんていうか、美咲ちゃんはすごく変わったなぁって」

 「なんですか、急に」


 「ほら、口調とか大人っぽさとか。それに友達も多くて、後輩だけじゃなくて先輩や先生からも頼られて......交際相手も居たりしてさ」

 「はい?」


 美咲ちゃんが心配そうな顔つきで私のことを見つめてくる。


 自分と美咲ちゃんを比較して、昔の美咲ちゃんを思い出してまた比較して、勝手に悲しくなっちゃって......。


 たぶんこれが嫉妬なんだろうなぁ。


 同じ気持ちなのかはわからないけど、以前仲良くしていた友達も、私に対してこんな気持ちを抱いていたのかな。


 今なら少しだけわかる気がした。


 「私のことは気にしないで。今日だって放課後はがあったんでしょ?」

 「っ?!」


 私は美咲ちゃんの表情が変わったことで気づいた。


 自分が口にしたことが、どんなに最低なことかを。


 私は、私のことを心配して来てくれた彼女を、突き放すように決めつけた言い方をしてしまったことに後悔した。


 今すぐ謝るべきだ。


 わざとじゃない、言葉の綾だ、と。


 それなのに、


 「......私のことは気にしなくていいから」

 「......。」


 私は素直に謝ることができなかった。


 よくわからない意地が働いてしまったのだろうか。私は彼女と目を合わせること無く、下を向いていた。


 しばらく沈黙していた後、先に口を開いたのは美咲ちゃんだった。


 「変わったのはワタシだけじゃない......先輩の方もですよ」

 「え?」


 怒られるかと思いきや、美咲ちゃんからはそんな言葉が返ってきた。


 彼女は続けて口にした。


 「ワタシは完璧な人になりたい。葵さんのように強くなりたかったから、今のワタシになれたんです」

 「すごい自信だね。......私は強くないよ」


 「今の先輩は全然ですね。正直、見損ないました」

 「っ?! わ、私だって好きでこうしているんじゃ――」


 「ワタシはこれで失礼しますね。......事情は知りませんが、早く戻ってきてください。

 「え?」


 最後にそう言い残して、美咲ちゃんはこの場を後にした。


 彼女はどこか哀しそうな顔をしていたけど、なんで私のために生徒会長になったのかがわからない。


 ......美咲ちゃんには悪いけど、それでも私は学校に行こうと思えないよ。

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