第456話 パパと呼んでもいいですか?

 世のパパさんたちに聞きたい。


 娘の彼氏が自分の名前を知らなかったらどんなお気持ちだろうか。


 その彼氏が一年前からの知り合いで、娘たち全員と交際関係にある男が、父親である自分の名前を知らないとわかったらどう思うだろうか。


 逆の立場だったら嫌だ。


 というか、そんな奴殺したい。


 娘たちとの将来を真面目に考えてる、などと豪語しといて、親の名前を知らないとか畑の肥やしにするしか無い気がする。


 「ところでさ、高橋君って俺の名前を知ってる?」

 「......。」


 だから正解しないと、俺は耕されても文句を言えないのだ。



*****



 「高橋君?」

 「あ、はい。なんでしょう?」

 「いやだからさ、高橋君って俺の名前知ってる?」


 知らねぇーよ。


 知ってたら“やっさん”なんて呼称せんわ。


 ああ、こういうのは早期に解決すべきだったな。なんで俺はアルバイトで雇ってもらった時点ですぐに聞かなかったんだ。


 いくら相手が自己紹介してなかったからって、最終的には知らなかった方が苦しむはずなのに......。


 もしね。これがもし他人のパパさんならまぁ、『忘れちゃいました』でも済ませなくもないよ。


 でも雇い主はお付き合いしている彼女たちのパパさんだ。


 付け加えるならば俺を手放す気が微塵もない、人生のトロッコに同乗している彼女たちのパパさんだ。


 「も、もちろんですよ。ははは」

 「ふーん?」

 「どうしたんですか、急に」


 話題を逸らすか、切腹するかの二択である。


 当然、採るべき選択は前者だ。


 俺自身、彼女たちのパパさんの名前を知らないという事実が恥ずかしくてしょうがない。


 「いや、一度も名前で呼ばれたこと無いからさ。ああ、“やっさん”呼びが嫌いとかじゃなくてね」


 呼ぶ名前知らないからね。


 目の前の男はお父様のお名前を存じ上げません。


 「あ、あはは。知ってて当然ですよ」

 「だよね」


 そして自ら首を締めていくスタイル。


 昨今のバイト野郎はこんな戦法を取ってばっかだ。


 でもなによりも重要なのは会話を自然に終わらせることである。黙ったままや白状など自殺行為に等しい。


 真由美さんがクスッと笑って口を開いた。


 「さすがに働き始めた頃にお互い自己紹介したでしょう」


 奥さん、あんたの旦那はしませんでしたよ。


 俺も聞くべきだったって、今になって後悔してるわ。


 「うーん。した、かなぁ? 去年のことだから全く覚えてないや。俺としては自己紹介してなかった気がする。はは、今更だけどね」


 自覚あったんならしとけやぁぁぁあぁああぁぁぁぁぁあああ!!!!


 名前を知らなくて申し訳無さがあったけど、今の発言で俺の怒りは噴火してしまいそうだ。


 「父さんの名前を知らないってさすがに無いでしょ」

 「そうよ。和馬は一年以上働いているのよ。パパの名前知ってて当然ね」

 「ですねー。お父さんの名前知らないとかあり得ないです」

 「あなたも変なこと聞くわねぇ」


 そんでもって全員名前で呼んだことないのマジなんなの。


 娘たちが実の父親を名前呼びすることは稀だけど、真由美さんだけでもポロっと言ってほしかった。


 もう皆、俺みたいに雇い主の名前を知らないんじゃないのかって思えてきちゃう団欒だよ。そんなこと無いってわかってても、そうとしか聞こえない今日此頃このごろ


 「本当ですよ。自分を疑うなんて心外です」


 論の外です。お世話になっている人の名前を知らないとか。


 だからこれまでにないと言っても過言じゃない俺の焦燥感は両目の動きとして露わになる。


 ギョロギョロと泳いでいるように見えて、その実は必死に雇い主の名前がこの部屋のどこかにないかと探し回っていた。


 壁とかテーブルの上にある紙媒体に目を凝らすが、お目当ての情報は見つからない。


 本当はずっと前からめっちゃ考えてたんだよ。どこかに雇い主の名前載ってないかなって。


 例えば郵便物。雇い主のフルネームを知る絶好の機会である。


 極稀に俺に郵便物の受け取りを任されて代わりに行ったら、宛先の名前の人物名が別人で知ることができないままだった。


 一応、名前が記載されているものって個人情報のものがほとんどだから、それらは俺の目の届かない所に保管されているため探れない。


 いくら住み込みバイトでも中村家だってそこら辺はちゃんとしているからな。そこは俺への信頼とは別に、管理体制をしっかりとしているらしい。


 だから保管されていそうな引出しを見つけちゃっても引けないのだ。


 信頼という名の抵抗感がさせてくれないのだ。


 「で、試しに俺の名前を呼んで――」

 「あ! もうこんな時間ですか!」


 やべ。かなり露骨だったが、話題を変えないと危うい状況になってしまう。


 できれば自然な流れで退散したかったが、致し方ない。


 「え、あ、たしかに夜遅いけど、なんかあるの?」


 雇い主が首を傾げて俺に聞いてきた。


 あるわけない。あんたの名前を知らないという事実を知られたくないから逃げるだけである。


 それに今日の彼女は千沙ちゃんである!


 千沙となら『この後ゲームのイベントがあって〜』って感じで自然にこの場を離れられる!


 「まぁ、大したことじゃないんですけど、この後千沙とゲームする予定でして......」


 俺はちょこんと左隣に座っている千沙に、下手くそなアイコンタクトを取った。左目なら角度的に千沙以外の皆から見えないと思い、行った次第である。


 ちなみにどれくらい下手くそかって言うと、目にゴミでも入ったのかと思えるくらい痛々しいアイコンタクト表情だ。


 もう彼女が居るからできないけど、俺がフリーのときに異性に向けてウィンクを決めてみたかったが、どうやらこのザマでは叶わないらしい。


 「え、私そんなこと言いましたっけ?」

 「い、言ってたじゃん! やだなぁ、もう!」


 空気読め!


 読んでくださいぃ!!


 再度、顔の反面をピカソ風絵画にしてアイコンタクトを送る兄。


 そんな兄の思いを未だに察していないのか、


 「......。」

 「ほ、ほら。オンライン対戦で始まるだろ。そろそろ行かないと出遅れるぞ?」


 じーっと見つめてくるだけに留まっている妹である。


 その面持ちは思考をフル回転させているようだった。


 千沙ちゃん、お願い! この場を一刻も離れたいの! 助けてぇ!


 「なるほど......」


 誰に聞こえるでもなく、そう呟いた妹はこくりと小さく頷いて俺の片手を握った。


 そして自らが立った後、握った俺の片手を引っ張って皆に向き直る。


 「そうでした。私、兄さんとゲームしないといけないんでした。早く始めないと、兄さんの睡眠時間を削らなくてはなりませんからね」

 「そ、そうか......。高橋君、いつも悪いね」

 「千沙ぁ、あまり泣き虫さんを夜遅くまで付き合わせちゃ駄目よぉ」


 よし。これなら自然な流れで東の家に向かえるぞ。


 「はは。最近は私の方が寝不足ですよ」

 「「「「?」」」」

 「ち、千沙姉、それってまさか......い、いや、なんでもないわ。さすがに、ねぇ?」


 千沙の一言に首を傾げたのは陽菜以外のメンツである。


 なんで休日はいつまでも寝てるようなお前が寝不足なんだよ。そんな疑問は俺だけじゃないはず。


 にしても陽菜はなんか察したみたいだが......まぁ、年頃の女の子は色々とあるんだろう。男にはわからない月の物とかな。


 使用済み生理用品を買い取りたいよ。『バイト代1ヶ月分で一括払いしたい』とか言ったら買わせてくれるかな? 幻滅するかな? きっと後者だろうなぁ......。


 「ほら、兄さん。行きますよ」

 「お、おう。それではお疲れ様でした。また明日もよろしくお願いします」

 「う、うん。おやすみ」

 「頼りにしてるわ」

 「おやすみなさい」

 「夜更ししちゃ駄目よぉ」


 こうして俺の危機は立ち去ったのであった。


 雇い主の名前、早急に知る必要があるぞ。



******



 「今なんと?」


 『一難去ってまた一難』ということわざがある。


 俺はこのことわざが大嫌いで、その理由はいつもそれに振り回されているからだ。


 高校生になってから......いや、より具体的に言えば、中村家でバイトを始めてから、日々大変な思いをしている。


 「聞こえませんでしたか? ではもう一度だけ」


 いや、他人のせいにしちゃいけないよな。


 自分にだって非は少なからずあるんだから、なんでもかんでも周りのせいにしちゃいかん。


 いけないんだけど、


 「裸になってください」


 偶には神様だって恨みたくなる。



******



 「早く」

 「なぜ?」


 拝啓、父さん、母さん。暑い日が続いておりますが、お変わりなくお過ごしですか?


 息子は元気ですが、ちょうど今、危機を迎えております。


 貞操の危機を。


 「え、兄さん、もしかして私が気づいていないとでも?」


 現在、俺は千沙と一緒に東の家にやってきた。部屋は俺の部屋。部屋の真ん中に敷かれているのはダブルサイズ敷布団。


 予定では南の家を出た後、千沙の部屋へ直行するはずであったが、なぜかこうして俺の部屋に二人して居る。


 寝るにしては少し早い時間帯だが、さっき寝不足と言っていた千沙ちゃんの意見を尊重したい。


 したいんだけど、なんで俺が服を脱ぐの?


 「あ、いや、えっと、さっきは気を遣ってくれてありがとう」

 「おかまいなく。私、気が利く女ですので。では、脱いでください」

 「なんで?」

 「え、兄さん、私に助けられたでしょう?」


 いや、助けられたけど......。


 俺は雇い主の名前を知らなかったから、一刻も早くあの場を後にしたかった。でもそれは俺の中の藁にもすがる思いであって、千沙は知らないはず。


 だってこいつの中では、『早くゲームを始めないと、兄の睡眠時間を削ってしまう』という罪悪感にも似た自己満足があるだけで、こちらの本音を知らないからだ。


 「はは。ゲームなら付き合うよ。今日は特別に俺の睡眠3時間パックをお付けしよう」

 「要りませんよ。そんなもの」

 「シンプルにどいひ」

 「まぁ、全裸でゲームがしたいならかまいませんが」


 それ、かなりヤバい変態だよ。いくら変態な俺でもジャンルくらい選びたい。知ってたかい? 変態にもジャンルがあって様々なんだよ。


 正直、お前のせいで本来は楽しむべきはずのゲームが、今の俺にとっては睡眠時間を削られる拷問用具にしか思えないからな。


 「おいおい。言っておくが俺は裸になっても、する気は無いからな」

 「“そういうこと”とは?」


 「セックスとか交尾だ」

 「はっきり言えるなら濁す意味無かったですね」


 「言わすな。恥ずかしい」

 「微塵も恥ずかしがってなかったでしょう」


 うむ、嬉々としてセクハラをするのが唯一の生き甲斐だからな。齢17にしてこの生き様よ。両親に申し訳ない。


 話が逸れる逸れる。妹へのセクハラは一時中断し、話を進めよう。どうやら今晩の千沙ちゃんは真剣に彼氏の裸体晒しをご所望の模様。


 布団が敷かれて俺が裸になるって、もうそれ一歩手前でしょ。


 セックス交尾の一歩手前でしょ。


 これほどまでに重複しても不快にならないワードは無いな。セックス交尾。今後とも積極的に使っていきたいパワーワードである。


 「別に私もする気はないですよ。でも裸の彼と朝を迎えてみたいじゃないですか」

 「処女がなんか言ってる」

 「なんなら私も裸になりましょうか?」

 「い、いや、お願いだからやめて。理性が吹っ飛ぶ」

 「はぁ、情けない。......いつになったら私のをプッチンしてくれるんですかね」


 自分の初めてをプッチンプリンみたいに言うの、全世界探してもお前だけだよ。


 俺だって、童貞を一生貫いていきたいなんて1ミリも思っていない。貫かなきゃ駄目なんだ、という使命感が邪魔してるだけ。別にヘタレなわけじゃないから。


 じゃないから!!


 「兄さんが裸になってくれないと、私、チクっちゃいそうです」

 「..................今なんて?」


 なにやら聞き捨てならないことを口にしなかったか、この妹。


 「え、もしかしてバレてないと思ってます?」


 待ってくれ。俺はたしかにあからさまで大胆な行動に出たと思うが、普通その事実に辿り着かないだろ。


 彼女として、そんなことはないって信じて疑っちゃいけないだろ。


 それが紛れもない事実だとしても!!


 「兄さん。お父さんの名前知らないんですよね?」

 「......。」


 まーじか。


 俺は無言で服を脱ぎ始め、それを返答の意とした。


 パンツを残し、その他の衣服を全て取り払った我が裸体。くっ殺案件発生だ。誰得である。


 「あ、パンツもです」

 「......。」


 くそうくそう......。



*****

〜その後〜

*****



 「すぴーすぴー」

 「やっふぁ、あらふぁじめ、ん......ぷは、脱いでくれているとやりやすいですね」


 「すぴーすぴー」

 「あ、ビクビクしてます。ふふ、射精そうですか? 擦るんでこのまま――」


 「う゛」

 「きゃ?! ああ! 布団汚れたら朝バレちゃいます! ティッシュ! ティッシュ!!」

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